無能と呼ばれる駆け出し冒険者(俺)が駆け出し冒険者(女の子二人)をオークから救う。連載に向けてタイトル変更予定です。
1
茂みに身を伏せていた俺は目の前の光景に目を疑った。
「……最悪だ」
目の前――森の開けた場所にオークが四体の群れをなしていた。それだけだったらやり過ごせばいいものの、オークと相手をしているのは俺と同じく駆け出し冒険者。
冒険者は二人でどちらも女性。初々しさが残る顔立ちからして十五歳とかそんな所か。推定で俺の三つか四つは年下である。
そんな彼女達はオークと戦い、結果として敗北していた。
「フゴッ!」
オークの興奮した鳴き声が森に響き渡る。
豚を二足歩行させた巨体に、緑色の肌が特徴的な魔物。そんなオークは醜悪な顔に勝ち誇った笑みを浮かべており、雄叫びを上げていた。
剣を持って勇敢にも駆け出した少女は今や逆さまだ。両足ごとオークの太い腕に握られ、長い金髪を地面に垂らしている。
「リティッ! 私ごと撃ちなさい!」
「で、でも……ティリアちゃんが!」
オークに弄ばれ、逆さまで揺らされる少女がもう一人の魔法使いに叫んだ。眦をつり上げ命令する様は、現状が嫌に切迫していることを物語っている。
しかし、相方の杖を持った少女は迷うばかりで、魔法を唱えようとはしない。
同士撃ちを避けようとするあまり、魔法を使おうとしないのだ。その選択が最悪な方へと進むことを分かっているのか。
このような状況下なら、四の五の言ってはいけない。オークに捕らえられた彼女の言う通りに魔法を放つべきだ。
人質を解放しなければ状況が悪くなる一方。元々、数の優位がオークにあるのだから人質が取られた今、劣勢が更に下り坂になったようなもの。
四対二が四対一になって勝てるとでも?
このまま行けば、駆け出し冒険者と思われる二人はここで死ぬ。
これは疑いようのない事実で、数時間後には嬲り殺されているだろう。
なんでこんなことに。頭を抱えたくなる衝動がくるが、俺は決めなくてはならない。行動を移すとしてどうすればいいのか。
彼女達を見殺す?
俺だけじゃ救えないから?
そう決めつけて見なかったことにする?
無理だ。出来ない。俺はそんなに出来た人間じゃないのだ。
彼女達は十五歳そこらの少女だ。家にいる妹と同じぐらいの歳。このまま黙っているわけにもいかないだろう。
だけど、俺には救うすべがない。
俺は無能だ。剣もロクに扱えず、魔法も初級すら唱えることは出来ない。
だが、だからといって、彼女達を見捨てることはできないのだ。本当に俺はアホなのだろうか。助けたところで何の得にもならないし、見なかったことにすればいいのに。
でも、そんなことをしたら後悔する。
彼女達を見捨てて生きて、後悔を背負いたくない。
俺はそんなものに耐えられないから、自覚しているからこそ、できることもあるはず。覚悟を決めよう。
――助けるのだ。
やれることはやる。彼女達を逃がすぐらいは出来るはず――。
俺には才能が無かった。剣も魔法も使えない。剣を握っても間合いが分からずに空振りし、魔法なんて中等部の子なら造作もない初級魔法ですら扱えないのだ。
それでも俺は下級貴族の出だから留年もなかったし、父と母は自主退学すらも許してはくれなかった。
学園に行けば何回も何回も無能と言われた。近年稀にも見ない出来損ないとも。俺は学園生活において底辺を這いつくばっていた。
学園を卒業した今でも、罵倒とも呼べない嘲笑が嫌でも耳に残っている。
ちゃんと見てくれたのは妹だけ。同級生はおろか下級生も上級生も俺のことを見て、鼻で笑い嘲笑っていた。
俺は無能の烙印を押され、学園を卒業した。本来なら騎士や魔術見習いとして学園を卒業と同時に就職するのだが、俺を受け入れてくれる場所はなく、果てには家からも追い出される始末。
どうにかして生計を立てようとするが、商人になれるような頭はないし、物作りをやるような器用さもない。
俺に選択肢なんてなかったわけだ。下級貴族だからまだ救いだろうが、才能が無さすぎて長男なのに妹が跡継ぎするってどうなんだろうか。
