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リドウ・ヴィスクニア史記  作者: 戸塚千景
第1章 決意は剣に誓う
2/9

Episode 1

 

 まるで、虫の吐息のような弱々しい風が、イサガの蒼い髪をなびかせる。

 

 顔に風が当たるのを防ぐように、左手で顔を覆った。その時、背中に背負った、少年の身長を軽く超す大剣が、カシャッと音を立てる。

 揺れて、煽られて、ほんの少し乱れた髪を右手櫛で直しながら、先程入ってきたばかりの言葉を、興味無さげとも、津々とも言えぬ態度で少年は呟いた。


「外交使節団、か」


 イサガの目の前に立つ少女は、そうだよ、と嬉しそうに頷く。肩に付かない程度に切り揃えられた無邪気な茶っ毛が、目下でふわりと浮いた。

「わくわくするよね、全然縁もゆかりもない、知らない人たちが来るのって。あんまりなかったでしょ、今まで」

「そういうのって、もっと都会に行くとか、偉い人を相手にするものじゃないのか? 何でこんな田舎町に?」

「なんか、国が正式に作った団体とはまた違って、小規模って言うか、そういうことをしたい人の集まりに近いんだって。だから表立っての行動は、肩身が狭くて出来ないし、もし何か問題を起こしたとしても、国からの援助は望めないから対処の施しようが無いんだって」

 あまり乗り気には見えないイサガの態度に辟易としながらも、少女ことハンジは、頭に詰め込んだ情報をそれらしく繋ぎ合わせて、少年の興味を少しでも引こうと奮闘する。その両手には、使い込み過ぎてぼろぼろになった指ぬきのグローブがはめられている。

 しかし、少年にこれといって大きな変化は見られない。小さく溜息をついて腕を組み、18という年の割に落ち着いた低めの声色で、まるで小さい我が子を諭す父親のように濁して突いた。


「それって、日陰者は日陰者同士、仲良くしようとも捉えられるじゃないか」


 力の弱い者たちが結託するのは、どの世界にも、どの時代にも、よく見られた事象だ。また、そこに辿り着く他なかった結果と言っても良いくらい、当たり前に近い事柄でもある。

 とある南方国の片隅の、辺鄙な田舎町に住み、世情に疎い環境での暮らしを余儀なくされていると言えども、自国の状態は嫌でも噂となり耳が拾う。近頃、どこかの国と地域が領土契約を締結させたなり、植民地化計画を練っているなり、和平協定を結ぼうと企んでいるなり、そんな情報が絶えない。どこも、自分の身を守ることに精を出している。

