そういうのをトラブルメーカーっていうんじゃない?(1)
ここ数日、妙な夢を見て、寝苦しかった。
どんな夢かはっきり覚えている訳じゃない。
ただ、息苦しかったり、窮屈で潰されそうだったり、あまりいい気持ちじゃないのは覚えている。
そんなのが続くと、些か寝不足で、日中にも支障をきたす――例えば、居眠りだとか、集中力の欠如だとか。
別に仕事らしい仕事を持っている訳でもなくて、現在の私の状況と言えば、環境に慣れろ、というところ。
魔界一年生(こういう言い方もどうかと思うが、勅使河原さんが言うには、時たま私のように、別の世界からこの魔界に迷い込んでくるケースがなくもない、そうなると大抵が此方の魔界で生きていく事になるので、此処ならではのしきたりや暮らし方、また、此方の歴史や言葉といった、必要な事を学ぶ必要がある、それ故に一年生という事らしい)の一日は、結構学習に費やされる。
会話をしていてそんなに不便は感じないのだけど、文字の方は全然わからない。
よく、私のところに来ていた木崎さんや勅使河原さんは、平然と字を読んでいたなあと感心する。
それを口にすれば、彼らは、私よりもずっと長い時間を生きているのだから、それくらいの暇はあった――つまり、学んで覚えたって事よね――というのだけど。
そう。
この時間という感覚。
これも慣れなくてはならない一つ。
何せ、此処の住人達は、寿命が人間とは比べ物にならない。
少しだけ年上くらいに見えていた木崎さんの年齢だって、実際に人間に換算して聞けば、飲んでいた茶を噴きだすくらいに長かった。
「そんなに驚くところか?」
嫌そうな顔をしながら、優雅にティカップを傾ける木崎さん。
にやにやしながらそれを見ていた勅使河原さんが、自分の方が、木崎さんよりも年下だと付け加えると、木崎さんの眉間の皺が、明らかにくっきりとした。
「数年の差をガタガタ言うな」
「都から見れば、すっごく大きな差じゃねえの?」
だろ? と話を振られても。
確かに、数年って結構長いってイメージがあるのは事実。彼らにとっては、数か月、下手すると数日くらいの差なんだろうけどね。
でもさ。
勅使河原さんとひとまとめに此方を睨まれても、私としてはどうすればいいのだか。
「ところで、このお茶って、美味しい」
話を逸らしてみた。
感じとしては、紅茶に近いのかな。
砂糖を入れてる訳でもないのに、ほんのり甘くて。
でも一番大きな違いは、香り。香水よりも自然で、それなのに華やかで、瑞々しくて。
木崎さんがアルコールをあまり好まないのを思い出し、確かにこんなの飲んでいたら、他の飲料はあまり美味しく感じないんだろうな、と納得した。
カップを口元に近づけると、ふわりと、香りが控えめに立ち上る。
こんな香水があったら、つけすぎだとか臭いとか、もめないんだろうなあと、思いながら、お代わり、とポットに手を伸ばした。
「そりゃ、ここいらの特産だからな」
勅使河原さんの声に、え? と手が止まる。
「今度外に出た時にゆっくり見てみりゃいい、割と育ててる家も多いからな、自家製ブレンドに凝ってるやつもいるぞ」
「育ててるって、このお茶の木?」
「木っていうか、草っていうか」
木というほど大きなものでもなくて、草にしては少々背が高い、という、あいまいなところの植物で、薄緑の目立たない花が咲くんだそうだ。
「その花から作ってるのがこれだ」
「へええ~」
その花の名も、お茶の名も、聞くには聞いたのだけど。
とてもじゃないが、普通に発音できるものでもなければ、私の知る文字におこせるものでもない。魔界に特殊なものになると、ぐっと此処の言葉は難しいものになる。
「ま、心配すんな」
勅使河原さんが、ぽんぽんと肩を叩いた。
「お茶って言ったらまずこれの事だから、通じない事はない」
「まあ、それならいいか……」
「よくはない」
ずっと黙っていた木崎さんの声だった。
「努力はしてもらわねばならぬ、言語は基本中の基本だ」
「ふわーい」
「気の抜けた返事をするな」
何処の厳しい教師だ。
「全く、不器用だよな」
くくっと、勅使河原さんが笑った。
「勅使河原」
「おお、怖い怖い」
そう言いながら、ぽん、と今度は私の頭を軽く叩いて、彼は立ち上がった。
「今飲んでたのな、俺んとこのオリジナルで、不眠に効くから」
「え?」
聞き返す間もなく、それじゃ、と勅使河原さんはさっさと姿を消してしまい。
「え? え?」
今聞いた事をどう処理したらいいのか、おろおろと木崎さんに目をやれば。
木崎さんは、深い溜息をついた。
そして。
「目の下、クマができておるわ」
す、と。
白い長い指先が、私の目元に触れてくる。
ひやりとした感触が心地いい。
思わず目を閉じた。
「休めそうか?」
「こんな……ところで?」
でもおかしい、目を閉じた途端、急速に襲ってきた眠気に、ずるずると、ぬかるみにはまったように引き込まれていく。生暖かくて、ふわふわ、ぬるぬると、それが妙に気持ちよくて。
そう、眠りに落ちる一瞬前の、それだ。
さっきまで何ともなかったのに。
「何……か」
術でもかけたの?
