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第6話 象るもの

「ちゃんと休憩取ったら魔法の特訓を始めるわ

 今日は〈水球〉の魔法を完璧にするわよ」

ホムルは革袋の紐を握り直しながら俯いたまま、喉の渇きが和らいだものの全身に鉛のような疲労がまとわりつくのを感じていた。

ロミナの〈水球〉の言葉が耳朶を撫でるが、反応は鈍く重い息遣いと共に…はい、というかすれた呟きとなって零れた。

声は枯葉を踏みしめるような微かな振動しか伝えられず、訓練場に流れる朝靄の中へ消えていく。

まだ足元はふらつき、膝を押さえても震えが止まらない状態だが、ロミナが隣で水筒を置き直す動作に反応して顔を上げようと努めた。


朝日が二人を照らす中、ロミナはホムルの疲れた様子を見て内心で焦りと愛情が入り混じる。

彼の横にしゃがみ込んだまま、金髪を風になびかせながら腕を伸ばし、肩に優しく触れる。

「もう少し休んだら立てる?無理はしないでいいから」


ホムルは優しい言葉に胸のつかえが解けていくのを感じた。

草露で濡れた革靴の底が土を捉え、重かった足腰に新たな血流が巡る。

彼はぐっと歯を食いしばり、真一文字に結んだ唇から「もう行けます!」 と張りのある声を絞り出した。

その声は訓練場に響き渡り、疲れ切っていたはずの身体が嘘のように軽くなっていた。

ロミナは微笑みかけ、草を蹴散らしながらしっかりと立ち上がる姿を見て満足げにうなずく。

陽射しが二人を包み、ホムルの頬に朝露とは違う温かな輝きが浮かんでいた。

こうして魔力鍛錬の特訓が始まる準備が整ったのだ。


「そう、その意気よ

 じゃあ早速〈水球〉の魔法を始めるわ

 昨日のように水滴を集めるイメージで、今度はそれを球状に保つの」

ホムルは古びた皮表紙の魔法書を右手に掲げ、皺の寄ったページが朝日に透けるほど慎重に広げていた。

ロミナの説明が続くにつれ、彼の左眉が僅かに跳ね、詠唱のイメージを刻もうと額に深い皺が刻まれていく。

指先が無意識に魔法書の墨染みを辿り、水球を維持するコツを探るかのようにページを擦る動作が続く。

訓練場を吹き抜ける風が青髪を揺らしても、ホムルの両耳は「球状に保つ」という単語にぴたりと焦点を合わせていた。

革袋の紐を結び直した左手首に汗の筋が光り、集中のあまり肩が僅かに震えている。


「わかったわね…じゃあ早速始めてみましょう

 まずは水滴を作り、それから水球へと変化させるの」

水を集める箇所は復習済みで、水滴が掌に集まるのは昨日よりずっと滑らかだった。

しかし球体を作るのは難易度が違いすぎる。

詠唱とともに掌の水滴が蠢くが、一度目は形が崩れて霧となり、二度目は球に見えてもすぐに扁平化した。

額に汗が滲み、集中すればするほど肩が固くなる。

ロミナがすぐ側で見守る中、三度目の挑戦でようやく半透明の球がぽかりと浮かんだが、大きさが均一でなく揺らいだ瞬間に弾けて消えた。

訓練場の土埃が舞い上がる午後の陽射しの中、ホムルは失敗しても諦めぬ眼差しで再び掌を掲げた。

「焦らなくていいわ…もっとゆっくり詠唱してみて

 まずは球を作るんじゃなくて、水があなたの意志に従うイメージを持って」


ホムルは額の汗を拭わず詠唱を続けた。

水に意志を伝える…丸くなれ…丸くなれ…?

