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おはようございます、こんにちは、こんばんは

初めましての方も、お久しぶりの方も。


どれだけ時間がかかろうと、この作品だけは命をかけて、必ず最後まで書き切ると決めました。

作者のエゴに過ぎませんが、どうか、お付き合いください。よろしくお願いいたします。

 誰の心の中にも、死にたい自分と生きたい自分が存在しているのだと思う。大半の人間の場合、常に生きたい自分が優勢のまま、その生涯を終えていくのだろう。

 だけど、ごく稀に。衝撃的な出来事によって、死にたい自分が勢力を拡大することがある。一度覆ってしまった勢力は不可逆で、そうなってしまえば、どんな時でも常に『死にたい』が絡みつくようになってしまうのだ。


 だから、僕は、ずっと──。



----------------------------------



 ひどく寒い日だった。日中の最高気温でさえ五度にも届かなかったその日は、誰もが外に出ることを躊躇ったのだろう。僕が働いているハンバーガーチェーン店は、一日を通して、普段よりも来客数が少なかった。言ってしまえばとても暇で、昼から出勤してきた同僚は厨房に顔を出すなり「今日の売り上げ、ワースト更新かもな」と話しかけてきた。

 とはいえ、僕も同僚も単なるバイトなので、売り上げなんて気にしていない。そりゃあ、売り上げのレコードを更新した日にはやりがいを感じたりするけれど、ワーストの方はさして興味がない。十数分に一回入るかどうかの注文の間を縫って、同僚と雑談に興じたり、主婦の小言に耳を傷めたりしていた。


 そうしているうちに退勤時間となり、開店から続いていた僕のシフトは終わりを迎えた。閉店作業まで残る同僚の恨めしそうな視線を無視して、退勤時間を打刻するために店の前方へ向かう。


「先輩も終わりですか?」


「僕もってことは、岡崎もか?」


 十七時〇二分での退勤をマネージャーに伝えていると、防寒具で着膨れしているお客様に商品を渡していた女子から声を掛けられた。


 ──岡崎(おかざき)あさひ。僕の二つ下で、大学三年生。学部もサークルも僕と同じで、何の因果かバイト先でも僕が彼女の専属トレーナーになってしまうという、おそらく大学生活において最も関わりの深い後輩だ。

 名前に違わない太陽のような天真爛漫さと、お客様一人ひとりに合わせた心のこもった接客。老若男女問わずあらゆる客層から人気を博している彼女は、この店のアイドルと表現していいだろう。僕だって営業スマイルにはそこそこの自信を持っていたのに、基礎を少し教えただけであっという間にお株を奪われてしまった。

 人気の理由として、優れた容姿も挙げられる。くりっとした瞳や、決して細すぎるわけではない健康的な体型と、すらっと伸びた手足。この店で働いているのがもったいなく思えるのだけれど、調子に乗るのは火を見るより明らかなので、口が裂けても本人に伝えるつもりはない。まあ、天は二物を与えずなんて名言は嘘っぱちなのだろう。神様はいつだって誰にだって、平等に不平等なのだ。


「はいっ! 私も十七時までです」


「そっか、お疲れ様」


「ありがとうございます。……え、それだけ!?」


 他に何があるのか。文句を言いたそうな後輩を一瞥して、僕は店舗裏の控え室に下がる。分かっていたけれど、暖房のない控え室は馬鹿みたいに冷えていた。ちなみに夏場は馬鹿みたいに通気性が悪い。

 店長は発注作業でもしているのか、難しい顔でパソコンとにらめっこをしている。邪魔にならない程度に「お疲れ様っス」と声を掛ける。


「ん、おう」


 とても無愛想な声が返ってきたけれど、忙しい時の店長はこれが通常運転だし、僕も特段話したいことがあるわけでもない。早々に更衣室に入ってカーテンを閉める。ほぼ同じタイミングで岡崎も控え室に下がってきた。


「店長お疲れ様でーす!」


「ああ、岡崎さん。今日もありがとうね」


 ……店長、いくらなんでも僕の時と反応が違いすぎませんかね。いや、これが僕と彼女の人望の差というやつですか。

 ズボンを履き替えていると、店長との会話が一区切りついたのか、岡崎の声がこちらに向いた。


「一応確認しますけど、優人先輩ですよね?」


 十七時までのシフトは僕と岡崎だけなのだから、そうに決まっている。


「そうだよ」


 返事をしたら、何の前触れもなく更衣室のカーテンが開けられた。といってもほんの少し、腕が入るくらい。いや、程度の問題じゃないなこれ。


「遂に使用中の意味も理解できないくらい馬鹿になったか」


「先輩と違って留年する予定はないので馬鹿じゃないでーす。先輩ならいいでしょ?」


 うん、二点ほど言わせてほしい。

 一つ目、僕──美浜(みはま)優人(ゆうと)が留年したのは単に学力の問題ではなく諸般の事情があってのこと。これに関しては伝えていない僕が悪いんだけど。ちなみに、同僚は学力の問題で留年している。

 二つ目、岡崎の中で僕のプライバシーってどうなってるのかな?

