女と勇者
ローザルの記憶は貧しい辺境の村で、母と二人で暮らしているところから始まる。
父はいなかった。
そのことを気にしたことはなかったが、自分と母親がまったく似ていなかったので、本当の子供ではないのではないかと思ったことはある。
その疑問を母親にぶつけてみたりもしたが、
「私たちのお母さんも、お父さんも、立派な人よ。あなたはその血が濃く出ただけよ」
と言われ、そういうものかと納得した。
その言葉通り、母は村で浮いているように感じていたからだ。
どれだけボロボロの衣服を身に纏おうとも、食べる物がなくて痩せ細ろうとも、他の者にはない輝きがあった。
貧しい村に男手を提供できない自分たちであったが、そのことを責められた記憶はない。
というのも、母は魔術を使えたからだ。
怪我や病気などで貴重な労働力が減ることを防げる治癒魔術は、さらに貴重だった。
母はローザルが物心ついた数年後にヘルヘイムへと旅立ったが、まるで自分の死期を悟っていたかのように、自分の持ちうる全ての知識を短期間で娘に教え込もうとした。
魔術の知識や国の歴史に関する昔話など、今後の生活に確実に必要になることから、およそ田舎では必要ではないであろう礼儀作法や文字の読み書き、果ては剣の振り方まで多岐にわたった。
だがやはり短い間にその全てを完全に受け継ぐことはできず、中でも不得意であった魔術は優先的に覚えさせられた治癒魔術以外は使う機会がなかったこともあり、さらに不得意となった。
唯一ものにできたのは、ほとんど教わる必要のなかった剣だけであった。
母亡き後は村長に引き取られて、育てられた。
村としても、幼いながらに魔術を使える娘を放り出す選択はなかったのだろう。
母からの稽古を受ける時間が無くなり、必然的に村の子供たちの空き時間に一緒に遊ぶ機会が増えた。
少々立場が異なるローザルだったが、抜群の運動能力を持つ彼女はすぐに人気者となった。
ただ。それは大人たちから見れば、人間離れしている、としか言いようのない力だった。
ローザルが成長するにつれ、村の大人たちは彼女を不気味に思うようになっていった。
遥か年下の女の子が、自分たちは理解すらできない魔術を使い、異常な力を発揮する。
本当に自分たちと同じ人間なのか、と。
決定的なことが起こったのは、戦争が起こる一年前の冬である。
村の近くの森に魔獣が出現したのだ。
魔族が棲むようなマナが濃い森ではないので、どこからかはぐれてきた魔獣なのだろうが、対抗策を何も持たない村にとっては死活問題だった。
ただでさえ少ない食物を食い荒らされ、たまらず討伐に出た男衆を返り討ちにする。
領主に頼もうにも、税収もわずかな辺境の村に、わざわざ兵を寄こしてくれるとは考えづらい。
村人が不安と恐怖で顔を青くする中、ローザルだけは平然としていた。
いや、不思議そうにしていた。
大人たちの話によると、魔獣は狼のように素早く地を駆け、馬のように巨大で、猪のように凶暴だという。
ローザルは、それのどこが危険なのか解らなかった。
ローザルはすでに、狼よりも速く走ることができたし、馬を持ち上げることもできたし、猪の突進を受け止めたこともある。
だから。
ローザルが困り果てる村人を尻目に、一人で、錆びた斧を片手に森の中へ入っていったのは、当然だったのかもしれない。
あるいは、無自覚ながら勇者の血を継ぐ者としての正義感だったのかもしれない。
あるいは。
成長し、その異常性を悟った子供たちからも距離を置かれ、ついに居場所を失ってしまった現状をどうにかしようとした、子供染みた動機ゆえだったのかもしれない。
ともあれ。
あっさりと仕留めた魔獣をその小さな体に担いで、笑顔で村に戻った少女は、今度こそ決定的に排斥されるのである。
しかし少女の居場所はすぐに与えられることとなった。
交通の便が悪くても、連絡手段がなくても、いかな辺境であっても、悪い噂というのはあっという間に駆け巡る。
曰く、化物のような少女がいる。
曰く、一人で魔獣を倒したらしい。
曰く、凶悪な魔獣を引き付けるらしい。
噂が領主の耳に届くまで、さほど時間はかからなかった。
そして他者と異なるからというだけで、ただ排斥しているのでは、領主は務まらない。
幼い体に宿すその可能性に目を付けた。
それになにより、この国では一つの王命が下っていた。
百年以上前より変わることなく出されているお触れ。
すなわち、『勇者を探せ』。
領主はすぐに少女の確保を命じ、同時に王都に伝令を走らせた。
わけもわからず領主の前まで連れてこられたローザルは、そのまま王都まで輸送されることとなった。
なに一つ事態を把握できないまま、あれよあれよというまに王との謁見の場にまで担ぎ出され、二度と使うことはないだろうと思って記憶の片隅にぶち込んでおいた礼儀作法を思い出そうとしていると、
気が付けば、ローザルは一振りの剣の前に立っていた。
どこかの建物の床の一部と思われる瓦礫に、刀身を半ばまで埋めた長剣。
身なりで自身の身分を主張する連中に囲まれながら、言われるがままに柄を握り、瓦礫を足で押さえながら剣を引き抜く。
あっさりと引き抜かれた剣は美しく、不思議なほどに手に馴染んだ。
周囲にどよめきがおこる。
剣を手に、立ち尽くすローザルに王が近寄って、空いた方の手をギュッと、力強く握りしめる。
「待っていたぞ、勇者よ」
こうして。
少女は勇者となり、
戦争が始まった。
ローザルはようやく自分の居場所を見つけたと思った。
自分にできることを見つけたと思った。
だがそこはニブルヘイムよりも暗く、冷たい場所だった。
自分のために始まった戦争で、
自分のために他の誰かが死んでいく。
ローザルが覚えた治癒魔術など、ほとんど何の役にも立たなかった。
他の魔術については更にだ。
自分にできることは、誰よりも先陣を駆け、ただ我武者羅に剣を振ることだった。
仲間だけでなく、魔族も弱かった。
想いも、過去も、未来も、現在の命も、すべて一刀の下に斬り捨てていく。
全てを斬り進んでいくと、気が付けば魔族の王都のすぐそばまで辿り着いていた。
自分だけはほとんどなんの怪我もなく。
周りの面々が頻繁に入れ替わる度、果たして自分に与えられた役割は、本当にこれであっているのだろうかという自問の思いは、どんどん膨らんでいった。
ユールで騒ぐ仲間には、なぜだか抱く罪悪感で馴染めず、一人離れて歩く。
幸い、酔った仲間たちは気が付くことはなかった。
足の向くままに歩いていると、小川の先に、自分の髪色とよく似た花が、ポツンと咲いているのを見つけた。
その様が自分と重なって、地面に膝をつき手を伸ばす。
あともう少しで手が届くといったところで、声がかけられた。
「止まれ、女」
見上げた視線の先には、巨大な化物がいた。
途中で切ろうと思いましたが、中途半端な長さになるのでこのまま投下。
次回更新は明日の朝8時過ぎとなります。
ちょっと今日は時間が取れないので。
申し訳ないです。
ではでは。