第24話 溶け合う魔力、体温
訓練所の朝靄が完全に払われ、陽光がホムルの額に汗の粒を煌めかせていた。
彼は何度か火球を掌中で育み、安定した大きさと揺るがない形を維持する様子を見せた。
得意というだけあり、詠唱の呼吸一つ乱れない。
火球はまるで意思を持つ星屑のように、空中で静止していた。
ロミナは腕組みを解き、近づいて尋ねた。
「次はどの魔法を目指すつもり?
得意な火属性以外にも挑戦する気はある?」
ホムルは少し考え込んだ顎の動きを見せつつ、まだ火球の残光が揺れる左手を見つめながら答えた。
「実は…水属性の治癒魔法が気になっていました。
傷の治りを早めるのに役立つかと思って。」
ロミナは眉を僅かに上げ、その答えに思慮深い表情を浮かべる。
「治癒魔法ね...良い選択だと思うわ
パーティーにとっても有益だし、あなたの成長意欲を感じる
でも少し難しいかも…」
わずかに憂慮の面持ちを浮かべたホムルは、額の汗をぬぐいながら言った。
「確かに治癒魔法は専門外ですね…
攻撃と補助では全く違う詠唱体系ですし
習得は難しいかもしれません、それでも…」
その目に逡巡は感じられなかった。
ホムルの決意を汲み取り、決然と拳を握ったロミナの金髪が風に舞う。
「確かにマリエもいつ傷つくか分からない…
あなたが使えるようになれば、パーティー全体の生存率が上がるはず
今日から教えられる範囲で指導するわ」
その言葉にホムルはほっと肩の力を抜き、満面の笑みを見せた。
ロミナはまず火属性魔法のエネルギー放出を掌を突き出す動作で示し、次に水属性魔法の滞留を両手で包み込む仕草で表現した。
「火は外へ解放、水は内に溜めるイメージね
傷口に魔力を留め、自己治癒力を促進するのが治癒魔法の原理なの」
ホムルはわずかに首を傾げ、額の汗を拭いながら集中した。
ロミナの説明を受け止める彼の眼差しは真剣そのもので、無意識のうちに両手が空中で水晶玉を支える様な形をとっていた。
ホムルの理解しようと努める真剣な表情に胸が熱くなったロミナは、金髪を耳にかけて言葉を続ける。
「そう、その通りよ。水球で水晶玉を象るように魔力を滞留させる
火魔法みたいに外に出すんじゃなくて、内側で循環させるイメージね
治癒魔法はその応用になるわ」
うなずくホムルにロミナも手で水球を作るような仕草を見せる。
「ただ、水球と違って球体にしても効果は薄いわ
負傷部位に集中しないと治癒能力が分散してしまうの
つまり都度形の変わる水球を維持しなければならないのよ」
片方の手で切り傷を表し、そこに水球を押しつぶして広げるジェスチャーをする。
ホムルはロミナの言葉を咀嚼しようとしたが、水球の形が刻一刻と変化しながら治癒効果を生むイメージがどうしても掴めず、困惑して両手の間を見つめるばかりだった。
訓練所に漂う土埃の匂いの中に、彼の困惑した沈黙が重く落ちた。
「ごめんなさい、急ぎすぎたかしら
水球の形を変えるのは確かに難しいわよね
実際にやってみせた方が早いかな」
困惑した表情に気づいたロミナは、少し焦りを感じながらも落ち着いた口調で助け舟を出す。
ロミナは陽光に輝く金髪を揺らしながら、ホムルの腕を静かに下ろさせた。
彼女の左手がやや前方からゆっくりと治療部位を覆うように動き、詠唱が訓練所の空気に溶けていく。
「水の流れよ、停滞せよ…癒やしの泉となれ」
目を閉じたロミナの口調は穏やかでありながら確信に満ちていた。
ホムルは緊張して自分の体に集中し、じわりと広がる温かい魔力の流れを感じ取ろうとした。
脇腹に確かな治癒のエネルギーが滞留するのがわかった一方で、腕には何も感じられない。
困惑した表情をロミナに向け、正直に報告した。
「脇腹に感じます…でも腕には全く感じないんです」
その言葉にロミナは少し微笑みながら頷いた。
「それが正しい感覚よ
治癒魔法は傷口に集中しなければ効果がないの
手のひらを中心とした球形ではなく、傷のある部分だけに魔力を留めているの」
ロミナは再び脇腹に手をかざし、瞳を閉じて静かに詠唱を始めた。
陽光が降り注ぐ中、ホムルの傷ついた脇腹に温かな魔力の流れがじわりと浸透していく。
痛みが和らいだ感覚にホムルは思わず眉を緩めたが、ロミナは詠唱を途中で止めるとそっと手を離した。
「よく聞いて…マリエは傷の深さや範囲を経験で見極め
必要な箇所にのみ集中して魔力を注いでいるの
これは長年の修練あってこそなのよ」
ホムルが不安そうに握ったり開いたりする拳を横目に見る。
治癒魔法習得への道の険しさを思うと、胸中には憂慮と共に彼を支えたい気持ちが交錯した。
金髪を軽くなでつけると、決意を新たにするように深呼吸をして、優しく語り掛ける。
「でも焦る必要はないわ
私もマリエも最初からできたわけじゃない
あなたも毎日の練習で少しずつ魔法は上達してるじゃない