そんな俺は十八歳になり、遅めの駆け出し冒険者になった。
弓の自信はあったのだが、学園の科目では剣と魔法ばかりで日の目を見ることはなかった。学園を卒業時に渡される評価欄は戦闘が最低クラス。座学も最低クラス。
戦闘科目は剣の才能が無かったから諦めるとして、座学の魔法理論は魔法使えないのに分かるかよと、愚痴を吐くぐらいには酷い有り様だった。
結論として、俺が稼いでいくには冒険者しかなかったわけだ。
そんなこんなで駆け出し冒険者となった俺は薬草やらを採取しつつ、野鳥でも狩ろうかと森に入ったわけだが、同じ同業者を発見した。
成り行きを見守るわけでもなく、彼女達は既に負けていたのだが。
こちらは茂みに隠れて存在がバレていない。時間的猶予は無いに等しいが、この現状を覆すためにも手にする武器を確認する。
肩に担いだ弓に十二本の弓矢だけ。武器と呼べるものはこれだけだ。
これだけでオークを倒せるのか。命中させるのには自信があるが、これで致命傷を与えなければいけないとなると不安が残る。
十二本の矢しかない。四体のオークを相手にするには三本の弓矢で一匹を仕留めなければならない計算だ。
一本も無駄には出来ない。狙いは頭か首。一発で仕留める勢いが必要だろう。
心許ない手持ち。どう駆使してもこの状況を打破できそうにない。
だが、やるしかない。
頭で分かっていても、はいそうですかと納得できないのも俺の悪い癖か。
やっぱり俺は無能という言葉が合っているのかもしれない。
ここに俺以外の人間が居れば良かったのだ。だが生憎さま、俺は一人で冒険者活動をしている。一人が好きなわけではないのだが、ギルドにまで無能という評価が行き交っているためだ。
騎士や魔法使いになった同じ学園を卒業した者も、たまにギルドを利用している。そいつらと顔合わせしたら最後、俺がどれだけ無能だったかとギルド中に広めたのだ。
狭い世界が疎ましい。
二日も経てば誰しも指差して笑ってきたし、面白おかしく話は広がったのか俺と組んでくれる冒険者が居なかった、というわけだ。
全く、嫌になるね。目の前で窮地に陥っている彼女達を助けても、無能に助けられるなんて死んだほうが良かったとか言われそうだ。
自嘲しても笑えない。
でも、まあ。俺が助けたいから助ける。そのことに変わりはない。
――弓矢を一本取り出し、弓につがえる。
茂みに隠れている俺は狙いを定め、少女を振り回すオークを標的に定める。狙うは目だ。
肉が分厚いオークでも、目をやられれば一堪りもない。
この距離であのぐらいの的なら確実に命中する。
どれだけ動こうとも俺は当てられる自信を持っている。
外した所で頭に当たればいいという楽観もあるが、一発で仕留められるとはそもそも思っていない。オークの膂力は凄まじいものだが、一番の驚異は生命力だ。
冒険者が与するギルドでも、オークの危険度ランクは割りと高い。肉が分厚く剣が通らないこともあるし、致命傷まで攻撃を与えるためにはこちらも危険な間合いでやり合う必要があるとのこと。
そう、ギルドでは教えられた。
――といっても、弓使いの俺には危険な間合いに入る必要はないのだが。
頭はどんな生物であれ急所。
――集中する。呼吸を止め、神経を研ぎ澄ます。
周囲と同化し、個という存在を消す。自然の流れを掴みとり、風を読み、音を読み取る。
――一射目。
風を切る音。弓を引き、矢を離すと俺は離脱した。場所を悟られたら終わり。俺に近接戦闘は専門外だ。
「グギャア!?」
オークの悲鳴に狙いが違わず命中したことを確認する。そのまま手近な木に登り、再度弓矢を構えた。
木の枝に登った俺は状況を俯瞰し、分析する。
一発目の矢はオークの右目に刺さっていた。狙い通りの場所だ。しかし、致命傷ではあるが、命を落とすには浅かったらしい。
だが、奇襲としての効果はあった。
少女の足を握っていたオークは半狂乱で、手から落とし少女が地面に転がっている。
