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第1話 ウィンドリー侯爵は荒れ模様




 近頃、ウィンドリー侯爵は少し荒んでいた。


「くそ何だこの忙しさは今日も書類の山が片付かない。俺の領地は大飢饉か!」

「不謹慎なこと言わないいい!」

「いてっおいくそ従者! 主人は大切にしろよ!」

「あんたが領主にあるまじきこと言うからでしょうよ!」


 ツカツカツカと足音荒くも邸の廊下を歩く男は、背後から同じ年ほどの男にタックルじみた口ふさぎを受けた。

 不意打ちに軽く前のめりになったあと、誰であろうウィンドリー侯爵その人は主人にすべきことかときっと側近を睨む。――その目つきの悪さといったら、視線が武器になるのならどんな鍛冶屋が作った名剣よりも鋭い。おまけに人を何十人か殺しているだろうというほど。服装を変えたならば道行く人の十人中七人くらいは侯爵だと思わないかもしれない。念のため、目つきだけは。

 藍の目はそんな風に冴え冴えしているが、彼の顔かたちは悪くないどころか精悍で整ったもので、邪魔にならないよう後ろに流している藍がかかった黒髪はさまになっている。背丈は高く、体つきは腰に剣をはいていることもあってか軍人のようである。

 だが、目つきが悪いことは難点にしかならないし加えて今はぴくぴくとこめかみが引きつっているので、なまじ顔がいいだけに迫力が増す。無論、悪党のような方向に。


「その領主様が頑張ってるのに、何だって……ああくそ!」

「口悪いですよリューク様」

「仕方ない!」

「それは開き直らないでください」


 手にしている数枚では収まらない紙の束を難なくぐしゃりとやってみせ、「くそ」などと高い身分らしからぬ悪態をついた。

 上品な衣服とは正反対に言動が悪党じみている男が立ち止まっている邸は、侯爵邸にふさわしき装いがなされている。男にとってはわけのわからないどでかいばかりの絵が大げさな額縁にはまって廊下を飾り、同じく何をモチーフにしたのかわからぬ彫刻。

 それから、使用人の飾る花が花瓶にささって味気ない邸に色を与える。

 突き当たりには、煌びやかな装飾施された剣がかかっており、きらりと赤い宝石がわずかな光を反射させる。

 その光景で構成されている廊下を再び荒々しい足取りで前進し始めた男、リューク・ウィンドリー侯爵は御年二十七。独身である。その年ながら、もうその地位を継いで十年になろうとしているか……。

 そんな彼が納める土地、ウィンドリー領は国の東部に位置する。気候さながら、領民が温厚穏やかなところである。



    ◇◇◇



「饑饉だなどと縁起悪いことおっしゃらないでください」


 ぱたん、と執務室の扉を閉めてから従者であるティムは息をつきつつ部屋の奥へと行く主人をたしなめる。


「むしろ近年まれな大豊作ですよ」


 ウィンドリー領はまさに今、実りの時期を迎えていた。

 質のいい葡萄酒で知られるため葡萄が多く育てられているが、その葡萄はもちろん他に育てられているどの作物も今年はここ何年かを振り返ってみると豊作も豊作という喜ばしい限りの報告がなされている。

 部屋の奥の、上質な木で作られた執務机の横を通っていたリュークは間髪入れずに顔だけ振り返り従者を見る。


「だからと言ってなぜ領主の俺が! 領内を回って! 領民の収穫状態を! わざわざ! 見に行かなくてはならん!」


 カッと見開かれた目が異様だ。

 だがそれにひるむことなく従者は返す。


「無視すればいいのではないですか」

「部下の人柄を知った上でこき使う方が効率がいいだろう。その機会があちらから手をこまねいてやって来るんだ。怠るわけにはいかない」

「すみません、軍の上下関係ここに当てはめないでください。なにがあんたが上官で領民が部下ですか」


 ウィンドリー領の領地はそこそこ広い。土地に比例して領民の数もそこそこになるのだが、一人残らず人が良く明るく、また、領主に対して物怖じしない。言い方を変えると気安い、とも言う。

