プロローグ : 理想の自分像/もしくは未練
※つたない文章ですが、趣味で書き始めました。感想等貰えると嬉しいです。ぜひ、生暖かい目で見守ってあげて下さい。
【登場人物】(※順次追加予定)
小森陽介:大学四回生、母子家庭で育つ。父母共に芸能界の第一線で活躍中
さらさらと髪を撫でる風、触った感触は柔らかな土の上
少し眩しいけれど、優しく降り注ぐ光に包まれてそっと目を開ける
こうして、ぼく/わたしは うまれた。
からだがあつい、なんだかとても いいきぶんだった。
しかし、
だれかがいう
「 お前は神の悪意によって生み出された 」
だれかがいう
「 お前は人を食う化け物だ 」
だれかがいう
「 お前は誰にも愛されない 」
だれかがわらう
「 お前は初めから生まれる運命だった」
だれかがさけぶ
「 お前は人の形をした化け物だ 」
だれかがささやく
「 誰もお前を愛してはくれない 」
―――― それでも この ぼく/わたし は
だれかのぬくもりをもとめずにはいられない
ぼく/わたしは ばけもの だ
あいを むさぼる ばけもの だ
【 How to make Human 】
雨は一向に止む気配を見せない。ついには雷の轟く音まで聞こえてくる始末。2階建て木造アパート『雅』の前に着くと、やれやれといった表情で小森陽介は深いため息を漏らした。
足元に小さな水飛沫を上げながら、淡々とサビの目立つ鉄筋階段を上って自室のある2階の廊下へ辿り着く。全身はびっちょり濡れていて、寒気がしてくる。 今朝の天気予報では午後から怪しくなると言っていたのに、傘も持たず出かけたのは不覚だった。陽介は、水を吸ってすっかり重くなってしまった服を絞りながらがっくりと肩を落とした。
「……やべ」
そういえば洗濯物を干したままだったと気が付く。このアパートにはベランダらしきものは無い。住民達は必然的に窓を開けて乾燥させるか玄関前に干すかの方法を取らざるを得ない。陽介の場合、部屋は2階の中央にあるので、通行の妨げになる玄関前に干す事は控えていた。加えて、いつもなら半開きにしておくはずの窓を、よりにもよって今朝は全開にして、どっさり溜まった三日分の洗濯物を干していたのだった。なので「ヤバい」のである。
「うわッ、最悪だ!」
こうしている間にも雨はどんどん強くなっていく。洗濯物が濡れているのはもちろん、部屋の床にも多大な被害が及んでいる事だろう。顔を真っ青にしてバタバタと自室へ向かう。
「大学生になったら全部一人で出来るの?今からそんな様子じゃ心配だわ」という1か月前の母の言葉が聞こえてくるようだ。 本当に今更だが、実家を離れて生活してみて初めて親の有難味というものが解ってきた気がする。大学へ入学する前の自分は、案外一人暮らしの方が気楽で良いのではないか?などと思っていたが、とんでもない。実際は、掃除や洗濯、自炊がいかに面倒かというのを思い知らされただけだった。結局、今まで自分の身の周りの事を親に任せすぎていた。自分で行動を起こさずとも、親がやっておいてくれたのを良い事に何もしてこなかったツケが回ってきたのだ。
自分を、生活を保護してくれる者はもう何処にも居ない。
独り身になって何より耐え難かったのはこの親に見守られているという安心感が無いことだった。
陽介は時々、そんな風に「誰かに管理される日々」が懐かしいと思う事がある。自分で考えて苦しむよりかは、他人に任せた方が良いに決まっている。身の安全、行動の全般、余暇の過ごし方に至るまで、何もかもを他人に管理されたいというのがこの青年の願いだった。自分でもいつからそんな人間になってしまったのかは解らない。もしかしたら、生まれついてのものだったのかも知れない。
例えるなら、小森陽介という男は波の流れに身を任せる船のような存在だ。
今まで自分からは何もせず、何も考えずというのが当たり前だった。
何が良いか悪いかは誰かが判断してくれる。
困った時はいつも誰かが自分を動かしてくれた。
何をすべきかは自分が決める事ではなく、その時の流れによって決めるものだ。
自分は波の向くままに、あるいは操縦者の思うように進むだけ。