状況がマシになったと言えばマシだろうか。その一体に同調し、他の三体も興奮しているが元から知能の低いオークが暴れまわるデカブツに変わっただけだ。
まずまずの結果と言えよう。しかし、これで喜んではいけないし、焦ってもならない。
冷静に、冷静に、冷静に。
そんな思考に体は言うことを聞いてくれないらしい。頭は冴えていても、手が汗ばんで呼吸が浅い。
今になって緊張してきた。俺の行動一つで少女二人の安否が別れるのだから当然か。
「くそったれっ」
震える指先を叱咤する。木の枝から狙いを定め、上空から開けた地という好条件の中、どう取り繕っても当たるとは思えない。指先のせいでブレる照準。
弓矢の軌道が読めていても、動くオークに照準が合わない。
怒り狂ったオーク達。醜い咆哮を上げ、襲撃者を血眼になって探している。
彼女達から俺に意識が向かったは良い。だが、当の彼女達が逃げる素振りを見せない。どういうことだ。今なら簡単に逃げられるはずだぞ。
「クソッ」
舌打ちする。良く見れば、オークに捕まれたほうの足がやられている。
捻挫でもしたんだろうが、骨が折れていようと足なんて引き摺ってでも逃げてくれよ。俺にはオーク共を殺す手段がないんだ。
その想いも空しく、彼女達は呆然としている。彼女等を助けたいという俺の意図は簡単に読めるはずなのだが。乱入者が現れたことと、狂乱状態のオークが直ぐそばという状況に行動が追い付いていない。
「やるしかないのかよ……」
振り回した木の棒。オークの知能は低く、奇襲のせいで撹乱状態になっている。適当に振り回す棒が彼女達に当たらないとは言い切れない。被害を抑えるべきならオークを誘導しなくてはならない。
いまだ現在の四体のオーク。姿を見せれば怒り狂って追い掛けてくるだろう。
姿を現して、俺が囮になるべきか?
……いや、まだだ。それは最後の手段でいい。それを実行する時は矢が尽きたとき。
深呼吸して狙いを定める。狙うのは最初の一匹。残った左目を潰す。
――大丈夫だ、必ず当たる。何万回と繰り返した動作は体に染みついている。あんな大きな的、動いていようと外すことはない。
自分に言い聞かせ、矢尻をつまみ、呼吸を止めて――。
引き抜くと同時に木の枝から転がり落ちた。着地の勢いを殺して前転し、そのまま茂みに身を隠す。
姿を見せたら囮になるしかない。走るのは得意でもないし、逃げられる算段も無しにやる策ではない。
俺の命はオーク共に捧げていいものじゃないのだ。
「グギャ、アアア!?」
茂みに潜むと断末魔のような叫び声が上がった。矢は無事に命中したようだ。
急ぎつつも慎重に草をかき分け、低姿勢を維持したまま反対側へ回る。音を立てないように移動した俺は草木の間からオークを眺めた。
矢が刺さったオークは地に伏していた。立ち上がる様子はない。
やったのか……?
一体を殺れた。今だ半信半疑な部分もあるが、オークに狸寝入りをできるような知能はない。ということは、オークは俺が殺した。
一体を狩れた。そのことに自信がつく。オークは低ランク冒険者には荷が重い魔物だからだ。奇襲で成功した戦果でも初めて倒したオーク。誇っていいだろう。
でもそれは後で、妹に自慢しよう。
残る三体のオークが怒りを露に手身近な茂みに突っ込んでいったり、手に持つ棍棒を投げたりしていた。
感慨に耽っている場合ではないのだ。危機的状況は今も続いている。
あらぬ方向へ森に血走ったオークが二体。もう一体は足をやられ倒れている少女を庇うもう一人の少女に相対している。
どうやら、一匹のオークは半狂乱でありながら、怒りの矛先を彼女達に向けたらしい。
「チッ」
弓を素早く射る。こうなったのは想定外だ。出来れば俺を探しに来てほしかった。それなら後退しつつ、一匹ずつ狩ることができる。
放たれた矢はオークの額に刺さるが、分厚い肉が邪魔で脳に届いていない。
「フゴッ、フゴォォォ!」
鼻息荒く、オークは矢が飛んできた方向へ棍棒を投げつけた。巨大な木の棍棒は回転しながら俺の真横を通りすぎ、冷や汗をかいてしまう。