まずはやってみましょ」
ロミナは優しく手のひらを上向きに差し出し詠唱を促した。
ホムルは手を伸ばすことに一瞬躊躇ったが、励ましの言葉に決意を固める。
…なんとか基礎を掴んで一人で練習できるようになるんだ。
ロミナの期待に応えようとそっと手を重ねる。
手のひら同士が触れ合う瞬間、ロミナは伝わってくる暖かい体温にくすぐったさを覚え、微かに息を飲んだ。
二人の手が合わさり、ホムルの指先がかすかに震えたが、ロミナはその不安定さを包み込むように見守る。
陽炎がゆらめく地面に二人の長い影が伸び、ただ互いの呼吸だけが響いている。
「そう、怖がらなくていいわ
まずは手全体を覆うように魔力を滞留させてみて
集中して…魔力の流れをイメージするのよ」
ホムルは慎重に目を閉じ、左手から流れ出す微かな魔力の脈動に集中した。
ロミナの温もりに包まれた手のひらの中心から徐々に魔力が広がり始める。
指一本一本を順番に覆い、手のひら全体へと範囲を拡大させていった。
「いいわ…そうね、もう少し大きく広げてみて
ゆっくりでいいから」
ホムルの手のひらがロミナのそれに密着し、互いの体温と魔力が溶け合うことで、輪郭が曖昧になる感覚さえ覚える。
手のひら全体を覆うほどの魔力の流れが安定し始め、ホムルが僅かに息をつくと、ロミナも微笑みながら頷いた。
「まずは第一歩、できたわね
水魔法を練習してるから、イメージは掴みやすいと思っていたのよ」
しかし褒められたはずのホムルは不安げな表情を浮かべていた。
うまく出来ているという実感が得られず首を傾げて固まっているようだ。
ロミナは、彼の曖昧な反応を見て胸中の焦燥を抑えきれず、そっと手を握り締めた。
指先がかすかに震えるホムルからは声も無く、不安定な呼吸だけが響いていた。
ゆっくりと握られた手を解くと、今度は左手を自分の右手にかざし魔力を集中させている。
しかし自分の身体に流れる魔力と混ざりあい、境界が不鮮明になってしまったためにより困惑の表情を浮かべている。
「大丈夫よ、最初は誰でもそんなものだから
まずは水球魔法でスムーズに狙った大きさに出来るように練習するといいわ
後は…そうね、こんな練習方法もあるんだけど」
ロミナは魔法を詠唱し掌に水球を浮かべると、更に意識を集中させた。
水球は一部が押しつぶされてへこんだり、楕円形になるなど様々な形を成していく。
ホムルはその変化に呆気にとられている。
「こんな風に…自分が思った形に出来るようになれば
狙ったところに魔力をコントロール出来るの
ちょっとやってみない?」
我に返ったホムルはロミナの言葉に素直に頷き、集中を深めて詠唱を始めた。
指先から微かな水流が生まれ、次第に水晶のように透明で澄んだ球体が形成されていく。
ロミナが次に細長い形へ変えるよう促し、ホムルは懸命に形を変えようと試みる。
しかし球体の一部が僅かに伸びただけで魔力のバランスが崩れ、維持できずに水球全体が霧散してしまった。
ホムルは肩を落として深く息をつき、安定しない技術への焦りに満ちた面持ちを見せる。
「いいわ、その調子よ…形を変えるのは確かに難しいの
水球はきれいに作れてるじゃない
焦らず何度も練習すれば必ずできるようになるわ」
フォローの言葉を掛けたロミナだったが、ホムルはなおも不安げに瞳を伏せていた。
どうアドバイスすべきか思案に暮れたが、今すぐに適切な言葉が浮かばない。
「そうね…マリエに聞いてみるのもいいかもしれないわね」
ロミナが提案する。
ホムルは俯いたまま弱々しく頷く。
「…そうですね、聞いてみます」
その声はかすかに震え、まだ不安が根強いものの、助言に素直に従う意志を見せた。
「ただ、今は彼女は仕事中で忙しいから…
後で神殿を訪ねて連絡をとってみてね」
ホムルは俯いていた顔をゆっくりと上げ、素直に頷いた。
一つの解決策が前を向くきっかけとなり、その動作一つひとつに固さがあった表情が次第に和らいでいく。
肩の力が抜け、緊張していた指先もほぐれているのが見て取れる。
ただ、滲み出る疲労感を感じ取ったロミナは今日の特訓を切り上げることにした。
〈水球〉〈火球〉〈治癒〉と続けて何種類もの魔法を詠唱した疲労はもちろんある。
ただ、治癒魔法で脇腹の傷はすっかりよくなったが、魔法あくまで本人の回復能力を高めるものであり、その分体力も消耗している。
これ以上は集中力も持たないと判断し、翌日に続きをすることにして特訓を終わりにした。
翌日の集合時間を確認したホムルが、それでは…と後ろ姿を見せた時、ロミナは一緒に訓練所を出て宿まで送ろうと、声を掛けようとした。
しかし前日に宿で、もう大丈夫ですから…と押しとどめられたことを思い出し、ついに言葉は出せなかった。
そのまま後ろ姿を見送ると、ロミナは髪をかき上げる手を額でとどめ、深いため息をついていた。