 頭に浮かんだそれらを口にするかどうか迷っていると、カーテンの隙間からにゅっと腕が伸びてきた。さては痴漢かと思って目を凝らすと、細い指にはロッカーの鍵が握られている。岡崎さんこれはなぁに、と思っていると、心の声を読んだとしか思えない声が聞こえた。


「そんなことより、私のスマホ取ってください。八番のロッカーです」


「……僕が着替え終わるまで待てないの?」


「はーやーくー」


 きっと僕は男どころか人間として見られていないのかもしれない。でなければ貴重品が入ったロッカーの鍵なんて他人に渡してくるはずがない。僕たちの三年間は何だったのか……。

 そんなことを考えながら彼女に言われるがままスマホを渡す。彼女の性格をそのまま表したような、パステルカラーのスマホケースが印象的だ。


「ありがとうございまーす」


 これでもう用済みとばかりにカーテンがぴしゃりと閉められる。本当にスマホが欲しかっただけなんだね。

 まあ、僕が更衣室に入っていることで彼女を待たせているのは事実。正当性があるかはともかく、その時間潰しのためにスマホを要求したのだろうし。

 僕はさっと着替えてバイトの制服を鞄にしまう。更衣室を出て荷物が全てあることを確認していると、ふと視線を感じた。顔をあげると、スマホに夢中になっていたはずの岡崎が僕を見つめていた。目が合った瞬間、彼女はやっぱり太陽みたいな笑顔になって、言った。


「お疲れ様です♪」


 すごい、語尾に音符マークが見えた気がする。というかこんなやり取りさっきもしなかったっけ。首を傾げていると、岡崎は言葉を付け足した。


「先輩からは言ってもらいましたけど、私から言ってなかったなと思って」


「律儀だな」


「親しき仲にも礼儀は必要なんですよ?」


「言うほど親しいか?」


「えぇ!?」


 そうするのが当然であるかのように頬を膨らませる岡崎。もちろん本当に怒っているわけではないので僕は笑ってしまう。彼女はその顔のまま僕と入れ替わりで更衣室に入ってカーテンを閉めた。完全に閉まる直前に僕に告げる。


「覗いちゃダメですからね」


 誰かさんと違って、僕には使用中の更衣室を開ける趣味なんてない。かといって何か反応を示すのも彼女の思う壺だよなあ、と鮮やかにスルーを決め込む。沈黙に耐えられなくなったのか、岡崎が恥ずかしそうに叫んだ。


「何か言ってくださいよ! 自意識過剰みたいじゃないですか!」


 してやったり。ふと横を見ると、店長が肩を震わせて笑いを堪えていた。この人、笑いのツボが浅いんだよなあ。うちの後輩がご迷惑をおかけしております。

 コートからスマホを取り出して、SNSのタイムラインを適当にスクロールする。いろいろな通販が、年末なんちゃらでセールを開催しているらしい。僕には関係ないけれども。


 不意に更衣室から声が掛かる。


「ねえ優人先輩」


「んー……?」


「先輩って、今日で年内最後のシフトでしたよね」


 その質問に答えたのは、僕ではなく店長だった。どうやら(たぶん)発注作業は滞りなく終わったようだ。


「ああ、そういえばそうだったね。一年お疲れ様でした。卒業論文か何かの追い込みで忙しいんだっけ?」


「……ええ、まあ」


 言葉を濁した僕に気づくことなく、店長が続ける。


「その様子だと上手くいっていないのかな? あわよくば年末年始も入ってもらおうと思ってたんだけど、厳しそうだねえ」


 ちくりと胸が痛む。それを表に出さないよう、極めて小さな声で謝罪を口にする。個人の予定に合わせたスケジュールが組めるとはいえ、僕が休むと決めた理由はあまりにも勝手なものだ。だからこそ、罪悪感が押し寄せてくる。

