起床②
ピピピッと鳴った目覚まし時計を素早く止め、もぞもぞと布団の中から這い出る。ユリを起こさないようにそぉっとキッチンへと向かう。小学校へと行くユリに弁当と朝ごはんを作るためだ。
まだ、頭痛が辛いがそうは言ってられない。
今日の朝食は何にしようか、と考えていた矢先、ケータイに着信があるのを見つけた。
差出人は不明。非通知だ。
夏川はこの会社の一部メンバーや未成年だというのにバイトの面倒を見てくれた先輩のメアドしか登録していない。
嫌な予感はしながらも、メールを開く。
「……………………」
長い沈黙があった。早朝ということもあってか音が一切しない。
そんな空白の時間があった。
「なん…………なんだ……?」
バックライトに照らされながら、夏川は目を見開いていた。夏川はそれから無理やり目をそらし、頭痛に苛まれながらもキッチンへと急ぐ。
投げ捨てたケータイには差出人不明のアドレスから送られてきたユリの写真だった。
◇
◇
◇
「いってきまーす」
いつも通り、ユリが元気に学校へと出発した。「車に気をつけろよー」などとありきたりな言葉をして夏川は玄関に倒れこむ。
顔は青白く、呼吸も整っていない。素人目から見ても体調がわかると人目でわかるほどだった。なんとか立とうとするも足自体に力が入らない。
(毒……?いや、身に覚えがない。俺に何があったんだ……!?)
ただの風邪とは思えない。息も荒くなり、徐々に視界も安定しなくなってくる。ひとまず、床を這いずりながら、ケータイのもとへと進む。
とにかく誰かに連絡を取らなくてはいけない。そう考えたのだ。
ケータイを手に取った時、図ったように着信音がなった。
『やっほーい。夏川くん、元気ーっ!?』
「……誰だ、テメェ……」
『んー?まだ、連絡行ってないの?あれだよ、あれ。新入社員?』
こんなチャライ新入社員がいて貯まるかというツッコミを封じ込めて、この男の話に耳を傾ける。もしかしたら、この男がユリの写真を送りつけた犯人かもしれない。あれが、ユリを襲うという宣戦布告だというのなら男の素性を解明して『ぶち殺す』必要がある。
『そんな警戒しないでよう、夏川くぅん。俺は君の仲間なんだってばーっ』
「……まずはテメェの素性を明かしてもらおうか。場合によっては……わかってるな?」
『やだなぁ。ピリピリしちゃって。あ、そうそう。ちなみにオレの名前は烏川カブト。カブトって呼んでいいよ?』
ケラケラと笑いながら、カブトと名乗る男は語りかける。
『あ、ちょっ、タンマ。ヤベェかもしんねぇ』
妙な衝撃音が聞こえた後、唐突に通話が切れた。
(今のは誰だ?新入社員って言ってたが……)
直後。
夏川の部屋の前で二つの轟音が響合い、破裂したような音を放つ。
なんとか立てるまでには回復した。よろめく体を壁に預けながら、なんとか玄関へと行き、ドアを開けた。
だんだんっ!!と目の前を人影が跳ねていく。赤髪の残滓がやけに目に残っていた。
「ふぅ。さっすがホタルさんってとこ?コードネームはえーと……なんだっけ?」
「そんなことはどうでもいいだろう。それより何故貴様がここにいる」
「ここがヒカリ製薬さん的には最底辺だからじゃね?アザミとかいう最年少幹部の班だろ。俺は暴れればそれでオールオッケーだけどさ」
髪を弄りながらカブトと名乗った青年は笑う。笑うといっても爽やかなものではない。この世の全てをバカにしたような、そんな笑い。
「なるほど、貴様はここに配属されたのか」
「そういうことだねぇ」
「だからといって、ここで暴れる必要はないだろう……!?」
「にひひ」
笑う。
「そっちの都合なんて知らねぇよ。俺の都合に合わせろよ。この世界は俺を中心に回ってるんだからさぁ?」
「……噂で聞いたとおりブッちぎりでウザイ奴だな!!」
そう言い切る前。
ホタルの体がくんっ……と沈み、地を這うように爆走する。彼女がとった行動はシンプル。力を込めた拳をカブトの胸に叩き込むことだ。骨の擦れ合う音が耳に響く。カブトは避けきれずに腕でガードする形になり、もろにダメージを受けてしまう。