通り過ぎた木の棒の破壊力は人を簡単に殺せるものだ。
直ぐ様、場所を変えようとするが――目の前にあった遮蔽物は消えていた。
隠れていた草木が棍棒によって取り払われ、俺の姿が丸見えとなっていたのだ。
「あ、あなたは……?」
少女達が姿を現した俺に問いかける。返答したいのだが、そんな悠長な場合じゃない。
「逃げろ、バカ野郎ッ。死にたくないならその足、引き摺ってでも逃げろ!」
必死に俺が叫ぶと、正面にいるオークが笑ったような気がした。
獲物がついに姿を現したと。これからなぶり殺してやるぞと。
そんな言葉になっていない思考が読めた。
オークは醜い鳴き声を上げながら、でっぷりと肥やした腹を揺らして向かってくる。
状況の有利は無くなった。逃げて体勢を整え直すか。いや、それは彼女達に被害が及ぶかもしれない。
一瞬で逃げか迎え撃つかを選択すると、俺は弓を構えるほうを選んだ。
オークが猛然と走ってきて、慌てて矢を射る。
オークの頭を通りすぎた矢。まさかこんな距離で外すのか。動揺しつつも、急いで二本目を放つ。頭を狙ったものの、腹に突き刺さる。
どうしてか当たらない。歯がカチカチと鳴り、腕が足が震えてきた。
なんで、なんで、なんで。
オークが振り上げた腕。普段の俺なら避けられるものだ。凪ぎ払うように振るった大腕を屈んで避ければいい。
だが、そうしようにも直撃してしまった。
避けるという手段が思い浮かばなかったというより、足が動かなかった。
「――ッ、ぐっ、ァァァァ!?」
咄嗟に左腕で防御してみたものの、判断を間違ってしまった。
腕がひしゃげている。折れた。変な方向に曲がった。
痛い。腕が熱い。感覚がない。熱と痛みだけが襲ってくる。
「に、逃げなさいよ、バカ!」
「どどど、どうすれば!?」
吹き飛んだ俺を見て彼女達が慌てている。
うるせえよ。お前らのせいだろ。さっさと逃げろよクソ野郎ッ。
そんな暇なんてないのに、痛みに支配された俺は益体のないことを吐いてしまう。もちろん、オークは待ってはくれなかった。
追い討ちとばかり短い足で蹴ってくる。
腹に受けた衝撃。
これは夢なのだろうかと、吹っ飛びながら思った。思考が考えることを放棄してしまいそうになる。オークが目と鼻の先に居て、俺を殺そうとしているのに。
いやだ、しにたくない。脳内を支配するのはそんな言葉。
「う、うぇぇぇ」
地面を何度も転がり、痛みと恐怖がない交ぜとなって胃の中身を吐き出す。
「フゴ! フゴッ!」
醜い顔をしたオークは近付いてきて、俺の頭を捕まえる。そのまま地面に何度も打ち下ろしてきた。
いたい、やめろ、しにたくない。
地面に何度も打ち付けられ、頭が割れそうな衝撃に堪える。鼻が折れた音に口内が裂けて血が流れる。
鼻からも血が出ており、涙で視界が滲む。
やっぱり、無理だったのか。俺は無能。出来損ないのダメ人間。
信頼されず、頼られはしない男。
そんな人間が人を助けようとするのが間違っていたのか。
歪んだ視界。
死にたくない。でも、彼女達を見過ごせなかった。助けたいと思ったから行動した。
後悔はない。俺の実力が不足していただけ。
「リティッ! 撃ちなさい!」
「は、はい! ファ、ファイアーボール!」
火球がオークの頭を穿つ。焼け焦げた臭いを充満させ、オークが悲鳴を上げて後ろを振り向いた。
彼女達の援護に、オークの意識が俺から向く。
彼女達のほうへ歩いていくオーク。
先程の魔法は致命傷になっていない。魔法使いの子が詠唱しているが、明らかに遅い。一撃で殺すために高威力の魔法を唱えているのだろうが、それじゃ間に合わない。
もう一人は剣を握っているも、足を潰されて立つことすらままならない。
あの子達ではオークの餌食になるだけ。
――ああ、守らないと。彼女達を守らないと。オークを俺が殺さないと。
それに、こんなところで死んでたまるか。
歯を食い縛る。
だが、曲がった左腕は使えない。残った右手で何が出来る?