 自分勝手な胸の痛みと向き合っていると、岡崎はこんな提案をしてきた。


「じゃあさ、先輩、ご飯行きませんか?」


 歯切れが悪いのは、僕の卒論の進捗を案じてくれているからだろうか。それならば無用な心配ではあるけれど、僕は少しだけ考える時間を取った。この後の予定を思い出していただけだ。うん、問題ない。


「ああ、いいぞ。最後だしな」


 僕の返事を受けた岡崎は、変わらない明るい調子で、ここから十分ほど歩いた場所にあるオムライス専門店に行きたいと主張した。それについては考える間もなく快諾し、外で待つ旨を伝える。元気な返事が聞こえてきた。


「じゃあ、お疲れ様でした」


「うん、気をつけてね。良いお年を」


 店長に挨拶をして、店の外に出る。途端、突き刺すような寒さが全身を包んだ。控え室も寒かったけれど、それ以上だ。風が強いこともあって、実際の気温以上に冷たく感じるのかもしれない。


「…………死にてー」


 風の音と共に耳に届いたその一言が自分の口から出たものであると理解するのに、刹那のタイムラグがあった。死にたいと、もう一度口の中で転がして、苦笑する。バイト中は平気だったのに、外に出た瞬間これだ。

 自己嫌悪と吐き気が込み上げる。心が黒く塗り潰される。死にたい以外、考えられなくなる。

 ああ、そうだ、あの時からだ。あの時から、僕はずっと。


 ──『死にたい』を生きている。


 信じていた人間に裏切られ、僕が悪いと謗られ、笑われる。

 誰も信じられなくなって、本心を口にすることができなくなって、誰にも助けを求められなくなった。

 そんな自分がどうしても許せなくて、これ以上ないくらい嫌いになった。

 一瞬の隙をついて僕に絡みついた『死にたい』は、どれだけ待っても消えてくれなかった。もしかしたら消すつもりがないのかもしれない。そう考える間にも『死にたい』は一段とその勢いを強めていく。


 死にたい。


 死ぬべきだ。


 死ななければならない。


 願望が強迫観念に変わったのを感じたところで、細く、長く息を吐く。白く立ち昇る息を見上げるようにして空を仰いでいると、店のバックドアが開いて岡崎が出てきた。


「お待たせしましたー。……何カッコつけてるんですか?」


 そうして冷たい視線を向けてくる彼女を見て思う。

 僕を慕ってくれているこの後輩に対しても、僕は何か裏があるのではないかと疑ってしまっている。眩しい笑顔の裏に、醜い塊が隠れているのだと、そう考えてしまって自己嫌悪する。

 けれど…………。


「いや、何でもないよ」


 もう大丈夫だよ、と心の中で岡崎に話しかける。いや、もしかしたら自分自身に話しかけているのかもしれない。

 とにかく、彼女と会うのも、今日が最後になるだろう。

 とても薄情なことに、そう思うことで。

 僕は、ようやく、心からの笑顔を岡崎あさひに向けることができた。



----------------------------------




 僕と岡崎は並んで歩きながら話していた。狭い歩道だけれど、二人横に並ぶくらいの幅はあった。不自然に思われないよう、さりげなく車道側を歩いていたのだけれど、岡崎には気づかれていたらしい。


「ありがとうございます」


「……何が?」


 とぼけるくらいは、許されるだろう。

 岡崎は「もー」と笑い飛ばしてくれた。そして会話が続けられる。


「今日はというか今日もというか、冷えますね」


「大寒波襲来とかじゃなかったか?」


「私天気予報とか見ないんですよー。ほら、あさひですから。私がいれば晴れです」


「…………」


「先輩の周りだけ吹雪いてますよ!」


 そんな感じで、天気の話や教授への文句など、とりとめのない会話を繰り広げながら歩くこと十分と少し、僕たちは目的の店へとやって来た。やはり寒さのせいなのか、ディナータイムにもかかわらず、店内は閑散としていた。待つこともないので、客としては万々歳だ。


 案内された四人席に座り、水とおしぼり、メニューを持ってきてくれた店員にお礼を言う。同年代であろうに恭しく下がっていった店員に感心の目を向けながらメニューを決めることにする。僕はそんなに迷うこともなくデミグラスソースに決めたのだけれど、岡崎はメニューをめくりながら、あれでもないこれでもないと悩みに悩んでいた。見慣れたいつもの光景なので、特に何も思わない。彼女は食事のメニュー決めななると、毎回のように優柔不断になってしまう。

