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リドウ・ヴィスクニア史記  作者: 戸塚千景
第1章 決意は剣に誓う
5/9

Episode 4

 パチン。

 

 彼の指が、そう空気を切ったのに応じるように、厚くて大きな塊は途端に形を手放した。

 中心から爆発したようにも見えた。小さく砕けたそれらは、外界に飛び出してすぐ、ばらばらと音を成しては地面に叩き付く。


 背中を向け、ブレスレットが光る右腕を高らかに天に挙げているユニッドの姿を、イサガはぼうっと見つめている。

 昼間の星空にも、いつか見た瞼の裏側の記憶にも思えるその光景を、ただただ見ていた。


  ◆


 氷の中から黒服の男たちが、白い吐息を溢し自身の至る箇所を念入りに擦りながら、その姿を現す。紫色の唇は忙しそうに震え、四肢は硬直して動かし辛そうだ。

 イサガは自分の後ろに隠れる、少女の肩をそっと抱く。震えてはいないが、怯えていた。

 顔を上げ、彼の背中をまた見つめる。

「――ユニッド」

 青年の名を、恐る恐る口にする。

 返事はない。

 しかし、背中越しに彼は左手をひらひらとさせた。

 

 分かっている。そう言っていると、イサガは願う。


 ユニッドは歩みを進めた。男たちに向かって、だ。

 その右手には、刃先が弧を描く剣が握られている。

 ゆっくりと距離を詰め、男たちを見下しながら、明るい声色で言葉を並べる。

「今日のところは、このまま逃げてしまった方が身の為ですよ?」

「くっ……」

 ユニッドの影になり、男たちの顔は詳しく確認出来ない。それでも、情けのない声が漏れたのが聞こえた。

「ま、まだだ……。我々は、ここで引き下がる訳には――」

 いかない、そう言いかけた所で、ユニッドが遮る。

 口を開いた男の喉元に、容赦なく剣先を向ける。少しでもどちらが動けば、接触は免れない。

 イサガも、剣を出すべきかと一瞬揺らぐ。

 しかし、要らぬ心配だったようだ。


 ユニッドはそれ以上、右手を動かすことはしなかった。


「――イサガ君、何か言いたいことある?」

 背中越しに、ユニッドは尋ねてきた。

 振り向かないため表情は分からない。ただ、少し急かし気味だ。

 イサガは少女を一瞥して、距離のある男たちに向かって声を張った。

「この子を狙った理由を、おれはまだ聞いてない」

 イサガの声を受け止め、ユニッドは頷く。

 意識を男たちに戻した。

「……ま、そうだよねえ」

 そこだよねえと、何とも緊張感に欠ける溜息を溢した。

「あんたたちの後ろに、何か組織的なものを感じるよ。我々、とか言ってたし」

 ユニッドの視界に、黒い拳銃が入る。

 男たちが使用していたものだ。

 手を伸ばせば、届いてしまうかもしてないような所に、無造作に放置してある。

「ただ、どうして小さな女の子を、それもそんな物騒なものを持ちながら追い掛け回しているのか、その意味が僕も分からない」

 イサガも疑問に思っていた事を、ユニッドはさらさらとした口調で問い詰める。

 少年相手には何も告げなかったのに対し、屈辱の表情を浮かべながら、ユニッドに剣を向けられた男がとうとう割れた。


「……我々は、そこの娘の回収を目的に依頼されただけだ」

 