自問自答。
両手がなければ弓は使えない。魔法なんて詠唱すら出来ない。
無能と言われ、出来損ないと言われ続けたから、己の出来ることを理解している。ならばこそ――。
「――おいっ! 剣を貸せぇぇぇぇ!」
「え、剣!? こ、これね、はい!」
喉がつぶれそうなほど叫んだ。勝機は五分。だが、やってみせる。
放射線を描いて投げ渡された剣。受け取ってみると左腕が折れたせいか、重心が崩れて倒れそうになる。
踏ん張って堪えると体中が悲鳴を上げる。焼けたような痛みに奥歯を噛み締めて無視――。
少女から投げ渡された剣を確かめる。薄青色の刀身、束の部分は装飾がなされたもの。持ってみれば岩を切れば逆に折れそうなほど軽い。その分、切れ味は期待できそうだった。
これならいけると俺は――。
揺らめく視界。顔は血だらけで、目に流れた涙は邪魔だったが、拭うことはしない。剣を強く握り、殺意を持ってオークを睨み付ける。
オークとの距離は僅か五メートル。三歩も跳べば間合いに入る。
しかし、俺は距離を詰めることはしなかった。
――俺は無能だ。
俺には剣の才能がない。魔法の才も無ければ、学の才もない。
剣を振るえば空振りするし、学園にいた頃に実習で剣を振るった日には何度も馬鹿にされた。オークに対して剣を振ったところで一撃で殺らねばこちらが殺される。
だから、俺は剣を振らない。振らずにオークを殺すにはどうすればいいか。
振って当たらなければ剣を投げればいい。
簡単なことだ。確実性を求めた結果がこれに行き着く。
剣を逆手に持った俺は、投擲の構えを取った。剣先の角度を調整し、体を捻り、渾身の力を込めて――。
「――貫けええぇ!」
倒れる勢いで振り抜いた剣は真っ直ぐと飛んでいった。放たれた青色の線がオークの喉元を打ち抜き、貫通する。
「グギャ、アァァ!?」
血飛沫を上げ、倒れたオーク。
どうみても即死だろう。これでオークが生きていたら勝ち目がない。
俺はそれを見て、力が抜けた。もうほとんど駄目な状況からオークを倒したのだから心の奥隅で安心したのだろうか。
まだ森にはオークが二体居る。それも気配を感じれるほどの近場だ。
逃げなきゃいけないっていうのに、意識が保てなくなってきた。
朦朧としている。女の子達が俺に駆け寄ってきて何か喋ってきているが、何を言っているのか分からない。
ああ、眠い。
俺の叫び声やオークの断末魔で残り二体のオークが戻ってくるかもしれないのに、俺の意識は闇に誘われていく。
ダメだ。起きていないと……。こんなところで死にたくない。
そんなことを思いつつも、俺の意思とは反対に、視界は暗転した。
目を覚ますと見慣れない天井だった。俺の家でもないし、実家の部屋でもない。
俺、何してたんだかと改めてみると、森に行っていたことを思い出す。
あれでも、なんで俺は寝ているんだ。
「っ、ぅ、あぁ?」
とりあえず、起きようとしてみると体に激痛が走った。痛みに叫ぼうにも喉が枯れている。声が出ない。
その呻き声にベッドの横に居たのであろう人物が顔を上げた。
目線を向けると茶色の髪を伸ばしたおっとりした子。涎を腕で拭き取るや、俺と視線が交差した。
「お、お目覚めです! ティリアちゃん!」
そう言って背を見せ、揺する音。
「う、んん。……あ、リティ。おはよ、起きたの?」
「おはようです、ですっ!」
少女二人が俺を覗き込むことで思い出した。そういえばオーク共に襲われていたところを助けたんだったか。こうして生きているってことは無事に森から抜け出せたのか。
二体倒したところで気を失ってしまったから駄目かと思っていた。いや、本当に良かった。安堵の息を吐く。
「あ、あのさ、ありがと。助けてくれて」
「ティリアちゃん! もっと感謝するべきです!」
「う、うるさいわねっ。そう言うなら、リティが感謝すればいいでしょ!」
どちらも美しいと称していい顔立ちの少女で、少し幼い雰囲気もあることから十五歳とかそんなところ。
ティリアと呼ばれているほうが気が強そうな感じ。つり目気味で眉が寄っていて、艶のある金髪は育ちの良さを窺わせる。
もう片方のリティと呼ばれた少女は茶色の髪を伸ばした子で、おっとりとした雰囲気がある。
身なりからしてどちらも貴族だろう。冒険者として活動もしているようだから学園の生徒か。
言い合っている二人は微笑ましいが、お願いしてみる。
「なあ、水をくれないか……」
