2話 肉を欲したその手には
名前って大事だよね。
俺としては、待ち望んでいたあの肉を食べるチャンスを逃してはならない! と魂が囁くので何としてもあの屋台へ直行したい気持ちが湧いたのだが、その食べる為に必要な『お金』を稼ぐ切っ掛けを作ってくれた、この『エルカ』の事を無碍にも出来ず。
仕方なく後を追いかけて歩くのだが、そろそろ完全に日が落ちそうなので、まだ見える範囲が広いうちに街の外に出て、薪になる枝を集め寝床になりそうな場所を確保しておきたい。
そんな俺の気持ちを分かって欲しいが、如何せん言葉も通じないので俺は早々に諦め黙って黙々と歩く。人間諦めが肝心だと言うしね。
使う場所が違う気もするが細かい事は気にしない、どうせ街中じゃ大した事も起きる筈は無いのだしと、昼間『死』を実感したのに壁を造る作業ですっかりその事を忘れ、のんきに後を付いて行く。
そうして連れて来られた場所は、街の外れにある粗末だが大きな家と言うか屋敷? ここに来る途中で見た民家よりは大きさは在るが壁が大分傷んでいる。
更にある部分はその煉瓦が欠けて崩落の危険が在りそうで、こんな所に住んでいては危ないと思う。もしかしてエルカの家はここなのだろうか? 横目でエルカを見るとそれに気付いたのか、若干ばつの悪そうな顔になる。
まあ、別に俺がここに住む訳ではないので気にはしないが、結局ここに俺を連れて来た理由は何だろう? 俺は一人首を傾げているとエルカは中へ何か声をかけると、ギィィと建てつけの悪そうな音を立てながら扉が開き、中から数人の貧相な子供と足が悪いのか少し左足を引き摺りながら、年配の女性も一緒に出てきてエルカに嬉しそうに話しかけた。
そしてエルカはその女性の手に、昼間の作業で稼いだと思われる大粒銅貨を手渡し、俺の方を向いてニコッと笑いかける。
……これはもしかしなくとも、俺にも同じように銅貨を渡せと言う意味だろうか?
折角あの屋台の肉を食べられると思ったのに、エルカはまさにとんだ食わせ物だったようだ。
少し肩を落としながらも、これも良い仕事を教えてくれた勉強代だと思い、大粒銅貨をその年配の女性に四枚渡すと、エルカは一瞬驚いた顔をして首を左右に振り、そこから大粒銅貨を二枚取り上げ俺の手に戻した。
これで確信を得たが、やっぱり俺があの屋台の肉を食べたかった事を、エルカは見ていて俺を誘ったに違いない。
言葉は通じないが、キチンと俺の気持ちを汲んでくれた事が嬉しかった。
「エルカありがとう」
「ア? チッガウリ?」
どうせ通じはしないだろうが、俺はお礼を言いたくてそう呟いたら謎な言葉が帰って来た。
あ? ちっがうり? あちがうり? あっちが売り? ……何か違うな。
俺の考え込む様を見てエルカは更に首を傾げる角度が増し、周りで見ていた子供たちも片眉を顰めたり、不思議そうな顔をしたり様々だが俺の動きに反応していた。
「ん~、ん?」
「リャンダ?」
ああ、そうか。やっと何を言いたいのかが分かった、エルカは俺の名前を呼んでいるつもりなのか。
そう言えば結局なんと呼ばれても特に肯定はせず、そのまま適当に呼ばせて後ろを付いて来たんだっけ……。
俺は改めて名乗るつもりで自分を指差し、エルカへ向かってゆっくりと口を動かす。
「リ、ア、ン」
「リィアン?」
うーん、惜しい。そこは伸ばす必要はないんだ。もうちょっとなんだけど発音の際の言葉を切る舌の動きが遅いのかな? ならばもう一度挑戦。
「リアン」
「「「「「リアン!」」」」」
うおっ、エルカだけじゃなく周りに居た子供まで同じように叫んだので、意外に大きく耳に響いた。まあ、本名は山中保なんだけど難易度は更に上がるだろうな。
取りあえずこのまま俺の名前は、リアンって事で良しとしよう。
