「断ると言った。今すぐ元の世界へと帰せ」
「っ、たた……ここは……」
一瞬気を失っていたらしく、俺は頭を抑えながら立ち上がる。少し痛みはあるが、特に怪我はしていないようだった。せっかく買ったフィギュアやぬいぐるみがそこらに散らばっているが、それを気にしている余裕はない。
辺りを見渡すと、真っ白い空間が広がっている。どこまでもどこまでも続いていて、地平線も見えていない。玄関から見えた光景と似てはいるが、違うのは足にちゃんと大地を踏む感覚があるというところか。
天国というには殺風景すぎるし、不気味なくらいに何もない空間だった。
ふと、後ろから気配を感じた。
振り返ると、豪華なドレスに身を包んだ女の姿があった。姿はあるのだが、どこからか垂れ下がっている天蓋に隠れてうまいこと顔だけは見えない。いつの間にかあるソファに横になり、まるでこちらを品定めするような視線だけが刺さる。
先ほどまではそんなものはなく、音も気配もなく不意に現れたそれに動揺を隠せないが、意を決して話しかける。
「あの……」
「あ、喋らないでくれる? 今見定めてるから」
その女性の発言に、困惑と、ほんの少し怒りを覚えたが俺にはそれ以上何かすることはできないので、とりあえず待つことにする。
ジロジロと見られているのは正直気持ちがいいものではないが、我慢して待っていると女性が話し始めた。
「えぇ、合格だわ。喜びなさい。あなたは勇者になれるのよ。光栄に思いなさいな」
思考が停止する。言っている意味がわからない。
「じゃあ早速行ってきてもらいましょうか」
「いやいやいや、説明しろっつーの! こっちは意味がわからないんだけど!」
いきなり異世界だと言われても、全く意味がわからない。説明不足も甚だしかった。異世界? 勇者? 意味が全くわからない。思考が追いついていかない。
「だから、あんたたちの言葉で言うところの異世界? に魔王がいるから、そいつを倒してきて頂きたいの。そのためのスキルはあげるから。勇者に選んであげたんだから、むしろ感謝して欲しいぐらいね」
「だから説明が足りねぇんだよ!」
「その通りですよ。貴女は昔から説明が足りないのです」
もう1人女性が現れた。澄んだ水色の髪の、スタイルの綺麗な女性だった。
「初めまして。月日春人さん。私は……そうですね、元々名前を持たないので、地球の女神とでも呼んでください。あっちは妹なんですけれど、妹の方は異世界の女神とでも」
「此度の召喚、姉様には許可を取ったと思ったけれど?」
「本人の意思の尊重を優先するように、とも言っていたはずです。それに、あんな説明もしないで無理やり放り出したら、本人の意思も何もないでしょう。あなたはいつもそうやってまるでゲームでもするかのように……」
俺のことを無視して、女神の姉妹? は言い合いを始めてしまった。
俺はついていけず、ただただ放心する他なかった。
しばらくすると、水色の髪の……地球の女神がこちらへと近づいてくる。
「申し訳ございません。妹が勝手な真似をしてしまいまして。ただ、妹の世界のために、どうか勇者として異世界に行って頂きたいのです」
地球の女神は頭を下げて頼んできた。そして、事情の方の説明を始めた。
なんでも、その異世界とやらは剣と魔法のファンタジー世界らしく、その世界の管理の一環として魔王という存在を作り、その世界の人間をより強く成長させるように仕向けていたそうなのだが、どうやら魔王を強く作りすぎてしまったようでかなり大変な状況にあるらしい。
そこで、適正のある人間に特別なスキルを与えて魔王を退治させようということになったそうだが、その適正のある人間というのがその世界にはおらず、地球の女神の世界……つまりは俺が暮らしている世界を探してようやく見つけたのが俺ということらしい。
「まぁ、他にも適正のある奴はいたけど、あんたが一番適性が高かったのよ」
