第25話 焦げた前髪
翌日の訓練所__
この日の空は厚い雲に覆われて薄暗いものの、所々で雲の隙間から地上に降り注ぐ光の柱が見られた。
ロミナとホムルは特訓を開始してから初めて、訓練所への道の途中で合流したことから連れだって歩く。
昨日の治癒魔法の効果でホムルのケガはすっかり良くなっており、休んだことで体力も戻ってきていた。
その様子を見たロミナは、基礎トレーニングとしてまた丘への走り込みを行うことにした。
訓練所につくと早速荷物を整え、ホムルは革袋をしっかりと体に結び付ける。
「今日は前と同じ5往復ね
最後までしっかり走るのよ!」
ロミナの掛け声とともに道の砂利を軋ませながら駆け出した。
初めて走った時よりもペースは遅いものの、それなりのスピードで1往復、2往復と確実に進んでいた。
前回は3往復でふらふらになっていたが、今回も歩調は緩んでいるものの駆け足を維持しようとする意志が見られた。
顎も上がりきっておらず、その目は前を見据えている。
「あら…随分頑張れるようになったわね」
相変わらずの減速っぷりではあったが、歩行を上回る速度で往復するホルムを見てロミナは素直に感心した。
かろうじて5往復を走り切ったホルムはその場に倒れこみ、天を仰いで荒い息遣いを繰り返している。
陽光が射さず暖かくもない気温だがしきりに汗を拭っており、目は涙で潤んでいた。
しかしロミナが水を持ってくると自力で起き上がり、受け取る際には礼をする余裕さえ見せた。
一口一口をゆっくりと飲み込む。
その幼さの残る横顔、シルエットの中にロミナは儚げな色気のようなものを見出してしまい思わず顔を背けた。
水を飲み終えたホムルは早々に立ち上がり、ロミナに向き合うと元気よく問いかけた。
「今日の特訓は何の魔法からですか?
やっぱり治癒魔法ですか!」
「それなんだけどね、治癒は水魔法の自主練習をしておいてほしいの
ホムルは火魔法が得意だから、それを伸ばしたほうがいいと思ってね」
ロミナは昨日の特訓の様子から、効果的に治癒魔法を使いこなせるようになるには時間がかかると判断していた。
「習得が早いから適正があるのは間違いないし…
新しい魔法に挑戦するのはどうかしら?」
ホムルは提案に胸躍らせ、訓練所の朝日に照らされた顔を輝かせて大きく頷いた。
目尻が下がり口元が緩んで、期待に満ちた声が木の床を軋ませながら響いた。
「やっぱり爆発系ですか?」
ロミナはその熱意に微笑み返し、金髪をそっと撫でながらうなずいた。
「そうね、爆発系なら威力を集中させるイメージが
治癒魔法よりずっと分かりやすいわよ」
ホムルは前のめりになり拳を固く握り締め、早く試したい気持ちで全身を震わせている。
「〈爆破〉は火球の応用だから、まずは炎を作ることから始めましょう」
訓練所の土埃の匂い漂う空間で、合図と共にホムルが深呼吸する。
口元が静かに動き詠唱が始まると火球が膨張し始め、橙色の輝きが周囲を照らした。
ロミナは満足げにうなずくと直ちに次の指導に入る。
火球を一点に集約させ魔力で押さえ込むイメージを伝えるために、自らも手を掲げて小さな火球を作り集中させる。
ホムルは真剣な面持ちで集中し始めると火球の表面が次第に縮小し始める。
中心へ向けて圧縮されていく過程で微かに揺らめく炎の輪郭が変化していく様子が朝日に煌めいた。
それは以前よりも遥かに密度の高いエネルギーの塊で、ゆらゆらと燃える炎ではなく一点集中した爆発的な熱量だった。
ロミナは自分の魔法を解放させると、額に薄く汗を浮かべながら、ホムルの成長に目を細める。
「そう、その調子よ
膨張させるんじゃない、内側に圧縮するの
魔力の流れを感じて…」
ホムルの顔が炎の収縮と共にくっきりとした輪郭へ変わり、徐々に白みを帯びていく光景を見て思わず笑みが零れた。
しかし一瞬の安堵が隙を生んだのか、意識が緩むと同時に火球の表面がぱっと弾け、内部に溜まったエネルギーが眩しい閃光となって四方へ拡散した。