「回、収……?」

 少年の顔がしかめる。

 それはユニッドも同じだった。

 ユニッドは続けて詰問する。

「誘拐でもなく、連行でもなく、回収って言葉使ってる辺り、全く人として認識していないよね? どういう意図がある訳?」

 引っ掛かっている箇所は、皆同じだった。

 男は大きく、首を横に振る。


「そ、そこまでは知らない! ただ、物体として存在が残っていれば生死は問わんと言われていた! それ以上は、何も……」


  ◆


 自分の手が、震えていた。

 イサガによるものではない。繋がれた、少女の温かい手が震えていた。

 顔は真っ青で、微かに開く唇もカタカタと小さく音を鳴らしている。

 年端もいかぬ、喋り方でさえ覚束なかった少女も、その言葉の意味を何となくでも察してしまったらしい。

 ただ、恐怖を覚えていた。


 憤りを覚える少年は、少女の手を一層強く握る。

 自身の中で、ひっそりと脈を打っているのが感じられた。

 その感触が、イサガの中で湧き上がる感情の制限を外した。


 ゆっくりと、ユニッドの背中を追いかける。

 言いたいこと、聞きたいこと、色々あったが全て吹き飛んだ。


「――じゃあ、あんたらの雇い主は?」

「会った事もない。俺たちは単なる下っ端だから、直属の上司に従ったまでで……」

「そんな命令出した理由は、その上司様方は知ってるの?」

「恐らく御存じはない。雇い主について、全く情報がなくて……」

「ああもう話になんないなあ、全く! ……イサガ君?」

 男たちと糸口の見えない会話をしていたところでふと後方に、少年の気を感じ取る。

 小さく後ろを向くと、やはりイサガがこちらに向かって来ていた。少女を連れて、だ。

 意識は男たちに向けつつ、細々と近付くイサガにユニッドは停止を呼びかけた。

「イサガ君、危ないよ? 下がった方が良いって」

「……大丈夫」

 落ち着いたトーンで返す。

 少年の返事とは裏腹に、その言葉に説得力はいない。


 しかしその、ユニッドがイサガに気を取られた時、一瞬の隙が生じた。


 ユニッドに剣を向けられた男がその剣を振り払い、近場に放置してあった拳銃に飛び付く。他の黒服も予想していなかった行動のようで、目を丸くしながらその一部始終を追い掛けている。

 ユニッドの反応の方が速く、イサガと少女を庇うように一歩前に立ちはだかる。

 銃口は、必然的にこちらに向けられるだろうと誰もが思っていた。

 ところが、現実は違う。

 男は自身のこめかみに銃を当てた。

 恐怖や不安などの様々な感情が渦巻いているのかぐしゃぐしゃな顔をして、照準が定まらないのを、無理に頭に押付けて補っている。

 イサガはぐっと唾を飲んだ。


 彼が何をしようとしているか、分かっているのに動けない。

 策を練ろうにも時間がない。男の指は、もう引き金を引く初動に入っている。

 

 しかし、ユニッドは冷静だ。


 拳銃の、特に銃口に向けて力を放つ。

 パキパキ、という音が鳴ったと思えば、拳銃は氷の中に仕舞われていた。

 拳銃を持っていた右手の指先と、髪の毛を少々巻き込み、ユニッドは自身の力で銃を凍結させる。それも、発砲の直前だ。

 この場にいる、当の本人以外誰も行動出来なかった状態で、彼はやって見せた。

「――っ」

 イサガでさえ、驚いている。

 誰にも怪我をさせることなく、最小限の力の行使でその場を収めてしまった。

 口を開けたままユニッドの顔を覗き込むと、視線に気付いた彼と目が合う。

「……約束したからね」

「えっ……?」

 イサガは首を傾げた。

 青年はへらっと笑う。

「殺さないし、死なせるつもりはないよ。この子の前では」

 ユニッドは少女を一瞥して、また笑った。


  ◆


「自決を図ろうなんて、余程の忠誠心なんだろうね。でもそこまで慕っているのに、主に心当たりないとかそんなの有り得る?」

「レフェンガイヤには結構いるらしい。金や名誉の為なら、誘拐やハッキング、強盗、殺人まで何だってする、便利屋みたいなものが。おれも噂程度でしか聞いたことないんだけど」

「まあ、そんな暗殺集団みたいなのが堂々と名を売っているのも変なものだけどねえ。でもそんなのいるんだ、レフェンガイヤって。はーあ、カルチャーショックだなあ」

 ユニッドは溜息をついて、唇を突き上げる。

 今後は男たちから、武器らしい武器は全て取り上げてから縄で拘束している。しかし、有力な情報はその他何も手に入らなかった。

「もう、こいつら放しちゃって良くない? これ以上は何も聞けないし、時間の無駄だし」

「……そうだな。でもどうやって?」

 まさか、また襲われるかもしれない可能性を一切無視する訳にもいかない。堂々と野に放すのはリスクが高いし、何より少女の安息が約束出来ない。

 腕を組み、ユニッドはうーんと声を上げながら考える。すると、何か閃いたのかパッと顔が明るくなった。

 そしてイサガに向かって手招きをし、耳元でこそこそとそれを打ち明ける。

「この町、確かちょっと行った所に川があったよね? それに流しちゃえば? 縛ったままで」

 ユニッドが指すのは恐らく、イサガの住む町ティントゥバルの南方に流れる、ミア川のことだろう。

 ミア川は支川の一つで、流れに沿うと本川に合流し海に出る川だ。比較的海に近い事もあり流れは緩やかだが、所によってはひどく深い。大の大人の胸までの嵩があるところが突如としてあるため、あまり川遊びは勧められていない。

