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リドウ・ヴィスクニア史記  作者: 戸塚千景
第1章 決意は剣に誓う
7/9

Episode 6


「リドウ・ヴィスクニア?」


 少女の口から、ぽつんと零れた言葉を静かに復唱する。

 俯いて、皆と視線を合わせないようにしながら、イサガの呟きに呼応するようにリィヤはうんと頷いた。


「それは……黒服の奴らが言っていた言葉? それとも、覚えていたものかい?」

「たぶん、覚えていたもの、だと思う。……『リィヤ』と同じみたいに、頭の隅に残って、離れてくれない感じがするの……」


 記憶を失う以前の記憶だろうか。

 イサガはハンジに目で問いかける。しかしハンジも、判断するには情報が乏しいようで、困り顔で首を傾げている。

 それはロエンダも同じだった。彼女もまた、お手上げといった様子である。

「今の言葉には思えない響きだねえ。古語かもしれないよ」

「昔の言葉ってことですか? でも、全然習った覚えもないけど……」

 ハンジの台詞に、イサガも同意した。

「『リィヤ』と違って、人の名前という感じもしないな。地名か、街の名か、それとも出来事の名称なのか……」

「なんにしても、私らじゃあピンとは来ないねえ」

「それに、なぜリィヤがそれを覚えていたのかも気になりますね。何か、彼女の半生を表しているものなのかもしれません」

「もしかして、外国の言葉なんじゃない? セーヴ・ルティアとか。――じゃあ、リィヤはレフェンガイヤの人じゃないのかな?」

「いや、そこまで断定させるのは早計な気がする。おれたちが知らないだけで、すごく身近なものを指す言葉かもしれないんだ」

 状況が状況なだけに、あらゆる可能性が捨てきれずに募っていく。

 道が増えていく一方で、出口が全く見えないことに何とも言えないもどかしさを噛み締める。三人して、腕を組んで唸ったまま先に進んでいない。


  ◆


 一番最初に音を上げたのはハンジだった。

「ああもう! 考えるにも限界ってもんがあるよ!」

「落ち着いてくれハンジ。騒がしくなるから」

「だって! 分からないものはどれだけ考えても分からないよ! ――それよりも、もっと明るい話していこうよ」

 ハンジは言いながら、両手をパンと合わせる。

 同時に、イサガの顔が歪んだ。彼女のこの手の提案には、あまり乗り気でないようだ。

「明るい話って……例えば何だというんだ?」


「――いやあ、イサガ見直したよ。こんな小さな女の子を助けてあげるなんてさあ!」


 突如として、ハンジが妙に芝居臭い発言をする。

 腕を大きく広げ、わざとらしい動作でイサガに近付いて行く。当の彼も、何か言いたげな表情を浮かべていた。

「……?」

「まあ、そういう事情があったんなら、今回のことは許してあげても良いけどねー?」

 するとハンジは、このこのと言いながら、イサガの脇腹を肘で小突いた。


「――!?」


  ◆


 イサガの身体に、激痛が走る。

 声になっていない声が口の端から漏れた。


「え? ……え?」

 ハンジは、突然悶え始める幼馴染の姿に分かり易く混乱している。

「どうしたの? 怪我してたの?」

 耐え切れず、膝を床についてしまったイサガの肩を弱い力で擦りながら、青い顔で語りかける。


 少年には、この痛みに心当たりがあった。

 先程、リィヤの銃弾を食らった箇所である。


 ハンジは全く力を入れていない。本当に、少しの悪戯心で小突いただけだ。それが、巨大なハンマーにでも打ちのめされたかのような激痛へと変換される。

 狙撃された部分をろくな治療もせずに放置していたのが祟った。

 リィヤの手前であったこともあり、あまり考えないようにしてきた結果徐々に痛みが引きつつあったが、ハンジに小突かれそれが再来したのだ。


 嫌な汗が一つ、頬を流れていくのを感じ取る。

 呼吸が荒くなり、視界に映るものが少しばかりぼやけた。

 腹部を中心に、波打つように痛みが全身に伝わっていく。足の先まで、感覚が鈍っているように思えた。


 ハンジやロエンダが、心配そうな顔を向けているのを捉える。

 歪んだ形相を必死で元通りに戻しつつ、平常を装う。

「いや……何でもないから……」

「何でもないわけないじゃん! すごい汗だよ? 誰かにやられちゃったの?」

 ハンジの追求に、何事もないことを強調する。

 ふと、彼女に視線を向けた。


 イサガよりも青ざめた表情を浮かべ、小さく唇を震わせるリィヤが映る。