ロミナは反射的に危ないと叫び声を上げ、瞬時にホムルの腕を掴んで床へ倒れ込んだ。
ホムルの頭上では小さな爆発が白煙と共に起こり、周囲の石壁がかすかに揺れるほどの衝撃波が走った。
倒れたホムルは地面に背中を打ちつけながらも、ロミナに引っ張られて難を逃れ、訓練所の静寂の中に二人の荒い息だけが響いた。
「大丈夫?怪我はない?」
ロミナは汗をぬぐいながら、倒れたままのホムルを深い心配が宿る目で見つめる。
ホムルの視界は煙の粒子でぼやけていたが、徐々に焦点が定まっていく。
目の前にあるのはロミナの顔だ――金髪が煙でわずかに乱れ、眉を寄せた真剣な表情がすぐ近くにあった。
煤けた空気の中、彼女の手の甲が自分の頬にぺちぺちと触れている感触が伝わってくる。
訓練所の地面の感触が背中に伝わり、爆発の衝撃で倒れたのだと遅れて理解した。
「ホムル、ホムル…聞こえてる?」
ロミナが繰り返し声をかけているのが聞こえたが、ぼんやりした意識の中でただうなずくだけで精いっぱいだった。
煙が薄れていく中、ホムルに反応が戻ってきたことを確認できたロミナは安堵の表情を浮かべる。
彼の焦げた前髪と睫毛を見て心臓が早鐘のように打ち始め、咄嗟に行動した自分の判断が正しかったことに感謝する。
「よかった…本当に無事で
あれほどの魔力集中、初めてなのにすごいわ…」
ホムルはぼんやりとした意識のまま手を持ち上げ、頬を叩くロミナの手に重ねる。
その接触に驚いてロミナはビクッと跳ね、慌てて手を引っ込めた。
その動作を瞳が追いかけ、焦点が徐々に像を結び始めるとともに意識も覚醒し始める。
…なんで倒れているんだっけ。
魔法を詠唱してて…それから?
ホムルが突然跳ね起き地面から上半身を起こすと、ロミナが真剣な顔で見つめているのが視界に入った。
「びっくりするわ…急に動くんだもの
でも、ちゃんと起きられて良かった
あの爆発の後だから…どこか痛いところはない?」
急に動き出したホムルには驚いたものの、目立った外傷や流血が無いこと確認すると優しく声を掛けた。
ホムルは右手で耳の後ろをそっと触りながら、つぶやくように話す。
「少し…耳が聞こえにくいような気がします
あと背中が痛いです」
背筋を伸ばして眉をひそめ付け加えた。
ロミナはその言葉を聞いて少し肩の力が抜ける。
咄嗟に倒したことにごめんねと小さく謝罪しながらも、でも倒してなかったら本当に危なかったかも…と真剣な目線で続けた。
ホムルは訓練所の埃っぽい空気の中で、煤けた前髪の下からロミナを見上げた。
床に座り込んだまま、重たそうなまぶたをぱちぱちさせて言う。
「いえ…助けてもらってありがとうございます」
感謝の言葉を返されたロミナが慌てる様子に、逆に申し訳なさそうに微笑む。
「あと…ちょっと重たいです。」
最後の一言は煙の残り香の中に埋もれるほどの小さな呟きだった。
ホムルの無事を確認しようとして、慌てて馬乗りになっていた事にロミナは気づいた。
その言葉に慌てて両手を後ろについて跳び退いた。
顔を真っ赤にして後ずさりしながら、地面に尻餅をつく。
「ご、ごめんなさい!気づかなくて…
い、い、痛むなら神殿で治療してもらいましょう!」
ホムルは煤だらけの前髪を指で梳かしながら俯いた。
「いえ…そこまででもないです
それよりも…ごめんなさい、危険に巻き込んでしまって」
俯いたまま視線を床に落とし、声を潜めた。
ロミナは額の汗を拭うと、努めて明るい口調ですぐさまフォローした。
「いいのよ、二人とも無事だったんだから
それよりも、ほら、顔を上げて」
ホムルがゆっくりと顔を上げると微笑むロミナの顔があった。
その表情にホムルは胸が軽くなり、自然と口元が緩む。
ロミナは手を服でこすって綺麗にすると、そっとホムルの顔に伸ばした。
焦げた前髪を払い、煤けた顔を拭う。
額、頬、顎と触れるロミナの体温にホムルは思わずはにかむ。
それ以上言葉は無かったが二人の間に安堵の空気が広がっていった。