「えっ、か、川に流すのか?」

「うん」

 ユニッドは、それを至極当然の事のように、元気良く頷く。

「いくら何でも、危なくないか?」

「悠長なこと言ってらんないよ?だって、もし普通に町から追い出したとして、こいつらが、この子がティントゥバルにいることバラしちゃったら、お仲間連れて大勢で押し寄せて来るかもよ?」

「うっ……」

 イサガにとって、痛いところを突いて来た。

「そしたら、町の人たちが危険だよ? イサガ君はそれで良いの? 町の人に怪我させるの、イサガ君だって本望じゃないでしょ?」

 町の住民を手玉に取られるとイサガは強く出れない。イサガの性格が段々と見えて来たユニッドだからこそ出来る口説き文句だった。

 確かに、イサガは彼の言う通りのことを望んでなどいない。殺生も困るが、町の皆を危機に遭わせるのはもっと不本意なのである。

くう、と少年は黙り込む。

 明らかな優先順位は理解しているが、そもそも、こういう状況に置かれて、まるで自分がユニッドの手の上で踊らされているようにも思えることにも腹が立っているのだ。もちろんそれは、「思える」どころの話ではないのだが。

 

 イサガが何か言いたげな、反論したそうなむず痒い表情を見せている中、少女は一人、顔を曇らせていた。


「――イサガ君説得するんじゃあ、どうも埒が明かないなあ」

 ユニッドはイサガの様子に辟易とし、後頭部を掻きながら吐息を零す。

 そして、じゃあこうしようと、案を持ち掛けた。

「殺さないし、そういう危険にも遭わせないよう十分に配慮することを約束するから、僕に全部任せてよ。だから、君たちはもう家に入んな?」

 今後を全て、自分が請け負うと彼は提案してきた。

 無論、イサガは否定する。

「ち、ちょっと待ってくれ。あんたに任せてしまうなんて……」

「だってー、イサガ君と話しても全然進まないんだもん。いいじゃん、殺しはしないって約束はしてあげるんだからあ」

「そういう問題じゃないだろ!? 大体、そこまでして欲しいなんておれは一度も……」

「ほら、君のそんなとこがじれったいって言ってんの。あーだこーだ、文句ばっか言ってさ。何にもまとまらないし、解決しないし。ていうか、ごちゃごちゃしていく一方って言うか、優柔不断て言うかさあ」

「なっ……!」

 何故、ほんの数刻前に出会った輩にそこまで言われなくてはならない。緊張感の欠片も感じられず、言葉に重みも見えず、この場を引っ掻き回しているのは彼だって変わらない。所見時から沸々と募っていた彼への不満が、ここに来て溢れんばかりになっている。

 イサガにしては珍しく、声を荒げた。

「どうしてあんたはそうやって、火に油を注ぐような言動しか出来ないんだ! おれはただ、少しでも事を良い方向に持って行こうと考えているだけなのに――」


「だから、その時間がもったいないって言ってるんだよ。……イサガ君、さっきから周りのこと気にしているつもりで、一番身近にいる人のこと見えてないの、気付いてないでしょ?」


 イサガは言われて、きょとんとした。

 恐る恐ると、自分の一番身近にいる、少女に視線を向ける。

 黙ったまま、何も言葉を発していなかった少女はひどく顔が青ざめていて、今にも泣き出しそうにひしゃげていた。

 それにイサガは、今まで全く気付いていなかった。

「あっ……」

 ずっと放りっぱなしにしたまま、でも、何故そんな顔になってしまっているのか、正直イサガには即座に理解出来なかった。それでもその表情は、彼の胸を強く締め付ける。

「こんな殺気立った場所にずっといたら、そりゃ気分も悪くなるでしょ? それに、自分の命が狙われた直後なのに、そんな悠長に構えている余裕がある人間は中々いないからさ」