 それは先代領主であったリュークの父の人柄が反映されており、彼が続けていた収穫時期に報告のあった全ての領民の元へと訪れるという正気とは思えないやり方が今もなお続いている。領民が勝手に陽気に領主邸まで来ることもある。押しかけるとも言う。そういう意味では強制的かもしれない。

 今日も今日とてほぼ一日中馬で領地を駆けていたリュークは馬に乗るのは苦にならないとはいえ、さすがに疲れが隠せていないという所存だ。これが五日目にもなる。年数にすると家督を継いだ年と同じ。十年近く続けていることになる。嫌ならばとっくにやめており、領民もそれに倣うだろう。

 従者は「そういう距離感が嬉しいくせに……照れ隠しがざつい」と壁にある装飾を直すふりをしながらぼそりと呟いた。もちろん、リュークには聞こえないようにだ。

 当代領主、従者の主人はある意味扱いが難解なのである。


「無視することが矜恃に障るのであれば、下の者におまかせになればよろしいでしょう。たとえば私とか」

「領民は、俺に、見に来てほしいと言っているんだ」

「いや、領主ぶっ飛ばして下の人に言うわけないでしょう」

「……え、俺って直接見に行かない方がいいのか?」


 他の仕事も停滞しない程度にこなしながら領内を駆け回っている当の領主が驚愕の顔をする。

 そんなはずはないだろう、先代から変わらず領主自らに来てもらってどれほど領民が嬉しそうな表情をしているか。

 収穫時期でなくともときおり馬駆けのついでと称して畑で働いている領民の元を訪れる領主の馬の蹄が地面に立てる音が聞こえてきて、作業で疲れ果てた領民の表情がほころぶことを本人は知らない。

 従者は馬鹿らしくなってこの話題を切り替えることにする。けれど、決して無関係ではない話題。


「リューク様がこの時期ご多忙なのは当然ですが、それを増幅させているのは山賊のことでしょう?」


 悪態をおつきになっていたのも。

 廊下での言葉は半分が大豊作での領地回りの嬉しい悲鳴。もう半分は領地に影を落としている存在への本気の悪態。

 従者はそのことを指摘した。


「せっかくの大豊作が台なしになりかねない」


 真面目な表情に変わったリュークはようやく椅子に尻を落ち着けるかと思いきや、そのまま机に腰掛ける。どうも腰の位置が高いので腰掛けるのにちょうどいいらしい。


「リューク様、お行儀が悪いですよ」


 二十七の男になぜに行儀を説かなくてはならないのか、と思わないでもないが従者としては今さらなので一応形だけ注意する。聞く耳を持つくらいならはじめからしないので、力は入っていない。

 案の定、従者の主人は動かない。顎に手をあて何やら考え込み始めているようだった。

 今は机の上に置かれている書類はとある問題についての報告書。もちろんのこと、ここウィンドリー領に関する問題。それも、中々に小さくない問題である。

 最近どこからか大移動してきたらしき山賊が名前の通り山を拠点にしながら、山に留まることなく山からおりてきて領地にちょっかいをかけてきているのだ。

 すでに何人か捕まえているものの、数は一向に減らずよほど大規模な山賊だと推測されている。その被害に頭を悩ませている。

 リュークの言葉通り大豊作が一転して最悪饑饉のような状況になる可能性を秘めている問題だ。

 そういうわけで嬉しい悲鳴にしろ普段は隠しきれないそれがちらついているはずなのに、今日直接被害を確認することにもなったからか全体的に悪態に聞こえたのだ。


「奴ら山をすでに知り尽くしていて捕まえることが出来ない。数が多いくせにそれを利用して見事な連携で逃げる」

「それ、もしかして褒めてしまってません?」

「とにかく数が多い。山賊はあんなに数が多いのが普通なのか」

「子だくさんなのでは? うらやましい限りですねえ。うちの侯爵様ときたら結婚もなさっていないのに」


 若き侯爵といえど、その年は二十七。とっくに結婚していてもおかしくないのに未婚なのである。


「うるさい。養子を取れば跡継ぎ問題は瞬く間に解決する」

「瞬く間には養子縁組は整いませんよ。色々複雑で時間のかかる手続きがあります」

「そのときは任せた」

「結婚なさる気ゼロですか」

「早く山賊の問題をどうにかしなければならない」

「あ、しらばっくれるのですね。……抱えている問題が最優先であることは確かですが。国軍に要請書を送った方がよいのではないですか? それが一番確実でしょう、それにその情報で逃げてくれる可能性もあります」