 今回の話も、言ってしまえば、明日は我が身なのだ。

「お互いに、人や国を動かすなんて大層なことが出来ない立場にいる。なら、これからの未来に備えて保険でもかけておこう、みたいな魂胆が見え見えな気がするよ」

 使節団が現在、自転車操業に悩んでいる様子など容易に想像出来る。

 少しでもあちらに味方する頭数を揃えられれば、いくら非公認と言えど国は黙っておられず、それなりの力と地位が貰えることだろう。自分たちは、それの足場でしかない。

 わざわざこちらに出向いてくれる、その姿勢は感心する。ただし、向こう側の人間だけに、少しばかり身も強張ってしまっているのだ。

 使節団の労を、まるで鼻で笑っているような口振りのイサガに、ハンジは沸々と苛立ちを溜める。頬を膨らませ、彼の襟元を掴みかかりそうな勢いで、反論した。


「そんなに言わなくても良いじゃん! せっかく、《セーヴ・ルティア》から来てくれるのに!」


 ハンジの声が、頭にガンっ、と響く。そこでイサガは、やっとの事で我に返った。

 今にも鉄拳を飛ばしそうな彼女を、必死な所作で宥める。

「あ、ご、ごめんハンジ。別に、そこまで言うつもりはなかったんだよ。ただ、セーヴ・ルティア人っておれ会ったことないから、どんな人たちなのかなって思っただけなんだ」

 さっきまでの威勢の良い物言いはどこに行ったのやら。イサガは、わざとらしくも思えるほど大きく身体を動かし、身振りも加えてハンジをこれ以上怒らせないように努める。

 その、彼のあまりの仰々しさが、ハンジの顔を緩ませる。堪え切れず、彼女は腹を抱えて笑い上げた。

「あはは、冗談だよ。あたしも、イサガにそこまで謝って欲しいなんて思ってないから」

 だから安心してよ。そう笑い続けるハンジの目に、うっすらと涙が光る。

 そんな少女の様子に、イサガはほっと安堵の息を漏らす。ハンジに悟られぬよう、小さく胸を撫で下ろした。

 少女の笑い声を身体が感じ取る度、少年の頬も自然と綻んでくる。こんな、当たり前に思えるようになった瞬間が、イサガが最も好む時間である。



 笑ったために上がった息を整え、指の腹で涙を拭いながら、ハンジはイサガに向き合った。

「まあ確かに、イサガの気持ちも分からなくはないよ。――見ず知らずの人を快く招いて、誰かが怪我でもしたらって、思っちゃったんでしょ?」

 イサガはうっ、と言葉を失う。図星だった。

 そしてそれは、大きく顔に出てしまっている。

 ハンジはイサガの表情を拝むなり、やっぱりとでも言いたそうに、にやりと笑う。

「イサガの考えなんて、大体分かるんだから」

 少年の鼻先を指差して、再び子供臭く笑い始める。皮肉にも、可愛いとか、愛おしいとか、生理的に近い感情がイサガの中を駆け巡る。考えを指摘された恥ずかしさなんて、もうどうでも良くなった。

 赤くなりつつある顔を隠すように、少年は自身の右の拳を口の辺りまで持ってくると、こほんと咳払いを一つつく。そして、ふと頭を過った、素朴な質問を口にした。

「でも、使節団なんていつ来るんだ?」

「何言っているの? そろそろ着く頃じゃない?」

 ハンジは笑うのを止め、至極当然なことを言っているつもりなのか、きょとんとした面立ちで答える。

「――は?」

 思わず、素っ頓狂な声が出た。

 イサガの反応が予想していたものと違ったのか、ハンジも無言で瞬きを繰り返した。

 確認の意味も込めて、少女はぽつりと尋ねる。

「……あれ、あたし……言ってなかったっけ?」


 今日一番の大きな溜め息が、イサガの口より飛び出た。

 何も言うことが出来ず、少年は頭を抱える。

 その様子に、今度はハンジの方が慌てふためいた。

「え、え……? うわ、ごめんイサガ! あたし、セーヴ・ルティアの人が来るとかすごい嬉しくて、楽しみで、色んな人に言い広めたから、イサガにはもう言っておいたものだとばかり……」

 ハンジは、先程のイサガとは比べ物にならないくらいの大きな素振りで、謝罪の言葉を次々と並べる。

 イサガはそんな彼女を、憐れんだ目で見遣った。

「おれもここ数日、仕事で町を離れていたからな。――皆も、ハンジなら一番におれの所に来るだろうと思って誰も言わないでおいたのか……」

 仲が良すぎるのも、案外考え物だ。言おうとしたが、イサガは口を紡ぐ。

 がっくりと肩を落とすハンジは、程度がどうであれ、やはり見ていられるものではない。

 わざと大きめな声で、彼女に言いかける。

「まあ、こうやって君がおれのことを呼びに来てくれたお蔭で、せっかくの機会を無駄にせずに済んだんだ。――もう気にしてないから、顔を上げてよ、ハンジ」

 柔らかな声が、ハンジを包む。

 恐る恐るといった様子で、少女は顔を上げ、イサガの目を見た。特に、怒気などは感じられない。


「……怒ってない?」

「全然」


 ハンジの問いに、イサガは間髪入れずに答える。ふっと、少女の目が晴れた。

「ほんとにごめんね。――今日この後、使節団の人たちが町に来て、講義みたいなのしてくれるんだって」

「講義?」

「そう。ほら、あたしたちってセーヴ・ルティアについて、全然知らないことばかりだったり、間違った知識持っているかもしれないでしょ? まずは、それを取っ払おうってことみたいだよ」

 なるほど、とイサガは相槌を打つ。

 口では厳しいことを言っていても、実のところイサガも、セーヴ・ルティア人には大いに興味を抱いている。

 こちらに流れて来る、向こうについての話は些か信じ難いことが多い。聞いてみたいことや、一度くらい拝んでみたいものなどが、少年の中に溢れている。それを晴らすのに、こんな田舎にとっては、これ以上にないかもしれないくらいのチャンスなのだ。