その言葉と共に掌の水滴群へ必死に意志を注ごうとするが、水球維持の難しさに混乱が増幅する。

詠唱の度に水滴群は激しく蠢き、四方八方に飛び散り訓練場の地面に斑点模様を描いた。

焦燥に固まった肩から魔力が散漫に漏れ、集中が途切れるたび水球は歪み扁平化し霧散した。


ロミナは彼の必死さと連続失敗を見守り内心焦燥を噛み殺す。

陽射しが汗粒を煌めかせる中、ついにロミナは歩み寄り肩に手を置き静かに宣言した。

「いったん、休憩にしましょう」

ホムルは呆然と疲れ果てた顔を上げを見せた。

「焦りすぎよ

 水はあなたの意志を理解してるわ

 ただ、もっと静かに話しかけるように詠唱してみて」


ホムルは地面に座り込み、土埃舞う訓練場で両手を開閉していた。

汗ばんだ掌が乾いた土を掠め、指先が微かに震えている。

今はただ混乱した沈黙だけが残っている。

ロミナは腕を組んで遠くを見据え、水球形成の秘訣を思案していた。

陽光が金髪を染め、彼女の眉間に深い皺が刻まれる。


「水ってね、生きているのよ

 あなたが意志を込めれば、きっと応えてくれるはず

 もう一度、水の一粒一粒に話しかけるように詠唱してみて」

ホムルは助言を受け止め、深呼吸をして詠唱を再開した。

掌に集まる水滴は確かに以前よりも統一された形を持ち始め、幾つかは小さな塊となって静止した。

陽光がそれらを照らし、半透明の粒が微かに煌めくのが確認できる。

しかし球形を保つまでには至らず、ほとんどの水塊は扁平化したり、あるいは不規則に揺らいで霧散してしまう。

土埃舞う訓練場で、ホムルは眉間に皺を寄せ集中を続けるものの、肝心の球体形成には至らない焦燥感が漂う。


ロミナは傍らでじっと観察し、詠唱の微妙な乱れや水滴の挙動を分析していた。

違う…この教え方ではホムルが水と水球を結び付けられていない。

あと少し、イメージの核心を伝える何かが必要だと考え込み、夕闇迫る空を一瞥すると共に新たな助言を探った。


「そうだ!水が流れるイメージよ

 川の流れを想像して、一つ一つの水滴が繋がって大きな流れになる感じ。

 それを球にするんじゃなくて、流れを閉じ込めるの」

金色の髪が陽光に透けて輝く中、鞘に納まった剣をゆっくり引き抜く。

よく手入れされた刃が土埃舞う光景を鈍く反射した。

鞘に戻しながらロミナは言った、この鞘は剣を収めるために作られ、ぴたりと納まる様は剣の形そのものを象っていると。

ホムルは意図を探るように見つめ、掌の水滴がかすかに揺れた。

焦燥感に満ちた訓練場で、ロミナの比喩に耳を傾け、固まった肩の力が微かに抜けるのを感じた。


ホムルの揺れる水滴を見つめながら、ロミナは優しく微笑む。

剣を鞘に収める動作を再び繰り返し、その所作に意識を集中させる。

「水滴も同じよ

 一つひとつは小さな粒だけど、それが集まって流れを作る

 川の流れをイメージして、そしてその流れを一つの形にするの

 鞘が剣を守るように、水滴の流れを球のように包み込むの」

掌中の水滴が不安定に揺れているのを見て、彼女は穏やかに問いかけた。

「あなたにとって、丸いものと言えば何?」

「…水晶です」

ホムルは一瞬考え、素直に答えた。


ロミナの目が輝いた。

水晶という形ある存在への比喩が核心を突いたと悟ったのだ。

「ではその水晶に水を満たすイメージを持つの」

静寂の中、澄んだ声が導きとなって響いた。

「水球が水晶を象るように集まり形作るのよ」

ホムルはその言葉に深く頷き、固唾を呑んで集中した。

掌の水滴が突如一つの意志を得たかのように動き始め、透明な球形へと整っていく。

小さな煌めきが水晶のごとく安定し、初めて真球へと結実した。


「すごいわ!完璧な水球じゃない!

 あなたのイメージがちゃんと形になったのよ!」

ホムルの顔はまだ信じられない驚きに包まれていた。

目の前の透明な水球が夕陽を反射して輝いているのが信じられなかった。

掌に確かに存在する初めての完全な形――水晶のような球形の水魔法だった。

ロミナは思わず感情が溢れ出し、訓練場の静寂を破ってホムルを抱きしめた。

嬉しさと焦燥感が絡み合った抱擁だった。


ホムルは突然の衝撃に軽く息を呑み、腕の中で固まった。

その接触が詠唱を乱し、掌の水球は水滴に戻って霧散した。

ロミナは抱擁を緩め、形を失った水球の痕跡を見つめ、自分の興奮がホムルの努力を台無しにしてしまったことに気づいた。

「ごめんね、嬉しくてつい…でも本当に素晴らしい水球だったわ

 あなたの成長、私、すごく嬉しいの」

頬を紅潮させながら少し離れ、照れ隠しに剣の柄を握り直す。

薄曇りの優しい陽光が二人を包み込む中、自分の感情の高ぶりに少し恥ずかしさを感じている。


「ダメですよ、ロミナさん…」

呆然とした声で呟いた。

その声には一瞬の落胆が滲んでいた。

だが次の瞬間、掌に残る水球の余韻とロミナの祝福がじわりと染み渡り、胸奥で火花のように喜びが爆ぜた。

顔がくしゃくしゃに歪み、泣き笑いの表情が広がると、できた〜! と叫びながら、今度はホムルが勢いよく飛びついた。

乱れた金髪がホムルの肩に触れ、ロミナの鼓動が胸に伝わってくる。

ホムルの頬は喜びで火照り、初めて掴んだ魔法の達成感とロミナへの信頼が、抱擁を通じて深く響いた。

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