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第3章 月光の下で交わされる約束

その夜の舞踏会は、私の人生において決定的な転換点となる瞬間を、静かに、しかし確かに刻み込んでいた。

私はドミトリー・イヴァノヴィチ・ヴォロノフ公爵の腕に導かれ、ワルツの旋律に身を委ねながらも、心の奥底ではまだ信じがたい現実を噛みしめていた。

侯爵の影はすでにホールから消え去っていたが、その残像は私の胸に冷たい棘のように残っていた。

公爵の胸は広く、温かく、まるで古い城壁のように私を守る要塞のようだった。

ステップを踏むたび、彼の銀糸の刺繍がシャンデリアの光を柔らかく反射し、私の視界を優しく染め上げていた。

音楽が一曲を終えると、公爵は私の手を離さぬまま、ホールの端にある大きなガラス扉へと私を導いた。

外のテラスは、満月の光に銀色に輝き、夜風が薔薇の香りを運んでいた。

「エレナ・パブロヴナ。」

公爵の声が、穏やかでありながら深い響きを帯びて夜の空気に溶け込んだ。

「ここで少し、息を整えよう。」

彼はテラスの欄干に私を寄せかけ、自分もその傍に立った。

月光が彼の金色の髪を優しく照らし、青灰色の瞳に神秘的な輝きを与えていた。

私は深く息を吸い込み、ようやく言葉を紡ぎ出した。

「公爵殿……ありがとうございます。」

私の声は、震えを抑えきれずにいた。

「あなたがいなければ、私は今もあの男の腕の中に囚われていたでしょう。」

公爵は静かに微笑み、私の顔をまっすぐに見つめた。

その視線には、ただの同情ではなく、深い情熱が宿っていた。

「君の瞳に映る恐怖を、私はもう二度と見たくない。」

彼は低く囁くように言った。

「ボリソフ侯爵のような男が、君のような純粋な花を汚すなど、許されることではない。」

私は頰が熱くなるのを感じ、視線を少し逸らした。

心の中で、さまざまな感情が渦巻いていた。

解放された喜びと、新たな不安。

この公爵は、本当に私を愛しているのだろうか。

それとも、ただ侯爵を挫くための政治的な策略に過ぎないのだろうか。

しかし、彼の次の言葉が、そんな疑念を優しく溶かしていく。

「私は君を、ずっと前から見つめていた。」

公爵は欄干に手を置き、夜空を仰いだ。

「宮廷の舞踏会で、君が十九歳の花として咲き誇る姿を。」

「ボリソフの婚約が発表されたとき、私は胸に痛みを覚えた。」

「君には、あんな男より俺の方がふさわしい。」

彼は再び、私の瞳を覗き込んだ。

「俺の女になれ、エレナ。」

その言葉は、舞踏会の喧騒の中と同じだったが、今はテラスの静寂の中で、甘く重い響きを帯びていた。

私は息を呑み、胸の鼓動が速まるのを感じた。

「公爵殿……そんな突然の申し出に、私はどう答えればよいのでしょう。」

私の声は、かすかに震えていた。

公爵は私の手を優しく取り、その甲に唇を寄せた。

その感触は、侯爵の粘つくような触れ方とは全く異なり、温かく、敬意に満ちていた。

「答えなど、急ぐ必要はない。」

彼は静かに続けた。

「ただ、君の心が私に向かうのを、待つだけだ。」

「しかし、婚約の破棄はすでに現実となった。」

「ボリソフ侯爵は、今頃自分の領地に戻り、屈辱に苛まれているだろう。」

私はその言葉に、静かな満足を感じた。

ざまあみろ、という思いが、心の奥で小さく花開いた。

あの男が、私の恐怖を弄び、欲望を押しつけてきた日々。

今、彼は宮廷の笑い者となり、過去の不正が再び囁かれることになるだろう。

公爵の情報網は、宮廷の暗部をすべて知り尽くしているようだった。