 自分の行いで他者を傷付けたという事実が、小さな体を追い詰めていた。


「リィヤ。――本当に、おれは大丈夫だから」

 少し作りっぽい笑顔を浮かべた。

 彼女に責任を負わせるわけにはいかない。そんな使命感がイサガの心を動かす。

 しかし、彼の心情はリィヤに伝わらず、彼女の顔は晴れない。


  ◆


 震える唇を噛み締めて、何かを決心したかのように、突然リィヤの顔が険しくなった。


 その変わり様は、イサガもすぐに気が付く。それでも、その変貌が何を占めしているかまでは想像出来なかった。

「……リィヤ?」

 少女の意図が組み切れず、その名を呼ぶ。反応は、すぐに来た。

「――すから」

 しかし、口がくぐもってよく聞こえない。

 聞き返すと、リィヤは顔を上げて、イサガの目を見ながら言い放つ。


「わたしが、治すから」


 リィヤが両掌を軽く握る仕草をすると、不気味なデザインを浮かべる二丁拳銃がふっと現れ、その拳の中に納まる。そして、恐る恐るとその銃口を、真っ直ぐイサガに向けた。

 イサガを始めとして、この場にいるリィヤ以外の人間が少女の行動に目を丸くする。体の痛みも相まって少年の身体は強張り、ハンジとロエンダも、固まったまま息を飲むしか出来なかった。

「え……リィヤ? いったい、何を……?」

 ハンジが、絞り出したような声で、リィヤを問いただす。しかし、何も答えは返って来ない。

 少女の口が静かに、言葉を紡ぐ。


『翼の子、彼の者に微笑みを与えよ――』


 リィヤの足元に、古語が羅列した金色の陣が浮かび上がる。

 長く淡い赤色をした髪がふわりと揺蕩い、陣から溢れる光の粒が小さな部屋中に舞い、幻想的な雰囲気が漂う。リィヤのその愛らしい容姿が際立ち、まるで女神のようにも見えた。

 それまで見たことのないその情景を前にし、ハンジやロエンダはリィヤの行動に疑問を持つことも、止めることも忘れ、ただ見惚れていた。


 目の前の光景に、イサガはふと既視感を覚える。

 先刻、ユニッドが司霊術を披露した時と、状況がひどく似通っていた――。


『天使の吐息』


 リィヤがイサガに向かって、引き金を引く。

 パン、という発砲音と共に、イサガの足元にも、リィヤものものと同じような陣が展開され、リィヤの周りを漂っていた光の粒が、一斉にイサガの身体を目掛けて収束し出した。

 粒はゆっくりと、イサガの中に溶けるように入っていく。空に晒された手や顔や、服の上など場所を問わず、イサガの意識も全く問わず、部屋中に待っていた光が余すことなく、まるで彼の一部にでもなろうと言わんばかりに、その身に納まっていく。

 それらはどれも仄かに温もりを持っており、子供の体温を思わせた。痛みで震えていた身体もすうっと静まっていき、誰かに抱きしめられてでもいるような安心感に襲われる。

 最初は、多少の不気味さも感じ動揺も試みたが、光が身体に入っていく度その温かさに絆され、心地の良さを覚えてしまい、何も出来なくなっっていた。

 

  ◆


 全ての光がイサガに吸収されたのを見計らったかのように、イサガと、リィヤの下に展開された陣も姿を消す。再び、部屋は静寂が包んだ。

 リィヤは銃を下げ、軽く手を開くと、その小さな拳に納まっていた拳銃も空気に溶けてしまう。そして、ためらいがちにイサガに尋ねた。

「……どう、かな?」

 少しの間を空けて、それまでぼうっとしていたイサガが我に返る。言われて、やっと気付いた。全身を走っていた痛みが完全に引き、頬の出血も止まり、傷自体も跡形もなく消し飛んでいることに。

 それどころか、リィヤと出会う前よりも体が軽い。食事をして、昼寝から目覚めた後のように、頭も体もすっきりとしている。痛みだけでなく、気怠さも姿を無くしていた。

「いたいの、治った?」

 再び、リィヤが問う。あまりの出来事に、つい彼女を放っていたのを慌てて思い出した。

「治っ、てるよ。すごいな……これ、本当にリィヤが……?」

 自分の目で見て、体感したことが全く信じられない。リィヤの行いであることを疑っているわけではないが、つい聞き返してしまう。

 すると、先程まで血が垂れていた左頬に、リィヤはそっと手を添えた。不安に満ち溢れていたであろう表情から一変し、自分よりも小さな子供に向けるような、温かい笑みを浮かべて笑っている。

 ぼそっと、イサガにしか聞こえないくらいの小さな声で、唐突に呟いた。


「――よかった」


 


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