 二分ほど悩んで王道のケチャップオムライスに決めた岡崎が店員を呼ぶ。彼女は大盛りにして、さらにデザートまで注文していた。


「先輩、日本語学概論の教授って誰でした?」


「確か……春日井さんだったかな」


「あ、よかった。私も今同じの受けてるんですけど、春日井さんの講義、意味わかんなくないですか?」


 どうやら教授への愚痴はまだ尽きないらしい。まあ、あの教授の講義内容は確かに難解なので、岡崎の言い分も尤もだ。実際僕だって再履修する羽目になったのだから。そのことを教えると、彼女はこの世の終わりと言いたげな表情で絶望していた。僕と違って馬鹿ではないらしいので、是非とも頑張ってほしい。


 そこからもいろいろと泣き言を口にしていた岡崎だったけれど、注文したオムライスが運ばれてくると、一転して無邪気に目を輝かせていた。うん、彼女はこっちの表情の方が似合っている。そんなことを考えてしまって急に恥ずかしくなって、顔が熱くなる。オムライスに夢中な岡崎に気づかれることはなかった。


 少し遅れて僕の分も運ばれてきたので、そこで会話は中断。二人揃って無言でスプーンを動かしていた。言うまでもないことだけれど、オムライスはとても美味しかった。


 岡崎がデザートのティラミスまで食べ終えたことを確認して席を立つ。恐縮する彼女を先に店の外へ向かわせ、二人分の支払いを済ませて僕も店を出る。


「ごちそうさまです。いつもありがとうございます」


「僕の好きでやってることだから」


 好きでやっていること、なんだけど。その裏にはもう一つだけ理由が存在している。自己嫌悪に繋がるし、引かれるかもしれないから、決して人には言えないものだ。


「でもお礼を言わなくていい理由にはなりませんよ」


 岡崎はそう言って笑った。やっぱり律儀だ。

 歩き出した岡崎の少し後ろを歩く。彼女は大学の寮で、僕は大学の近くに下宿をして、それぞれ生活している。バイトの終わりの時間が被ったら一緒にご飯を食べに行くことが恒例になっているけれど、それと一緒に、彼女を寮まで送り届けることも恒例行事となっている。僕が提案したのか、それとも岡崎からお願いがあったのか、始まりの理由は忘れてしまった。いつだったか、「過保護なお兄ちゃんみたいですね」と笑われたのが懐かしい。


「甘いもの食べたいのでコンビニ寄りますね」


 感傷にふけっていると、岡崎がそう宣言してコンビニへ入っていった。あの細い体のどこに大盛りオムライスが収まったのかまだ分からないのに、まだ食べるか。というかデザートも頼んでなかったっけ。


「これ、先輩の分です」


 コンビニから出てきた岡崎は、半分に割ったパピコを両手に持っていた。そのうち片方を僕に渡してくる。コーヒー味だ。


「寒い日にアイスとか、わかってんね」


「基礎教養ですから」


「何のだよ。ていうかティラミス食べてたよね?」


「頑張ったからいいんですー。太るぞは禁句ですよ」


 よく分からないことを言いながら、彼女は大学の方へ歩き始めた。もちろん僕もついて行く。パピコを食べながらだったせいか会話の数も少なく、すぐに大学の正門に着いてしまった。


「ありがとうございました」


 ふと、気になったことを訊いてみる。


「岡崎って、よくお礼言うよね。些細なことでも」


「言いますね。何か変でした?」


「まさか。してよかったな、と思うよ。何か理由があるのか気になっただけ」


 そう尋ねると、岡崎は人差し指を顎に当てて考えるポーズをとった。人によってはあざとく思われそうな仕草でも、彼女が見せるとごく自然なものに思える。不思議だ。ややあって、答えが返ってきた。


「そうですねえ……。自分を好きになってもらうため、でしょうか」


「すごい生々しいな。らしいといえばらしいけど」


 そんな会話をしているうちに寮の前に来る。ここでお別れだ。


「それじゃ先輩、また来年です」


 その言葉を背中で受け止めて、無言で帰路につく。変に思われたかもしれないけれど、「またね」とは言わない。それ以外のどんな言葉も口にするつもりはない。その理由は単純明快。僕の日常はこれで終わりなんだ。


 ──僕は今から、死ぬつもりだから。

これまでも何度か小説を書いてきたのですが、どうしても先を思い描くことができず、筆を折ってきました。読者の方にも、登場人物にも申し訳ないことをしたと後悔しています。

ですが、とある事情により、この作品だけは最後まで書かねばならないと思っています。その理由は、まあ、無事完結した時にお話できればと。

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