 何より、ハンジが嬉しそうなのが嬉しい。自分への報告を忘れるくらい、それほど興奮が治まらないくらい楽しみなのだろう。

 彼女の笑顔は、イサガにとって良薬以外の何物でもないのだ。

 多少の頬の緩みが隠し切れていない少年の手を、ハンジはぎゅっと掴む。

「講義は学校でやるんだって。ねえ、早く行こう? 良い席取っとかなきゃ」

 比較的、イサガよりも身長が低いハンジは、彼の顔を覗き込みながら尋ねた。

 はいはい、了解。いつもの通り、平生を装って、イサガは返答しようとした口を思わず閉じる。


 誰か、助けて。


 少年は自分の耳を疑った。ふと、心当たりのない少女の声が、頭の中に響いたのである。

 中々に応答がない、それどころか、ぽかんとした表情をしているイサガに、ハンジは首を傾げた。

「どうしたの?」

「……ハンジ、君かい?」

「何が?」

「聞こえなかったのか?」

「だから何を?」

 目を丸くした二人の、問いだけが並べられた会話にイサガは息を飲む。

 ハンジは昔から、嘘が苦手だ。吐くのも、吐かれているのを見抜くのも下手くそな彼女が、今、何かを企んでいる様子は見られない。もしそうなら、イサガが気付かないはずがないのだ。

 自分だけが聞こえたのなら、空耳の可能性の方が高い。

 辺りを見回しても、それらしい少女なんて見当たらない。

 ただの幻聴だったのか。何とも気持ちは晴れないが、該当物がなければ動くことなんて出来ない。適当な理由を付けて、ハンジと向き直そうとした、その時だ。


 誰か……助けて……。


 また、聞こえた。

 先程よりも弱々しく、消え入りそうなほどか細い。

 幻聴ではない。いや、幻聴だとしても性質が悪すぎる。イサガの目付きが変わった。

 何かがおかしい。二人は、同時に思った。

「イサガ? 本当にどうしたの?」

 彼の変化に、ハンジは追い付いていない。

 妙な胸騒ぎを覚えたイサガは、ハンジの手をそっと引き剥がし、彼女に背を向ける。

「ごめんハンジ、おれも後で行くから、先に行っててくれ」

 ハンジの返事なんて聞いている暇はない。

 言いたいことだけ言うと、イサガは一目散に駆け出す。

 背中に、ハンジの叫び声が乱暴にぶつけられるも、何を言っているのか、いまいち理解出来なかった。



 ハンジの罵声が、一切聞こえなくなったところで、急に頭が冷え始めたイサガは速度を落として立ち止る。走り出してからの、その後を考えていなかった。

 ――これから、どこに行けばいいんだ?

 胸の中で、自分に尋ねる。

 阿呆なことを言ってことに、気付いてはいる。

 少女の声が聞こえたのは確かだ。しかし、その少女がどこにいるのか、何故助けを求めているのか。そもそも、何で自分にだけ聞こえて、それも耳ではなく、頭に流れ込んで来たのだろうか。

 一つたりとて、見当もつかない。

 イサガやハンジが住むここ、ティントゥバルという町は、荒れ地に囲まれ、川に行く手を塞がれた、周りと隔離された町であり、そう広くもない。人口の話に至っても、百を超えたかどうかも怪しい程度だ。

 闇雲に走り回ったとしても、そう時間が食われる心配はない。ただ、頭に響いてきた、消え入りそうなくらいか細い少女の声が、イサガを嫌に急かすのだ。


 早く行かなければ。――だがどこに?


 助けを請うているのだ。――誰が?


 発信源が町の中とも限らない。声の正体も分からない。そもそも、自分にしか聞こえないものを信じること自体、馬鹿げているのかもしれない。

 数分前までの行動力がまるで嘘みたいに、イサガはひどく興ざめている。

 空耳と片付けて、ハンジの所に戻ろう。来た道を引き返そうと、身を翻した。


 お願い。誰か、助けて――!!