しかし。
「にひひ。アンタが自分から殴るなんて珍しいなぁ?相手のパワーを利用して戦うとか意味のわからん武術を使うアンタがよぉ!!」
嘲る言葉に隠れて戦況は動く。
カチリ、と。
嫌な音がした。
夏川は嫌でも気づいてしまった。
それが、折りたたみナイフを取り出した音だと。
「あ、あぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!」
悲鳴をあげる全身に鞭打ち、玄関にある靴を赤髪に投げつける。へなへなとした動きで赤髪のもとにすら届かないが、少しの注意は引けた。
信じている。
ホタルならばこの一瞬を最大限に活用できることを。
「がっ……!?どぅわっ!?」
流れるような動作で赤髪は空中で回転させられた。夏川が視認できたのは足払い程度。それからどの様な動きがあったのかはわからなかった。地面に叩きつけられた赤髪は咳き込みつつ、意味もなく笑う。
「げほっ……ふひひ。げほっげほっ……やっぱそうじゃねーとなぁ……」
ニタニタと。
ナイフを片手にゼンマイ仕掛けの人形のように立ち上がる。口の端が滑らかに裂けていく。
「あぁ……久しぶりにここまで『欲』がでちまった……」
「欲……?」
「『殺人欲』ってやつさ……とにかく俺はアンタらを殺す。それだけで満足なんだぁ……」
理解、できない。
いや。
いいや。
理解できる方がおかしいのか。
「相変わらずそんなことを言っているのか」
「人間、そう簡単に変われるもんじゃねーって」
赤髪を揺らし笑う。
「何かを壊すこと。そう!それこそが俺の生まれてきた存在意義!使命!!あぁ……なんてすばらしい人生なんだろ。幸せ過ぎてヨダレ出ちゃう」
天を仰ぎ、頬を高揚させる姿は狂気以外の何者でもなかった。
「……その辺にしておけ。ここに移籍してきたんなら問題は起こさないことだな」
「あ?なんでテメェが俺に指図すんの?俺より弱いくせに」
「……発言を撤回しよう。今日限りで貴様の移籍という事実、または貴様の存在自体を抹消してやる」
「あららぁ?まだコンプレックスなの、それ。強くなりなよ、彼みたいにさ」
今まで蚊帳の外だった夏川に指を指す。いつの間にか手には歯ブラシが握られていた。
「君ってあれでしょ。人は殺したくないよーとか言いながら笑顔で拷問するタイプでしょ?」
「否定はできない、かな」
「ふひひ。そういうのが一番怖いんだよ。今さっき部屋に戻って持ってきた歯ブラシを構えるなんて正気の沙汰じゃねぇよ。網膜なんか擦られたら死んじゃうし。それとも?もっとエグいことに使うの?」
嘲る笑みの裏に多少の焦りがある。本当に危機感を持っているのだろう。先ほどのホタルと比べては。
とにかく夏川としてはこの男が新入社員だとか殺人狂だとかそんなちっぽけなことはどうでもいい。
コイツがユリの写真を送って来て脅迫しているのか。それだけだ。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それなら、彼は。とりあえずこの赤髪を叩き潰す。
ようやく本調子に戻ってきた体に鞭打ち、大きく何かを投げる素振りをする。素振りだけだ。実際には何もない。しかし、赤髪は警戒し、横に跳ね飛んだ。そこに容赦なく蹴りを叩き込む。
が。逆に足を掴まれ、動きを封じられてしまった。
「あーあぁ……アンタはそういう戦い片じゃダメだって。もっと考えて相手の思考を飛び越えてもっとクレバーに戦わなきゃ」
「黙れ、クズ」
「初対面にクズってのは酷いなぁ……ま、いいや。アンタと戦ってもどうあがいても楽しい『殺し』にはならなさそうだ」
そういって赤髪――烏川カブトは手をひらひらと振り、帰るということを伝えるジェスチャーをする。
この男は今さっきまで戦闘していた二人に背を向けた。それだけで嫌悪感とホンの少しの恐怖感を覚えた。
果てしなく続く不快感がその他の感情を押しつぶす。
ただ、不思議と殺意は覚えない。そして何故か。どういうわけかは知らないがどうしようもなく可哀想だ、という言葉が思い浮かんでいた。