「彼の前妻たちの死にまつわる疑惑。」

公爵は淡々と語った。

「領地の農民に対する苛烈な税と罰。」

「それらを、私は国王陛下に直接報告する準備を整えている。」

「君を解放した代償として、彼は二度と宮廷に顔を出せなくなるだろう。」

その宣告は、冷たく、しかし正義に満ちていた。

私は公爵の横顔を見つめ、初めて心の底から安堵の息を吐いた。

月光がテラスを銀色に染め、遠くの庭園から夜鳥の声が優しく響いてきた。

「ドミトリー・イヴァノヴィチ。」

私は彼の名を、初めて親しみを込めて呼んだ。

「あなたのおかげで、私は初めて自由の空気を感じています。」

「しかし……この先、私の家族はどうなるのでしょう。」

「ボリソフ家との婚約破棄は、家系の財政に大きな打撃を与えるかもしれません。」

公爵は私の手を握りしめ、優しく微笑んだ。

「その心配は無用だ。」

彼の声は、確信に満ちていた。

「ヴォロノフ公爵家は、君のロマノヴァ伯爵家を全面的に支援する。」

「財政的な援助はもちろん、領地の管理も、私の信頼できる者たちに任せよう。」

「そして、君は私の恋人として、近いうちに結婚の儀式を執り行う。」

その言葉は、まるで運命の絆を紡ぐ誓いのようだった。

私は頰を赤らめ、しかし心の奥で喜びが広がるのを感じた。

十九歳の私にとって、この公爵はまさに救世主であり、理想の伴侶のように思えた。

「公爵殿……いえ、ドミトリー。」

私は勇気を振り絞って言った。

「あなたの気持ちが本物であることを、信じたいと思います。」

「私も、徐々にあなたを知っていきたい。」

公爵の瞳が、月光を受けて輝いた。

彼は私の肩を引き寄せ、優しく抱きしめた。

その胸の温もりは、侯爵の冷たい圧迫とは正反対の、安心感を与えてくれた。

「俺の女になれ、という言葉は、ただの衝動ではない。」

彼は私の耳元で囁いた。

「君を愛している、エレナ。」

「これから、君の人生を、私が守り抜く。」

テラスの風が、私のドレスの裾を優しく揺らした。

遠くのホールからは、まだ音楽の余韻が漏れ聞こえていた。

しかし、ここは私と公爵だけの世界だった。

私は彼の胸に顔を埋め、静かに涙を浮かべた。

それは、恐怖からの解放の涙であり、新たな愛への期待の涙だった。

イゴール・セルゲイヴィチ・ボリソフ侯爵の影は、すでに遠くに追いやられていた。

彼が宮廷で受けた屈辱は、明日には貴族たちの間で大いに語られるだろう。

「ざまあみろ。」

私は心の中で小さく呟いた。

あの男が、私の純粋さを踏みにじろうとした報い。

今、彼は孤独と敗北に苛まれ、領地で歯ぎしりをしているに違いない。

公爵は私の涙を優しく拭い、額にキスを落とした。

「もう泣かなくていい。」

彼は穏やかに言った。

「これからは、すべてが君の幸せのためにある。」

月光が私たちを包み、夜の庭園は静かに息づいていた。

しかし、この約束が本当の始まりであることを、私はまだ知らなかった。

公爵の恋人として生きる道は、甘美でありながら、さまざまな試練を秘めていた。

それでも、今この瞬間、私は心から安堵し、未来への希望を抱いていた。

テラスを後にする頃、ホールではすでに噂が広がり始めていた。

ボリソフ侯爵の惨めな退出と、私の新たな伴侶。

貴族たちの視線が、私たちに向けられる中、私は公爵の腕に寄り添い、誇らしげに歩を進めた。

この夜は、まだ終わらない。

私の人生の新しい章が、月光の下で静かに幕を開けていた。














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