説明を受けている最中に、異世界の女神はそう割り込んできた。
さっきからやけに態度がでかいし、なんだか気に食わないんだよなこいつ……。
「とりあえず、事情は以上ですが、どうでしょうか。異世界に行って頂けますか? 魔王討伐した際には、なにか願いを言っていただければ叶えさせていただきますし」
地球の女神は、俺に選択を迫る。後ろで異世界の女神が、当然異世界に行くだろうとでも思っているような顔をしている。
俺の出した結論は。
「断る」
「じゃあ早速異世界にいっ……え?」
「断ると言った。今すぐ元の世界へと帰せ」
俺は宣言した。宣言して、帰るべく周りに落ちていたフィギュアやぬいぐるみを拾い集め始める。すると、異世界の女神が気の狂ったような金切り声で俺に問い詰めてきた。
「あなた、わたくしの言うことが聞けないというの? いったい何だっていうのよ!」
「魔王を倒すだなんて危険なことをするより、家に帰ってアニメが見たいんだ、早くしろ。もうアニメ始まってるんじゃないのか? リアルタイムで見れなかったとか最悪すぎるぜ。一体どうしてくれるんだよ?」
いや、最悪もう放送自体終わっていそうなもんだ。けれど、それは女神だというのであれば、アニメの間に合う時間に返すことぐらいできるだろう。むしろ勝手に連れてこられたんだから、それぐらいやれというものだ。してくれないと困る。……録画予約はしていたはずだが、できればリアルタイムで見たいのだ。
相変わらず天蓋で女神の顔は見えないけれど、声からも察せられるように怒っているように見える。こちらとしては、当然の要求をしているだけなのに。逆ギレをされても困るというものだ。
「よくもこのわたくしをコケにしてくれましたわね……、もう許しませんわ……、よろしい、勇者としての使命はなくしましょう。その代わり、元の世界にも帰れないのだけどね!」
「っ! いけません!」
異世界の女神はそう高らかに宣言をし、指をパチンと鳴らした。それと同時に、地球の女神が駆け寄り、俺を庇うように覆いかぶさる。
俺と地球の女神、それから俺が抱えていたフィギュアとぬいぐるみに光が纏う。さらに異世界の女神がなにか結晶のようなものを俺の周りに纏わり付かせる。何が起きているのかはさっぱりだが、なにか大変なことが起きているというのはわかる。
「これは、転送の術式? それもこんな強引な形で、私ごと? それに、本来与えられるスキルだけではなく、こんな呪いを春人さんに与えるつもり? こんなことをしたら、どうなってしまうかちゃんと分かっているの貴女は!?」
「分かっていますわよお姉様。けれど、その男が悪いのですわ。その呪いを手に、異世界でのたれ死ね! お姉様も今日までご苦労様ですわ。そのままその男と一緒にわたくしの世界を楽しんでくださいませ。それでは、ごきげんよう」
女神がそういうと、光がより強く輝く。あまりの眩しさに目を開けていられず、その光に飲み込まれ、俺の意識はそこで断たれた。
ーーーーーー
『……さん! 春人さん! 起きてください! 起きてくださいってば!』
何かに身体を揺すられて、ようやく意識が戻ってきた。
俺は女神に何かをされて、でも生きていて……ここは、どこだ? ひらけた草原と大きな湖があり、そのほとりで倒れていたらしかった。
『あぁ、よかった。このまま目を開かなかったらどうしようかと』
脳内に直接響くように何かが喋る。その声の方というか、俺の身体の上に何かが乗っかっている。あれは……くじで当てたぬいぐるみ? そのぬいぐるみが、俺を起こそうと動いていた。
「うわっ! ぬい、ぬいぐるみが動いて……って、んん? 俺の声もなんか変だぞ?」
俺の口から出てきた声は、どこか聞き覚えのある、やけに高い声だった。
ぬいぐるみは、湖の方を見るように俺の身体をくいっと引っ張った。
そこで見た俺の顔は、「魔法勇者☆マジカルあきな」の主人公、あきなちゃんの顔だった。