 それまでのものと比べ物にならないほどに、鮮明で、明瞭な、悲痛の叫びが少年の身体を刺す。

 まるで、突然に後ろから襲われたような、予期せぬ事態に思わず恐怖を覚える。強さの変わらぬ風が、妙に冷たく感じられた。

 あまりの衝撃に四肢が小さく震える一方で、彼の中で、一つの確信が生まれる。


 誰かが、自分を呼んでいる。


 気が付けば、イサガの足は自然と前に向かって進んでいる。据わった目の下、委縮した身体も本来のそれを取り戻している。

 当てなんてない。それでも、イサガの勘はこっちだと訴えていた。


  ◆


 ふと、彼の目の前に、一つの、小さく、古ぼけた建物が立ちはだかる。

 これ以上は進むことが出来ない。その建物を眼前に立ち止ると、想像よりも遥かに激しい、荒い呼吸をしていることに気が付く。

 浅くない歴史が伺えるティントゥバルの建造物の中で、それは一段とした年季の入り具合を見せつけている。町内の人口減少という問題の下、それまで二つあった学校を一つに統合させたため、使われなくなった旧校舎だ。

 もっとも、一軒家と大して変わらない大きさのため、一般的な「校舎」とはまた少し勝手が違うのだが。 

 使用されなくなって十年は軽く経ったものの、そこで育った大人たちの強い希望の末、取り壊されることもなく、今も尚その形を留めている。

 現在となっては、専ら子供たちの秘密基地も同然だ。常にここからは、黄色い声が飛び交っているというのが、イサガの抱く印象である。

 しかし今日に限っては、ハンジの言う通り、異国の者たちが訪れて来るということもあり、不自然なくらいの静けさを保っている。

 いつもであれば、イサガも特に気に止めはしなかったであろう。それが、今この時だけは、何かが違った。

 誰かがいる様子の無いはずの校舎から、微かな人の気配を、イサガは感じ取る。

 町がもぬけの殻状態であるにもかかわらず、この校舎から、只ならぬ緊張感が走っているのを身体全体が捕えたのだ。

 少年は、ごくりと生唾を飲み込む。

 どれだけ悪寒が襲って来ようとも、引き返すという選択肢を、今の彼は持ち合わせていない。

 おどろおどろしい校舎に向かって、少年はゆっくりと、歩みを進めた。 


 かつての、昇降口の前に立つ。簡易的な屋根のお蔭で扉には光が当たりにくい構造らしく、取っ手の部分にはうっすらと埃が被っており、また誰かが触った後なのか、数人分の手形が浮き出ている。

 埃や手形などは特に気にすることもなく、しかと取っ手を右手で握ったイサガは、体全体で大きな反動を起こし、扉を手前に引いた。


 立て付けにも不具合が生じているのか、扉と床が激しく耳障りな音を立てて擦れる。また、直後に強い埃臭さと湿気に襲われた。

 咄嗟に、右手で鼻と口を覆う。

 窓から入ってくる陽に当てられ、宙を舞う埃がキラキラと輝いていた。綺麗と思う反面、無性に目と鼻が痒い。

 昇降口の正面は、一本の廊下が走る。それを囲むように、左右に一つずつ、突き当りに一つ、計三つの教室が設けられていた。

 イサガは、両手で自分の頬をパンと叩く。


 覚悟は、もう出来た。


 向かって、右手側の教室の扉を開ける。

 黒板には落書きの跡。床には食べ物のカスが散乱しているが、これといって変わった様子もない。

 一応、中に入って確認するも、机も椅子も片付けられ、隠れられるところも見当たらず、異常はない。

 次に、向かいの教室。

 こちらは、二つの教室分の机と椅子や、教卓が綺麗に並べられ、また、名も分からないような備品で溢れかえっている。

 恐らく、職員室のような役目を果たしていたであろうこの部屋も、何かあるようには思えなかった。


 残るは、突き当りの教室だけだ。


 ガラガラと音を響かせて扉を引き、イサガは一歩教室に足を踏み入れる。ここも他と特に変わらず、埃が光っている。

 ただし違うのは、配列を忘れた机と椅子が構えているところだ。

 まるで、つい先程まで人が使っていたこの部屋から、生物だけが消え失せてしまったのではと錯覚すら覚えるほど、温かな空気が漂っている。

 きょろきょろと、教室内を見回した。ここなら、他の部屋と異なり身一つくらいなら隠すのは容易そうだと、直感的に感じたからだ。

 