 早く休ませてあげなよ、とユニッドは付け加える。

 結局、少女の事を一番に考えていたのは彼だったようだ。イサガはそう結論付けて言葉を失った。

 ユニッドの言葉の意味と、少女の状態がようやく理解出来た。

 同時にイサガは、己の視野の狭さを痛感する。

 少女の身を案じたつもりが、いつの間にか苦しませていた。加えて、言われるまで察することも出来ないでいた。

 そっと、申し訳ない気持ちで、不安を大きく募らせて、少女の肩を抱いた。少し、震えている。


「……わかった。ユニッドに任せるよ」


 苦肉の索ではある。それでも、この場をなるべく丸く収めるには、これが一番良い方法だ。

 歯痒く、やるせない想いを全て仕舞い込んで、イサガはユニッドに一任する。

 変に茶化されるかとも思ったが、彼の言葉は今までにないくらい落ち着いていた。

「わかったよ」


   ◆


 先程途中まで登りかけた階段に、再び足を掛ける。

 少女の手を引きながら、イサガはちらりとユニッドの方を見遣った。

 相変わらずへらへらと笑い、右手を振り続けている。恐らく、別れの示しだろう。


(また、会うことはあるだろうか……)


 ふと、そんなことを考えた。

 辺鄙な田舎町の育ちのせいかイサガの交流関係は非常に閉塞していて、外の世界の人との会話など最後がいつだったかもよく覚えていない程だ。

 そのためか、彼の言葉は容赦が無く、悔しい事に的確な点ばかり突いて来た。

 それが、逆に新鮮で、刺激となった。

 きっと彼も彼なりに、色々なものを見て、その上で叱咤したのだろう。自分とは比べ物にならないくらいの物事を、見聞きしてきたのだろう。

 その内の、ほんの一部しか知らない自分はなんてちっぽけなのだろうと、考える。


 多きを知らぬ少年に、幼顔の青年は大きく見えた。

 出来る事ならもう一度、自分が間違うようなら言葉で導いてはくれないだろうか……。


 イサガは小さく、首を横に振って現実に立ち返る。下らない事を、考えている暇などない。

 特にユニッドに何も告げる事はなく、そそくさと階段を駆け上がって二階に躍り出ると、一番突き当たりの角部屋まで一直線に向かい、扉を開けた。



 部屋に入るなり、少女は目を丸くして、興味津々と言わんばかりに辺りを見回している。

 そこは実に殺風景で、ベッドや机、椅子などの家具は一通りに揃っているものの、娯楽として使えそうなものはとんと置かれていない。しかも、家具も全体に白黒がメインカラーなので非常にシックだ。

「ここ、あなたの部屋?」

 少女は首を傾げる。イサガは扉の鍵を閉めてから頷いた。

「なんか……少し寂しいね」

「人から借りている部屋なんだ。小さい頃、汚したらいけないみたいって思うのが習慣付いてあまり物を置かないようにしていたら、それが全く改善されずにこうなったって感じかな?」

 ふうん、と少女も納得する。

 さして広くない部屋をキョロキョロしている少女を一時的にと放っておき、イサガは部屋の入り口から最も距離のある、陽を取り入れているただ一つの窓に近付く。そして、さっとカーテンを閉めてしまった。


