第7話 つむじもほっぺもつんつんつん
ロミナはホムルの熱い抱擁に驚きつつも、自分も強く抱き返す。
彼の喜びが直接伝わってきて、胸が熱くなる。
「うん、できたわね!
あなたの詠唱、本当に素晴らしかった」
訓練場を後にすると、二人は街の喧騒の中に溶け込み、灯りがともる酒場へと歩を進めた。
木製の扉を開け、樽の並ぶ店内に入ると、ホムルは疲労よりも充実感で足取り軽く席についた。
ロミナはエールを注文し、ホムルはホットエールを選んだ。
ホットエールはエールを温めシナモンや蜂蜜を加えたもので、栄養価が高く疲労回復の効果もあり、アルコール度数も高くないためホムルは好んで頼んでいる。
互いに今日の成果を讃え合いながら杯を合わせると、酒場の賑わいの中に指導への感謝がホムルの口からこぼれ、ロミナはそれを聞いて密かにほほえみを浮かべていた。
「今日は本当に頑張ったわね
あなたが水球を作れるようになったのは、あなたの努力よ」
「…そんなことはないです」
彼は称賛の言葉に対して、ゆっくりと首を振ると、声がかすれて普段より低くなっていた。
その否定は訓練場でのあの闊達な調子とは明らかに異なり、どこか夢見るような揺らぎがあった。
酒場の暖かい照明がホムルの微酔い気味の横顔を柔らかく照らしていた。
グラスを手に持つ指先が少し震え、頬がほんのり赤らんでいるのが見て取れた。
「昨日も今日も、最後はロミナさんの一押しがあったから…」
ロミナはただ静かに微笑んで、その弱々しい告白を受け止めていた。
グラスの中で揺れる琥珀色の液体が、ホムルの酔いと達成感を溶かしていく。
「違うわよ…あなただからこそ
あなたの魔法への想いが水球を生んだの」
酔いが頬を更に赤く染める中、ロミナはホムルの言葉に胸が温かくなり、思わず手を伸ばして彼の乱れた髪を優しく整えた。
ホムルは手が自分の乱れた前髪を整える感触に一瞬硬直し、耳朶がほんのり赤らんだ。
恥ずかしさが喉元まで込み上げてきて、無意識にグラスを握る手に力が入る。
ゆっくりと顔をそらすと、木目調のテーブルに長い睫毛の影を落とした。
ホムルは酔いに揺れるまぶたを伏せ、指先でグラスの縁をそっと撫でながらぽつりと呟いた。
「メンバー追放と言われた時は、どうしようかと思いました
でもロミナさんが真剣に特訓してくれて…嬉しかったです」
今までの自信ありげな態度とは打って変わった弱々しい口調に、ロミナは思わず息を詰めた。
酔いで赤らんだ頬をさらに熱くし、ちらりと見上げたホムルの瞳には訓練場での達成感とは違う、深い安堵が滲んでいた。
一瞬戸惑いながらも、今まで見たことのない脆くも純粋な一面に触れ、胸の奥で温かいものが広がっていくのを感じていた。
「そんな風に思っていたのね…
ごめん、追い詰めるつもりじゃなかったの
私はただ、あなたにもっと自信を持って欲しかっただけ
それに…他のメンバーばかり仲良いのも………」
ロミナは一言ずつゆっくりと語りかけていたが、最後は小さく聞き取れなくなっていた。
嫉妬ともつかぬ感情が胸の内に渦巻いているのに気づき、急に居心地悪くなってそっぽを向く。
酒場の灯りが彼の耳朶を淡く赤く照らし、木製テーブルに落ちた長い睫毛の影が小さく震えた。
「私、あなたのことを特別に思ってるのよ…」
ホムルはグラスを撫でる手を急に止め、酔いで潤んだ目を大きく見開いた。
ロミナの告白に胸が高鳴り、酒場のざわめきが遠ざかる感覚に襲われた。
慌てて首を振り、長い睫毛がかすかに震えた。
「ボクはロミナさんのことが好きです!