俺はそう思って力強く頷いたのだが、何故かエルカは口をへの字に曲げて子供たちを睨んでいた。
そんなエルカの様子を無視して、子供たちはわっと楽しそうに建物の中へ散って行く。まるで悪戯っ子が悪戯に成功して怒られ、逃げたように見えておかしさが込み上げ思わず笑ってしまった。
案の定エルカは俺を振り向き、その頬を膨らませる。
そんな子供たちとエルカを見て同じように笑顔を浮かべていた年配の女性は、俺に右手を軽く上げ手を振るとそのまま子供たちを追うように中へ戻って行った。
そこで何かにハッと気が付いたかのように、エルカは俺の手さっと掴み握手するとこう言った。
「リアン! サワァトス ヴァルアッ」
「えっ?」
良く分からないが、エルカはそう言うと先程の女性と同じように手を振って建物の中へ入って扉を閉める。
さっきの言葉は、俺に『さようなら』って挨拶だったって事か? 今の場面ではニュアンス的にも間違ってはいないと思うが、一応覚えておこう。
何だかあっという間の出来事にも思えて、手の平の半分に減った大粒銅貨を見つめ、狐に頬をつままれた気分だったが不思議と気分は悪くなかった。
誰も居なくなった建物の前でただ立っているのは、周りから見ればさぞ不審人物だろう。俺は一度だけ振り返った後最初に通った門の近くまで戻る事にした。
――門の近くまで戻った俺は、待ちに待ったあの屋台へ赴き調味料付のあの串肉を食べるべく大粒銅貨を握り締め、ウキウキと昼間みた場所へ足を運んだのだが、残念な事に既に屋台が在った場所には食べ終わった串の棒がゴミとして落ち、それをフンフンと忙しなく匂いを嗅いで舐めている、数匹のワンコロとそれを狙っている様な猫が居るだけで、屋台も肉も残っていない。
俺は手の平でチャリッと鳴る銅貨の音色に、寂しさを感じた。
辺りももう暗く外壁が見えなくなってきたので、仕方が無く昼間見つけていた食堂か酒場どちらかだと思う、樽を店先に吊るしていた所へ行く事にする。
俺としては胃が既に肉一色に支配されているので、他の酒やら野菜やらは目に入らない。今俺の体は猛烈に肉を求めているのだ!
目星をつけていた店の前に来ると、客が出入りする度にドアが開いた隙間から中の明かりが道まで伸びて、賑やかな声も聞こえてきた。
もう既に酒が入り出来上がっているらしく陽気な声が聞こえ、繁盛している様子が窺える。
そう言えばあの壁を作る作業の手間賃を貰って直ぐに、街へ戻って行った連中の中には、ここに来て飲んでいるのも必ず居るに違いない。
ただ気になるのは、あの大粒銅貨四枚でどれほど飲み食いできるのか? 更に言えば俺は今、その半分の金額しか持っていないのだ。
食事後に代金が足りなくて皿洗いなどの労働で支払うのなら構わないが、無銭飲食扱いで牢獄行きにでもなれば、流石にたまったものでは無い。
何か頼むにせよ注意が必要だ、食事一つにここまで緊張するのは寿司屋でお品書きの代金が書いてなく、全て時価の店に入って以来かも知れん。
いざ、参る! 俺は店の扉を開き中へ入ると空いている席を目だけを動かし探す。結構人が多いと言うか意外と狭い。
何人か立ったままでコップを傾け飲んでいる男達も居たが、俺は別に酒を飲みに来たんじゃない。
肉を摂取しに来たんだ! 俺の口へ肉を詰め込め!
そう気合を入れてお客とテーブルの間をちょこまかと動き、注文を受け取りながら料理を運んでいる娘さんを、大変そうだなと思いつつぶつからない様に避ける。
何とかカウンターの近くの席に体を素早く割り込ませ、椅子の確保に成功するとメニューを探すが、店の中を見回しても全く見当たらなかった。
これはもしや常連しか来ない店? いや、そんな訳がある筈ない。
真逆とは思うが俺の恐れていた値段も名前も書いて無い、食べたい物を言う時価の店だったのか!?