そう、聞きたかったのに、もう、口を開くのもおっくうになってる。
飲み物に仕込まれていたにしても、回るのがいきなりだ。
そんな風に、考える事すら面倒になってきて。
「フン」
閉じた目の先。
見えないのにわかる。やけに、優しい響きの、笑う声で。薄く笑っている木崎さんの、顔。
気持ちの良いぬるま湯につかっていた。適度に体にまとわりついて、動きを鈍くするけれど、全く動けない訳じゃない。
緩やかに腕を伸ばせば、何処までも心地いい温度の水が、広がって。
そう、ぱしんと、額に衝撃を感じるまでは……
「いったあぁ……」
涙目になってる。
よりによってそれ《デコピン》か!
起こすにしたって、起こし方ってあるじゃないの。そう、文句を言おうとして、痛みにぎゅっと閉じていた目を開くと、至近距離に顔。
「な? ななな何で!?」
「落ち着け」
木崎さんが、しっ、と鋭く言った。そうして、がっちりと私の口を塞ぐものだから、静かにも何も、声なんか出せやしない。
しょうがない、両手を上げてホールドアップの格好をした。これが通じるかどうかはわからないけど、とりあえず騒がないし何にもしないから、解放してほしいな、という目でじっと見つめる。
「よお、都」
「!?」
にやりと笑っているのは、勅使河原さんだった。うっかり叫びそうになった。
口塞いでてもらってよかったのかもしれない。だけど、顎のあたりでぎしって音がしたよ今、本当にいいんだろうかこの状態。
「ぐっすりお休みだったじゃねえか、お姫様」
「もごもごもが(当たり前でしょ)」
あんたらが仕組んで寝かせたくせに。
ふ、と木崎さんが息を吐いて、そうしてゆっくりと掌を外してくれた。
苦しかった息が楽になる。
「ぷはあ……」
「木崎、加減ってものがあるだろ」
「口しか塞いでおらぬ」
「「そういう問題じゃない」」
最後の言葉は、私と勅使河原さんが重なった。思わず二人で顔を見合わせて、親指を立てあう。それくらいぴしりっと合わさってた。
でも、そんな場合じゃないんだった。
「どのくらい寝てた?」
私用にもらった部屋の中だった。
横になっていたのはベッド、しかも、キングサイズで、涙が出るくらいにふかふかの布団つき。部屋についていたのである。
視界がぼうっとしているのは薄い生地が下がっている所為。
天蓋付きベッド、だなんて映画でしか見た事ないよ。
レアすぎるって最初は大興奮だったけど、最近はだいぶ慣れてきた。
とはいえ、毎朝目を覚ますと、お姫様みたいだとうっとりする……というのは内緒だ。
よくよく見れば、騒がないようにって焦ったのはわかるんだけど、其処に寝てる私にのしかかっている格好になってる木崎さん。
仮にも、乙女(ツッコミ不要)の寝室に、男二人がいる。
これって傍から見たら、かなり怪しい光景だったんじゃないだろうか。
等と、冷静に見回して考えていると。
「悪いな、都」
勅使河原さんが、がりがりと頭をかいた。
「他の奴が来ないように、ちょっと静かにしててくれ」
「静かにって、どうし……えええ!!」
体に違和感を覚え、確かめるべく手を伸ばし、触れたものに私は思わず叫び。
「だから騒ぐでない!」
ああ、折角解放されてたのに、また口にぺったりと掌が。
「もごもが!」
「だから、木崎! 加減しろ!」
「貴様まで喧しいわ」
半身を起す。クッションを入れてもらって、あら、本当に何処かのお嬢様かお姫様みたい、なんて思いながら。さっきまで軋んでいた顎を撫でて確認、うん、ずれた様子はない。
だけど、布団の中に手を突っ込めば、やはり、さっき触れたものは、其処にでん、と居座っている。
これは……
その……
「えーととりあえず、説明して?」
木崎さんと勅使河原さんは、顔を見合わせた。
どちらが口を開くか、そんな風に目だけで会話をしていたみたい。
やがて、諦めたように、木崎さんが、喋りはじめた。
「都……立ってみよ」
「は?」
「いいから、立ち上がってみるがいい」
布団から出ちゃったら、さっき、手で確認したものが、見えてしまうじゃないか。そんな、見たくもない現実を見させるなんて、なんて非道。
「さっさとしろ」
何故か、木崎さんの額に青筋が立ちそうになったので、思考をストップさせて、私はそっと立ち上がってみた。
「これでいいの? でもって、何が……ぎゃあああ」
「そなたは学習能力がないのか?」
また口を塞がれてしまったがそれどころではない。
後ろのあたり。
ふさぁふさぁ、とこれ見よがしに立派に揺れているやたら毛並みのいい……尻尾が目に入った。
そしてそれの根元は、私の体に。
つまり。
ふぁんたじぃの後日談、3話構成になります。