「だが、手間があって時間がかかる。今日要請書を出したとしても王都につき、要請が受理されるまでが長い。

そうだな、いっそ俺が何日か山に籠もるか」

「は?」

「そう考えると俺が討伐しに行った方が早いよな」

「どう考えたんですか、あんた」


 互いに長い付き合い、主人の突然の突拍子もない思いつきに従者は鋭いツッコミを入れざるを得ない。


「山賊の仲間に入って中から奇襲をかけるというのも手だな」

「それだけは絶対ぜっったいやめてください。討伐するどころかその内自ら山賊率いてそうなので」

「その手もあるな。きっちりギタギタに懲らしめて手下にするっていうのも捨てがたい」

「私兵になさるおつもりですか」

「いや……私兵だととられれば数によっては国賊の濡れ衣着せられかねないから、なしか」


 「善良な領民にもまれて善良な領民にしてやり一生俺の領地を肥やさせるか」……などと真顔で独りごちているから従者としてはたまったものではない。本当にしかねないからだ。山賊を。

 領民も領民でおそらく人殺しなどでなければころりと受け入れてしまいそうだ。山賊を。

 なんという絵面。従者はそこまで考えてきっぱり提案する。


「国軍に任せましょう。完全確実です」

「しかしな、手間が……」

「例の舞踏会」


 リュークがあらぬ方を向いた。


「気が進まない」

「そうはいかないことは分かってらっしゃいますね。お忘れかもしれませんので申し上げておきますが、明後日、明後日出発です」

「今何で二回言ったんだ」

「特に理由はございません。リューク様にはお心当たりが?」

「ないな」


 どうしてこんなに自信満々の答えを寄こせるのか。先ほど気が進まないと言ったリュークは迷わず言った。従者は慣れているとはいえ頭が痛い限りで、半目を主人に向ける。

 すると主人はぼやく。


「何でこんなに忙しい時期にするんだか。他の貴族どもだって忙しいだろう」

「元々決まっていたではありませんか、皆様考えていらっしゃるでしょう。それにリューク様ほど滅茶苦茶に忙しい方はいらっしゃいません」


 代行がきく仕事もある。なんであんた今かなり忙しいのですか。それは収穫時期だから忙しいことは当たり前ですが、どこの侯爵が自ら領民の元へ今年の作物の実り具合を確かめに行くというのでしょうねえ、と本音を語りたかったが従者は話を進めることを選んだ。


「それに、話を戻しますが、今から国軍に賊討伐の要請書送りさらに舞踏会ついでにリューク様が手続きの手間をお省きになられてきてはいかがですか」


 国軍につてがある主人に従者は舞踏会に進んで行く目的を提案した。思いつきだった。


「ティム、」

「はい」


 ふいに従者の名前が呼ばれた。


「それだ!」

「……はあ」

「よし今すぐ要請書を書いて送り王都で――城に行き俺が無駄を省いてきてやる」

「あ、本当にするのですね」


 さすがに手間を省く云々は課程として必要な手続きであるので、それとなく言い含めるくらいを思い描いていた従者は主人の思考展開をまだ完全には理解し切れていないと言える。一生無理な可能性が拭いきれない。

 おそらくリュークは言葉の通り、実際に、物理的な意味で手間を省くはずである。具体的に例をあげるとすれば、段階を踏んで正式な要請と書類が出来上がるのを後付け――つまりは国軍が動き始めてからそれらが出来るように働きかけるつもりである。


「ああその前に俺が留守にする間に山賊を牽制できる手はずを整えなければな」

「用意、出来ております」

「ティム、お前先見の明があるのか」

「いえ、リューク様が領地をお留守にされることは分かっておりましたので、山賊が現れたときに……あんたもしかして残るつもりだったとかではないでしょうね」

「さあとっとと王都に行くぞ!」


 こうしてウィンドリー侯爵は国軍に賊討伐要請受理の手間を省きついでに舞踏会に顔を出すことにした。






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