 そして突然、どこかの机が、ガタっ、という音を発した。


 イサガは反射で、咄嗟に身構える。

 すぐに教室は、しんと静寂に戻ったが、先程までの温もりはもうない。ピンと張りつめた緊張感が、イサガの額に汗をかかせる。

 どこかの机が小さく動いたのは間違いない。しかし、その瞬間を見逃してしまい、どこのものかは特定出来ない。

 イサガは構えた身を解き、腕組をして考える。

 もし自分なら、どこに隠れよう。

 可能性としては、扉のすぐ近くか、一番遠いところだ。

 扉の周辺なら、灯台下暗しと追跡者も見落としがちで、加えてすぐ逃げることが出来る。しかし、先程の音の反響の仕方から考えて、イサガの立つ位置から、少しだけ距離もあるところが発信源のように思えた。

 とすれば――。イサガは歩みを進める。

 その目に焼き付けているのは、扉から最も遠い、教室の隅にぽつんと置かれた机だ。

 一歩、一歩とそこに近付く度、イサガの拳を握る手の強さが増していく。今日何度目かも分からない、口の中に溜まった唾は乾いた喉を通る。

 

 息を殺す。

 足音も、気配も力の限り消した。

 イサガの、太腿辺りまでの高さしかない机が今、彼の眼前にある。

 大きさからして、大の大人がいるとは思えない。いるとしたら……。

 意を決して、イサガは素早い動作で回り込み、机の中を覗き込んだ。


「――っ!!」


 思わず、言葉を失う。

 彼の視線の先には、少女が震えながら蹲っている。自身を細く短い腕で抱き、顔は俯いたままで、畳まれた足に隠れてしまっていた。

 見た目からして、10歳前後といったところだろう。真っ黒な、それでいて汚れやほつれが目立つローブのようなものを羽織り、フードをしっかりと被っている。

 どうしてこんな、年端もいかぬ少女が一人でここにいるのかという疑問はさておいて、その異常な怯えようにイサガは心が締め付けられた。

 自分が今、目の前にいるからこれだけ震えているのだろうか。一つの、そうであって欲しくない可能性が頭を過る。

 確かめも合わせて、取り敢えずとイサガは、その少女に向かって右手をゆっくりと伸ばす。


 指先が、彼女の白い腕を捉えた。


「――いやっ!」

 少女は小さく、はっきりと、少年を拒絶した。

 咄嗟に、イサガは自らの手を引っ込める。

 呆気に取られるイサガを余所に、少女は何か、譫言のようなものを並べ始める。

「……ないで……」

 よく、聞き取れない。

 少女に悟られぬよう、イサガはその声に耳を傾ける。徐々に、それは鮮明なものとなった。

「止めて……連れて行かないで……」

 ずっと、同じようなことを繰り返している。

 思わず、自分の耳を疑う。そして、驚愕の一言が、少年の身体を刺した。


 殺さないで。


 イサガは、高まる気持ちを必死に堰き止める。ここで、自分が感情的になってはいけない。何度も言い聞かせた。

 深く、深い深呼吸を一つする。そして、出来るだけ声を柔らかくし、床に膝を付き、少女に語りかけた。

「大丈夫」

 少女の肩が、びくんと大きく跳ねる。

 イサガは続ける。

「おれは、君を狙ってなんかいないよ。――助けてって言う、君の声が聞こえたんだ。だから、ここに来たんだよ」

 譫言を繰り返していた少女の口が、動きを止めた。

 対して、少年の口は温かな言の葉を紡いでいく。

「顔を上げておくれ? 君を連れて行こうとする奴らとおれは、同じに見えるかい?」

 いつしか、身体の震えは治まっている。

 イサガは、その瞬間を静かに待つ。

 すぐに、信用してくれというのは無理があるだろう。もし、本当に命を狙われているなら尚更だ。

 しかし、それでも少女がほんの少しだけでも、自分に何かを感じて、心を開いてくれれば――。


 それは、すぐに訪れる。


 少女が、ふっと顔を上げる。

 フードで隠れてよくは見えないが、見覚えのない顔だ。町の人間ではない事は間違いない。

 それでも、イサガは特に気にしなかった。

 まめが潰れて固くなった掌を上に向けて、少女に右手を差し出す。

「おれはイサガ。イサガ・ジーアンだよ。――君は?」

 イサガは、静かに微笑む。


 これが、少年と少女の出会いだ。



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