でも盗賊さんも神官さんも、みんな大好きなんです!」
両手を大きく広げ言い切った。
真っ赤な耳朶が酒灯りに照らされ、甘酸っぱい酔いと共に本音があふれた。
ロミナはその必死な姿に思わず吹き出し、酔った頬をさらに熱くしてジョッキを握り直した。
「もう、そんなに必死にならなくていいわよ
私も…あなたのことが大事なの
特別だって言ってるでしょ?」
ホムルは真っ直ぐに見据え、グラスを握る手を緩めてゆっくりと言った。
「本当です…ボクはみんな大好きなんです」
その瞳は酒灯りに揺らめく炎のように真剣で、一点の曇りもない純粋な想いが宿っていた。
ロミナは一瞬、言葉を失い、酒場の喧騒が遠ざかる奇妙な空白の中に立った。
自分の抱いた恋愛感情が誤解だったのではないかと思い悩み、ホムルのいつも通りの無邪気な表情に戻った姿に気づく。
あの訓練場での抱擁や互いの告白は何だったのかと混乱しつつも、ふと肩の力が抜け、口元が緩んでいくのを感じた。
真摯な「みんな好き」宣言は、それはそれで温かい安堵を胸いっぱいに広げていった。
「そう…みんな大好きなのね
それは嬉しいことだけど…私の特別な気持ちとは、ちょっと違うみたい」
ホムルは真っ直ぐロミナを見つめ、酒で潤んだ瞳に決意を燃やした。
グラスを両手で握りしめ、言葉に力を込める。
「ボクは…誰かと特別なんてイヤなんです!
みんなと一緒に冒険したい、魔王討伐を頑張りたいんです!」
酒場の喧騒が一瞬遠のき、ロミナは自分の早まった恋心を悟って顔を俯かせた。
隣席の酔客たちの笑い声さえ遠く霞んで、ホムルの真摯な宣言だけが鮮烈に響いた。
「そ、そう…みんなと一緒にね
それなら、私も全力でサポートするわ
魔王討伐まで、一緒に頑張りましょう…」
ロミナはぎこちない微笑みを浮かべ、小さな吐息とともに言葉を絞り出した。
その微笑みに励まされた気持ちになったのか、酒場の喧噪が再び耳に戻ってくる中、彼はグラスを置き、目を輝かせて話し始めた。
「そうだよね!みんなと一緒に冒険できるのが一番楽しいんだ
明日の特訓では水球をもっと大きくしたいな」
と、言葉は弾むように飛び出した。
ロミナの感情の起伏には気づいていないようだ。
ホムルは今日の特訓成功の余韻に浸り、酒場のテーブルで次々と杯を空けていく。
いつもより早いペースで飲み干す様子にロミナが気づき、眉を寄せて、大丈夫? と声をかける。
しかしホムル酔いが回り始めた頬をほころばせ、平気です! とはしゃぐように答えた。
その陽気な返答に一瞬安堵したものの、杯を傾ける動作が次第に危なっかしくなる様子に不安が募っていく。
酒場の暖炉の炎が揺らめく中、テーブル上の空いた杯が増えていくにつれ、足取りがふらつき始める兆候さえ見え隠れした。
「もうやめときなさい…明日の特訓に支障が出たら困るもの」
ロミナはホムルのグラスに手をかざして制止する。
ホムルは赤らんだ顔を上げ、酔いでふらつく身体を必死に立て直しながら制止を振り切った。
「え〜だいじょうぶれすよ、明日はねぼーしません!」
グラスを空にして得意げに宣言する声は既に呂律が怪しかった。
そして勢いよく声を上げた後に、ふにゃあと机の上に上半身を預けた。
「本当に大丈夫?さっきから呂律が回ってないけど…」
その言葉はホムルには届いていなかった。
木製の机に突っ伏したホムルは深い寝息を立てていた。