俺は衝撃の事実に打ちひしがれ、愕然とする。
そうしていると、少し迷惑そうな顔でカウンターに居たおば……姉さんが、右の手の平をこちらに向けて催促する様にこう言う。
「イェドゥ ハウト クァアル サンベァテン?」
「あ~……」
俺は何て答えて良いか迷い、辺りを見回して三つ隣で食事をしていた人を指差し、次に良く見えるように大粒銅貨を二枚手の平に乗せて、お姉さんに少しばかり目に力を込めて、首を縦に振り希望を伝える。
そうすると確認する様に三つ隣の人を見た後、俺の手の平から大粒銅貨二枚を掴みとると奥へ引っ込み、注文した物を厨房に話していたのか暫くすると木で出来た深皿を持って戻って来た。
「タァアル サンベァシィ」
「どうも」
うん、相変わらず何言っているか分かんないが、料理は届いたし適当に返事をして皿と二股の串を受け取り、追加で来た何かの液体の入ったコップも貰う。
スプーンかフォークは無いのだろうか?
俺は肉を食いたかったはずなんだが……、届いた皿から直に漂う香りが昼から空っぽだった腹にガツンとパンチを食らわす。
「いただきます!」
「ア?」
お姉さんは俺がそう言って食べ出すのを怪訝そうに見たが、他の注文を受けまた厨房に戻って行ったが、その後は食べるのに夢中になり記憶にない。
料理ははっきり言って塩が濃い目にかかり、しょっぱかったが待ち望んでいた塩っ気に俺は涙した。
肉かどうかは分からないが、小振りの焦げ目のついた一切れを口に入れ噛みしめると、じゅわっと豚に似た風味の味が舌に伝わり、料理の上からかかっていた細かく砕いたパン? の様な物がカリコリと食感を良くし、他の煮汁をたっぷり吸った柔らかい野菜ぽい物と一緒に頬張る。
美味しかった。空腹は最高の調味料とは言うが、単純な塩味なのに他の食材の味がキチンと合わさって、腹が満足しかかる頃には幸福感でぽわぽわとしていた。
だからこそ気が付くのが遅れてしまったのだが、突如背中に誰かがドンとぶつかって来たせいで、体を咄嗟に支えようとした手が、まだ飲んでないコップを隣の席のおっさんの足元に弾き飛ばし、盛大に濡らしてしまう。
いくら身体能力が高かろうと、ボケっとしていたせいで即座に動けなかった。
ましてや、一日しか経って無い練習の全く足りて無い借り物の力では、意識と無意識での反応にズレがあるのかもしれない。
寧ろまた『勝手』に何かしらの技能が発動しなくて助かったと、思わず声が漏れてしまうのは仕方が無い事だと思う。
「あ~びっくりした」
「キィアット アレィカム!」
コップの中身が少しかかった時点で、横のおっさんは割と反応よく避けようと後ろに立ち上がりかけていたが、後ろにぶつかった誰かのせいで椅子が下がらずに挟まれ、結局全部かかってしまい『なんてこった!』って感じに声を上げて、隣のおっさんは倒れ込んでいた人を蹴飛ばし、俺も一緒になって原因であろう集団に目を向けた。
どうも酔っぱらった仲間同士で、ちょっとした喧嘩を起こしただけの様だが、そのとばっちりを貰った方としてはたまったものでは無い。
それこそ関係ないのに折角の食事を邪魔さては怒っても当然の事で、横に居てもおっさんの怒気が伝わり、俺は「あちゃぁ」と口を零す。
既に目が座った状態のおっさんは拳をバキボキと鳴らして、それに気が付いてない集団の背中へとゆらりと近寄って行った。
俺は『これはアカン』と思って自分の周りに薄く《結界》を這って様子を窺う。
「ムアゥファク! ムァウアング アックトォイ!」
「トォオゥ ソオー!?」
「キィアット アレィカム!」
至る所で声が上がるが、何となく動作とかで言いたい事が窺える。
