プロローグ
南の国、サウガルでニシツ=ニシツの名を知らぬものはいない。彼はそれほどに名の知れた若きホテル王なのである。
彼の実家である『マルベルの宿』は、サウガル南端の漁村にある小さな宿屋であった。
村の名はもちろんマルベル。漁村といっても特に栄えているわけではない。マルベル自体が半島の先端にあるような村なので交通の便が悪く、新鮮な魚がどれほど取れようと流通させるための陸路に乏しかったからである。
そんな村になぜ宿屋などがあるのか、これは近くにある小さなダンジョンにおとずれる冒険者たちの安宿だったからだ。
普段は村人のために酒場を開き、時折訪れる冒険者には寝床を提供する木賃宿……ニシツはそこの次男として生まれた。
さて、このニシツ、天より授けられたか宿屋経営の才があった。
幼くして読み書き算術の一通りを覚え、宿の番台に初めて上がったのはわずかに8才のときである。それより数年、番頭として家業を手伝いながら様々な宿屋経営のノウハウを学んでいったわけである。
彼がいまだに宿屋業界でも鬼才といわれるのは、近くにあったダンジョンを魔物ごと買収し、これをアミューズメント化したことによる。つまり、ファミリーから初心者冒険者まで、休日のお出かけ気分で攻略できる安全安心のダンジョン型テーマパークをここに構築した。
これによりこの村に訪れる観光客は急増、加えて海の美しい風光明媚な土地柄、朝の漁で上げた新鮮な魚を目の前でさばく海産の美味、と……ニシツはこれら全てを経営の柱にうまく取り込み、ボロ木賃宿をサウガルでも有名な高級リゾートホテルにまで育て上げたのである。
これが弱冠14歳のとき、それから数年で『ニシツ・グループ』はサウガルのあちこちに様々な形態のホテルを置き、一大企業へとのし上がったのである。
そして本日、そのニシツ=ニシツが18歳になった今日という日、彼はなぜかダンジョンの最下層にいる。両手両脚は触手の魔物に拘束され、何一つ抵抗などできない状態で。
目の前には魔王が座る玉座があるらしいのだが、灯りひとつ無いここは暗くてその姿を確かめることすらできない。
ニシツはフムとうなずいてからつぶやいた。
「なるほど、ピンチというやつですね」
いつも考え事のときはそうするように左手を額に当てたかったのだが、こうもギチギチに拘束された今はそれも叶わない。
それこそがいまのニシツの最大の悩みでもあった。