第27話 純粋な欲求
束の間静謐な時間が過ぎ、頬に赤みをさしたロミナが小さな息をついてホムルから手を離した。
「…ごめんね、変なこと言っちゃって
ただ…あなたが真剣に、みんなのために頑張ろうとしてるのが嬉しかったの
さぁ、特訓を再開しましょ」
煤けた床から立ち上がると、すぐにホムルの右手をしっかりと掴んで立ち上がらせる。
立ち上がった拍子に金髪が揺れ、その手の温もりがホムルの手に染み渡る。
ホムルはその強い力に少し驚きつつも、緊張した面持ちで真剣な表情を浮かべた。
ロミナは魔力を最小限に抑えて、まずは火球魔法の安定した光点を掌に灯し、次に爆発魔法特有の一瞬の閃光を指先で弾けさせた。
二つの魔法の違いを肌で感じさせながら、彼女の指導は再び熱を帯び始めた。
「繰り返しになるけど、見ながら真似して
〈火球〉はゆっくりとエネルギーを集めて放出する
〈爆破〉は一瞬で全てのエネルギーを解放する」
ホムルは詠唱の寸前、爆発魔法特有の刹那的な破壊力を思うと指先が僅かに震えた。
しかしロミナがホムルの顔を自信に満ちた目で真っ直ぐ見つめている事に気づくと、彼は深呼吸して集中した。
魔力で凝縮されたエネルギーは、更に集中させたことで掌の中で白く輝き始める。
ロミナがゆっくりと頷いたのを見て、手首を返して目標へ向け放出する。
初めの一閃は目標地点から遠く離れた砂利でぱっと閃光を放ち、火花が散ってすぐに収まった。
煙の粒子が陽光に舞い散る中、ロミナは頬に安堵の微笑を浮かべて、ホムルがふっと肩の力を抜いたのを認めた。
「そう、それでいいのよ
ちゃんとコントロールできてるじゃない
その調子でもう一度やってみて?」
これまでホムルは、エネルギーを集中したまま遠くの目標まで保つ事がなかったため、ゼロからの試行錯誤となっていた。
次の一閃は訓練所の床で大きく跳ねて目標の前で閃光を散らし、その次は目標の中央をかすめるように微かに弧を描く。
毎度異なる位置で火花が散り安定しないが、閃光の中心が徐々に目標位置へ集中しようとする軌跡を描いている。
ロミナは頬に安堵の微笑を浮かべつつも、疲労と集中力の度合いを推し測りながらその試行錯誤の過程をじっと見守る。
その励ましの視線がホムルの背中を押し、目標達成への力となっていた。
「そうよ、その調子!
少しずつだけど確実に目標に近づいてる」
ホムルもその言葉に静かにうなずき、集中力を切らさずに詠唱を続けている。
何度か詠唱を繰り返した末、ついに閃光が目標地点付近でぱっと散った。
火花がぱちぱちと弾け、陽光の中できらめく粒となって消えていく。
ホムルは目を見開き、顔を輝かせて即座に振り返った。
煤けた頬に達成感が走り、瞳が期待に大きく見開かれ、ロミナの顔を真っ直ぐに見据える。
ロミナはその熱い視線を真正面から受け止め、涙痕の残る頬をわずかに染めながら、安堵と深い喜びを瞳に灯した。
「やったわね、目標ぴったり!
あなたならできると信じてた…
あなたの成長、本当にすごいわ」
ホムルの成功に胸が熱くなったロミナは、思わず両手を広げて抱き寄せる。
ホムルは驚いて僅かに硬直した。
しかしその温もりと確かな鼓動に包まれるうち、次第に全身の力が抜けていった。
ホムルは安心感に導かれ、両腕をそっとロミナの背中に回した。
二人はぴったりと寄り添い、喜びに満ちて小さく跳ね始めた。
しばらくそうして跳ねていたが、やがて互いの体温と高揚感を確かめ合いながら静かに離れた。
ロミナは頬をほころばせ、煤の匂いの中に安堵の吐息を交えた。
頬を紅潮させたホムルも潤んだ瞳でロミナを見つめている。
「本当に素晴らしかったわ…
水属性の治癒魔法もきっとすぐに習得できるわよ
今日はここまでにして、また頑張りましょう」
素直にうなずいたホムルだったが、道具を片付け始める手をわずかに止めた。
心の奥では特訓が終わる虚しさがじんわり広がり、師匠とも言うべきロミナとの濃密な時間が名残惜しく思えた。
しかし全身の疲労感が如実に現れていたこともまた事実だった。
連日の新しい魔法習得を目指した集中詠唱の精神的疲労、〈爆破〉暴発による肉体的消耗が重なり合い、体は足元から鉛のように重かった。
額の汗を拭うと筋肉の軋む疲労痛も走り、素直に特訓終了を受け入れる決断が固まった。
道具を革袋に纏め終え、肩の力を抜いて深呼吸すると焦げ臭さと土埃の混ざった空気が肺に入り、煤けた床に座り込むと膝が微かに震えていた。
ロミナが明日また会いましょう、と告げる声に小さく頷き、疲労に縛られた肉体と心が現実に戻っていく感覚を受け入れた。
座り込んだホムルの疲れた様子を見て、心配そうな表情を浮かべたロミナは金髪を軽く掻き上げ、ホムルの横で膝をついた。
「疲れたみたいね…無理させてごめんね
明日は休みにしましょうか?」
ホムルはその問いにはすぐに答えなかった。
先ほどまで確かにあった特訓への渇望が、今は跡形もなく消え去り、代わりに心臓が高鳴るような願望が沸き上がってきた。
ロミナともっと一緒にいたい…それは純粋な欲求だった。
訓練所の煤けた床に刻まれた二人の影が長く延びる中、彼は拳を握り締め、喉仏が何度も上下した。
どうして特訓ではなく一緒にいることがこんなに強く望まれるのか、自分でもわからない。
だが焦げ臭い空気の中、煤けた金髪が夕日に透けるロミナの姿を見つめると、もう迷いはなかった。
ホムルは全身の震えを抑え、かすれた声を絞り出した。
「あの……この後酒場でご飯食べませんか?」