単純に食事の邪魔をされ怒ったおっさんが、集団に向かって怒鳴り売り言葉に買い言葉って奴だ。
近くに居た人は巻き込まれ、おっさんと同じような声を叫んで慌てて逃げた。
そこからは一方的な展開が繰り広げられ、酔っぱらった連中の威力だけで技の伴っていない拳を片手でいなし、捻り上げて掴みそのまま投げるか転がしていく。
一応手加減はしているみたいだけど、周りの迷惑に関係なくだ……さっきのおっさんと同じ様に迷惑を被った客が逃げだしたり、怒ってその乱闘に加わるなど阿鼻叫喚の騒ぎとなって店の中は、もうちょっとしたお祭りである。
言うまでも無く喧嘩祭りだったので、事が起きる前に貼った《結界》が実に良い仕事をしてくれていて、俺に向かって飛んでくる人や物を薄皮一枚手前で弾いている。
きっと傍から見れば、見えない速度で捌いているようにも見えなくないだろう。
カウンターに背中を預けながら、目の前で起きている乱闘騒ぎを見るのはTV中継でも見ている気分だが、飲み物が在ればなお良いかも。
さっきのおば……お姉さんは溜息を吐きながら、飛んで行ったり壊れた物を目で追い指折り数えている姿を見ていた俺に、ギロリと『何見てんだい?』とでも言うように睨んできたので、慌てて目を逸らす。
何て勘の良い人なんだと喧嘩に目を戻すと大分佳境に入って来たのか、動いている人が減ってきていた。
……偶然飛んできた壺を掴み、まだ中味の残っていたそれを一口飲む、水で薄めた酒だったが味の方は微妙だった。けどまあ、ただ酒なので文句は言うまい。
もう終わりかなと思ったその時、目の辺りに酷い痣を作った最初の辺りで殴り飛ばされていた男が、俺の目の前に立ちその懐から尖った切っ先を持つ物を取り出し構えた。
俺は思わず『手が届く』距離にいた為、手に持っていた素焼きの壺をその男の頭に振り下し、パキャッと割と軽い音を響かせ打倒す。
「この壺、凄い薄い造りだな。かなりの職人芸? いや単に脆かっただけか?」
「ムアゥ プサルニィ? クァアプ サワァトス」
その音に振り向いたおっさんが、俺が倒した男とその手から落とした物をチラッと見た後、壺を振り下してその脆さを考察していた俺に向かって何か言うと、口の端を上げニヤッと笑う。
そのまま辺りを見回し両手で埃を払うような動きをして、倒れた男の手首をゴリッと音が聞こえるくらい踏み込んだ。
「ギャアアアッ!」
「キィヒッ クルァト!」
手首の骨でも圧し折ったのだろうか? 倒れた男は痛みの為か叫びおっさんは酷く眉を顰め、相手に聞かせるように何かを言うと落ちた物を拾い上げ、黙って見ていた俺にポイッと投げ渡す。
「ん? くれるの?」
「ア? ムアゥ ハイ」
何か俺にそれをくれるらしいので貰っとく、「はい」って渡してくれたし。
用は済んだとばかりにおっさんは、カウンターに居たお姉さんに近寄り少し言い合うと、倒れていた男を足で蹴って仰向けに転がす。
何をするのかと思えば懐を探って財布らしきものを取り出し、そのままお姉さんに手渡すと、まだ呻いて転がっている集団を除けつつ軽く手を振り店の入り口から堂々と出て行った。
おっさんがくれた物は小さな小刀で、刃は残念ながら俺の知る鉄では無かったが、青みがかった金属で錆びているのかと思ったらそうでは無く。
金属部全体が同じ素材で出来ていて、握りがしっくりと合うのでとても使いやすい。
これなら色々作るのにも重宝しそうだ。
こうして働いて得た大粒銅貨は食事で消えたが、ひょんな事から俺は欲しかった木を加工するのに使える道具を手に入れた。ラッキー?
肉を欲さんとする者、これを得んが為に動いたが肉とは別の光を得た。