酔いで垂れた長い睫毛が静かに震えている。
全くもう、とロミナは呆れ顔で溜息をつき、酔い潰れて眠るホムルの赤らんだ頬や無防備な寝顔をじっと見つめた。
酒の匂いが漂う中、机に押しつけられた髪の乱れや肩のラインが普段とは違う幼さを醸し出し、訓練場での活躍とのギャップが妙に可笑しかった。
暖炉の炎が二人の間に揺れる陰を作り、周囲の喧噪がかすむ静寂の中でしばらく陶酔していた。
ロミナはぬるくなったエールのジョッキを手に取り、微かに泡立つ液体を眺めながらゆっくりと口をつけた。
ホムルの顔はこちら側からは見えなかったが、垂れた長い睫毛がかすかに震えているのが目に入った。
土の汚れが乾いた跡が残る指先が無防備に机の上に伸びており、訓練場での泥まみれの特訓を思い出させた。
そして薄手の袖からほんの少し覗く細い腕のラインは、普段はきちんと整えている印象とは裏腹に、今は袖口に隠れて幼さを感じさせるほど無造作だった。
ロミナはその光景を見つめつつ、酒臭い静寂の中でのあどけない寝顔に思わず微笑みを浮かべていた。
周囲の喧騒が遠のいた静かな空間でロミナはそっと呟く。
「まったく、可愛い寝顔してるじゃない
これからもっと強くなってもらうんだから、ゆっくり休みなさいね」
ロミナは寝顔を見つめているうちに、ふと悪戯心が湧いた。
机に伏せて眠るホムルに手を伸ばし、まずはつむじのあたりをそっと指で突いてみる。
身体が微かに揺れ、酒臭い寝息がさらに深くなる。
続いて机に置かれた無防備な手をトントンと優しく叩いた。
ホムルは夢うつつで反応し、肩を丸めて小さく震える。
ロミナはその様子を眺めながら、普段パーティーのリーダーとして見せる厳しい表情とは違う、柔らかい笑みを浮かべていた。
訓練場での厳しさと今は違う、庇護すべき者への慈しみが心を満たしていた。
ロミナは悪戯心が止まらず、今度は彼の頬をそっと指でつんつんと突いてみる。
周囲の喧騒が遠くなった静かな空間で、ロミナの頬が微かに紅潮していく。
「ふふ、起きないわね
こんな無防備な姿、みんなには見せられないわ」
ロミナはの寝顔を見つめながら、自分の口から漏れた「みんなには」という言葉にふと引っ掛かりを覚えた。
先ほどホムルが「みんな大好きなんです!」 と叫んだ声が耳によみがえる。
なんで私は彼らみんなにこの無防備な姿を見せたくないんだろう?
この胸を締め付けるような独占欲は、ただの仲間意識を超えているのではないか。
自問自答が頭を巡る――これは誤解した恋愛感情なのか?
訓練場でのあの厳しい指導の裏に潜んでいた庇護欲は、今この机に伏せるホムルの袖口を見る目に形を変え、庇護すべき者への慈愛と所有欲が入り混じっていた。
ロミナは胸奥の複雑な感情を振り払うように首を振ると、酔いのせいよと言い訳めいた呟きを漏らした。
酒場の暖炉の炎がかすかな影を揺らすなか、彼女はエールを一息に飲み干し、空になった杯を机に置いた。
ジョッキの縁に残った泡が微かに揺れ、酒臭い空気が漂う。
そのまま流れるような動作で、散らばった杯やつまみの皿を片付け始め、机上を整然と拭き清めていった。
木目が露わになるにつれ、ホムルの乱れた寝姿がより鮮明に映る。
指先が袖口の乱れを整える動きは優しいが、そこに込められた独占欲の影は消えない。
片付け終えた机には静寂が訪れ、ロミナはほっとしたように背筋を伸ばした。