体が水分を欲していた。俺の切望におっとりした子が水差しをくれた。有り難く受取り、右手で流し込むように飲んだ。
「ありがとう。……で、ここは?」
一息つけると二人に質問する。森から上手く抜け出せたとして王都に帰ってきたのか。
「ギルド指定の宿よ。あなたが目覚めるのを待ってたの。あ、傷はリティが治したから安心しなさいよね」
「な、治しましたけど、安静にですよ?」
ギルド指定の宿ということなら王都で間違いない。どうやら無事に帰ってこれたようだ。これで一安心か。
彼女達が言ったように、オークに手酷くやられたはずだが、顔や腹を触ってみても傷がない。ひしゃげていた左腕も折れた鼻も治っている。
この子、回復魔法も使えるのか。優秀だな。
「……ありがとう」
「いえ、その言葉はわたし達の言葉です。本当に助けて頂いてありがとうございました。ファルトさんには何かお礼もしたいと思ってますので期待しておいてください」
おっとりしているリティが頭を下げる。片手で制すが、途中で止まった。
「いやお礼なんて……って、なんで俺の名前を知っている?」
無能のファルト。ギルドか学園なら一度は聞いたことがある名前。
「これよ」
金髪のティリアが手に持って見せてくるもの。首にかけることを義務付けされているギルドプレートだ。ブロンズの色をした板には俺の名前があった。
「……返してくれ」
「ええ。あなた、無能のファルトなのね」
「ティリアちゃん!」
彼女が口にして俺は俯いた。
無能と指を差された嘲笑い。かしましい嘲笑。ずっと言われ続けたものだ。嫌でも耳に残っている。
でも、そんなのは聞きたくはない。
「……そうだよ、俺は無能だ」
だけど、俺は自覚している。才能がなかったから。笑われるのも当然だからと何も反論しなかった。
家にも迷惑をかけた。可愛い妹には無能の妹というレッテルを貼ってしまった。
俺は無能になりたくてなったわけじゃないのに。
「そんなことないじゃない。あんた、無能には見えなかったわ。オークへ単身で向かっていけるんだから、そこらの騎士より優秀でしょ。こんなことあるから世間の噂って信用出来ないのよね」
「ティリアちゃん……。 そうですよ、弓の腕前も凄かったですし、一人でオークを倒したんですよ!」
「そうそう、弓なんて目に連続で当ててたしね。凄いと思って……。あ、もしかして、学園の科目で弓がなかったから無能なんて言われてたの?」
彼女達の言葉で報われた気がした。今まで散々に馬鹿にされ続けた。誰も俺のことを見てくれず、無能と笑ってくる行為。
へらへらと媚びを売るように笑ってきた学園生活。それもやっと解放されたと思ったらギルドでも続きが始まって。そろそろ堪えられそうになかったのだ。
ちょっと嬉しくて笑う。
「ちょ、ちょっと、なんで泣いてるのよ!?」
「ほんとです! ど、どこか痛みますか!? 治しますっ!」
「な、泣いてなんかねえよっ。目にゴミが入ったんだよ」
よかった。彼女達を助けて。こう言われただけで、俺にとって何倍もの報酬だ。
冒険者をやって良かった。これからも腐らずに頑張っていこう。そう思えた。
無能というあだ名が定着したギルドでも、パーティが組めない俺でもやれることがある。
「ねえ、あんた。良かったら私達とパーティを組まない?」
と、思っていたら彼女達からのお誘い。
「は?」
「ほら、私達って後衛がリティだけだし、あんたの腕を見込んで頼んでるの」
「はい、是非っ。一緒に依頼を受けたいです」
「……俺は無能って言われてんだぞ?」
「全然、無能じゃなかったんだけど。あんたが無能なら低ランク冒険者の大半が無能でしょうね」
「……こんな俺でも、いいのか?」
「自信持ちなさいよ。あなたの弓って高ランク冒険者でも通用するわ。まあ、近距離はダメダメだったけど」
「……俺に近接戦闘は専門外なんだよ」
「決まりですね! わたし、リティーシアって言いますっ。リティって呼んでください!」
俺の手を両手で握り締めたリティが朗らかに笑う。どぎまぎしてしまうような笑みに、俺は引きつつ挨拶した。
「お、おう。俺はファルト、よろしくでいいのか?」
「ええ、よろしくね。私はティリシア。ティリアでいいわよ」
ティリアもリティの笑みに釣られて頬笑み、俺に名乗ってくる。
どうやら、これからの冒険は俺一人じゃなくなるようだ。
彼女達との出会いで、これからどう変わるのか。それはまだ分からないが、きっと冒険者としての俺の道を明るく照らしてくれそうであった。