 やっと、二人に安息が訪れる。

 少女をベッドに座らせ、イサガは背中から剣を下ろして適当に壁に立てかけた後、椅子を引っ張り出して腰掛けた。

 しんと、静寂が包む。

 張り詰めた空気から解放され、少女の肩も変に強張る事はなくなった。

 見るからに、先程までとは比べ物にならないほど脱力している少女を見て、イサガも安堵の溜息を零す。

 人間相手で、加えてあれ程殺気に満ちた場での戦闘はイサガも初めてだった。味わった事のない気疲れに襲われる。

 しかし、悠長にしている暇もない。

 顔付きをいつものものに直し、改めて、少女に向き合った。

「……落ち着いた?」

 少しの間を空けて、少女はこくんと縦に首を振る。

「聞いてもいいかい、君のこと?」

 同様に、頷く。

 先の事がある。なるべく、追い詰めるような事はしたくない。

 少女の顔色を慎重に読みつつ、イサガは続けた。

「さっき、名前わからないって言ってたよね? 本当に、何も覚えてない?」

 その首は上下する。

 イサガは質問を変えた。

「じゃあ、わかることは? 黒服たちのこととか、君自身のこととか」

 少女は黙り込み、静かに考え始める。イサガも特に追求せず、ゆっくりと待つ事にした。

 少女のこの症状が、単なる記憶喪失と括って良いものか。ふと疑問に思う。

 ユニッド曰く、黒服の連中は後ろに組織を感じる。そんな奴等が、何故こんな小さな子どもを狙っているのか、その真相も解明されていないままである。

 仮に組織と少女が何らかの関わりを持っていて、とある理由から少女は追われる身となり、その過程で記憶を失ってしまったと考えるのが妥当であろうが、いまいち納得は出来ない。そんな脚色めいた話を、すんなりは受け入れられない。

 とにかく、少女が何もわからないのであればどこまでも話を膨らませようと創作には変わりない。

 結論が一向に出ない、イサガが頭を抱え始めた時、はっと少女が口を開いた。


「……リィヤ?」


 イサガはえっ、と返す。

「それは、あいつらが言っていた言葉かい? それとも、覚えていた?」

「どっちかはわたしもわからない。でも、ぽんと浮かんで来たの」

 正体は不明だが、恐らく名称だ。それも、すぐに思い浮かんだとなれば、単純に受け取って彼女のものと考えるのが無難だろう。

「多分、君の名前じゃないかな?」 

 いつまでも、「君」と呼ぶ訳にはいかない。少女のことをその言葉で表す度に、もどかしさは募っていた。

 ずっと引っ掛かりを感じていた分、あやかりたい気持ちは大きい。

「取り敢えず、君の名前ってことにしても良いかな?」

 少女は少し考えてから、うんと頷いた。


 少女は、「リィヤ」になった。


「よろしく、リィヤ」

 改めて、イサガは挨拶をする。

 多少気恥ずかしそうにしながら、リィヤはまた首を縦に振った。

 徐々にだが、心を開きつつある。その傾向がちらりと見える度に、イサガはほっと息をつく。


  ◆


 深く被っていたフードを、はらりと除ける。

 顔を隠す必要もなくなり、イサガに対する警戒も溶けたのか、リィヤは自主的にイサガに向かって頭部を晒した。

 体躯に見合うあどけなく可愛らしい、先までの言動も合わさり庇護欲を誘われる顔立ちだ。背中まであるだろうと思われる髪は色素の薄い赤色でほんのりと染まっていて、瞳は深く、暗い夜空を思わせる。暖色の髪と色白の肌に、その漆黒は綺麗に映えていた。

 良い意味で、目立つ見た目をしている。

 ただ気になるのは、その端麗な顔がひどく汚れている点だ。ススのようなものが付着し、擦りでもしたのか掠れている跡が頬を全体的に覆っている。ローブからちらつかせる手足にも、似たような状態である。

 

 一体、彼女はどれだけの間狙われ続けていたのだろう。イサガは疑問と、怒りを胸に秘める。


 整った容姿が台無しになるまで、休める暇を与えられなかったということだろうか。リィヤの顔を覗き込み、彼女のこれまでを思い浮かべる。

 幸いにして、怪我らしいものは見受けられない。部位の欠落も特に無く、五体満足と言った所だ。その点には、ひとまず安心する。

 

 さて、と椅子に背を預けて腕を組む。

 彼の一番の悩み種は今後である。

 一度保護した以上、放り投げるのはイサガの理念に反している。だからと言って、町に簡単に招き入れてもいいのだろうか。

 リィヤにとて故郷があり、家があり、彼女の帰りを待つ家族がいるかもしれない。ただし、根拠も証拠もないが。

 その面を考慮してしまうと果てがない。しかしそれに気付く事もなく、イサガはリィヤを放っておいて一人、錯綜に就いた。

 


 彼らにとって束の間の休息となるこの時間を無遠慮に壊す、ドンドンという勢いよく扉を叩く音が突如として部屋に、そして二人の耳に木霊したのは、イサガが黙り出してからすぐの時だった。




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