流されるだけのつまらない航海だが、彼はそれで満足していた。
考えるのが苦手だった。トラブルと呼ばれるものは何よりも嫌いだった。だから、当たらず触らずな人生を。
これからも波に沿って進む船のままであり続けたいと願っていた。
そうやって流れ着いたこの大学でも、同じような平穏な日々が続くと思っていたのに……。陽介が思い描いていた理想は、このたった30日のうちにぺしゃりと潰されてしまった。
高校を一歩出てみれば、そこは自己管理の世界。
全ての事に責任を持ちなさい、誰でもない貴方の意思で行動しなさいとという環境は、今までなんとなくの人生を過ごしてきた陽介には厳しすぎるものだった。
自分で何をしたいのかが解らない、自分からは行動出来ない、責任感という重圧に耐える事が出来ない。
大学へ入学してからというもの、常に自分にとっての無理難題が立ち並び、壁にぶち当たって情緒不安定になる毎日を送っていた。無論、陽介にとってそんな事の繰り返しが楽しいはずもなかった。
だが、無難な人生を送りたい陽介にとっては、こんな小さな躓きで挫折する訳にもいかなかった。
再び川の流れに身を任せるには、この障害を乗り越えなくてはならない。無難な人生……つまり、何も心配事がない安定した生活を送れるようになるためにはある程度自立する必要がある。大学程度で悩んでいてはこの先の航海も危ぶまれる。目の前に立ちはだかるこの難を乗り切るには、自分の本質を叩き直すしかないと思った。いや、正確に言えばそれしか思いつかなかった。しかし、意識して直そうとすればするほど空回ってしまう。今日の失態も、まずは自分の身の回りの事ぐらいは責任を持ってきちんとやらねば、と思ってやり始めた矢先の出来事だった。 気分転換に部屋に戻ったら風呂でも入ろうか、一度頭を空にして気持ちを引き締めよう。何、まだ5月上旬だ。やり直しは効く……自分は此処から変わるんだ。そんな事を考えながら鍵を差し込もうとした時だった。足元で何かを踏んだような音がした。擬音に表してみればぐちゃっとした、熟れ過ぎたトマトを踏みつぶしたような感覚―――― 怪訝に思い、足元に目を落として陽介はぎょっとした。
※
春言えど、夜は少し肌寒いくらいだ。念のために上着を持って行って良かった。
カンッカンッと軽快な音を鳴らしながら、サビの目立つ鉄筋階段を上がる。ふと、階段から見える景色に目を移せば、脇道に連なる桜木がもう咲き始めようかという頃だった。
こんな景色を見るのももう4回目だ。特別綺麗という風にも感じなかったが、何となしこの景色は好きだった。しばらく眺めていたかったが、またいつも通りに階段を上った。見とれている余裕はない。いつも 通りに、やらねばならない事がある。4年前、不安を抱きながらも大学での生活に充実感を感じ始めたあの頃から俺は『普通』とは程遠い生活を余儀なくされた。
俺にとって帰宅する時ほど嫌な事は無い。この時は心臓が異常なほど跳ね上がり、手足が痺れる。何度神に祈った事か、何度死を覚悟した事か。
ドクン、ドクン、ドクン
あぁ、扉が見えて来る。来てしまった。
喉がカラカラに乾いて、さぁッと血の気が引く。ゆっくりと自分の足元に視線を落とす。
そして、捉えたのは――――――
「ッ……!」
全身の毛が逆立つ。今日も、あった。
ガムテープをぐるぐると巻かれた一際存在感を放つ黒い塊が、今日も俺の前に現れた。
そしてその隣には小さく折りたたんだノートの切れ端が落ちている。あの時から何も変わらない、いつもの光景だった。
まずはノートの切れ端に手を伸ばし、拾い上げる。そこには(いつもの様に)同じメッセージが書かれていた。
『 もうすぐ産まれるよ 』
次に黒い塊に触れる。ビニールのベールの下にあるゴツゴツした感触は先ほどまで生きていたであろう動物のものだ。
塊から温かさは感じられない。恐らく(いつもの様に)死んでいるんだろう。
そう、あの日から変わっていく。俺がかつて望んだ日常は、手の届かない何処か遠くへ行ってしまった。危険に晒されながら、怯えながら送る毎日。俺が何よりも嫌ったトラブル・ハプニング尽くしの生活。それが今の現状だった。