第23話 自立と成長
翌朝、日の出の光が訓練所を照らす頃ロミナが到着すると、既にホムルが水辺の縁石に腰掛けていた。
昨日のまぶたの腫れは引いており、陽光に映る肌は血色を取り戻しているようだ。
彼は左手で脇腹の傷をそっと押さえつつ、水面に映る自身の影をじっと見つめている。
ロミナが近づくにつれホムルはゆっくり顔を上げ、朝露のように澄んだ蒼い瞳がロミナの姿を捉えた。
緊張でわずかに固くなった肩のラインが、訓練への集中と心臓の高鳴りを物語っている。
「早いわね。昨日より顔色が良くて安心したわ
今日も水魔法の練習から始める?」
朝靄が水面に揺れる訓練所でホムルは縁石から立ち上がった。
かばうような姿勢が左脇腹に微かに影を作るも、今日は左腕を軽やかに動かしている。
ロミナの声を聞くと思わず口元を綻ばせ、澄んだ瞳を輝かせて大きくうなずいた。
「はい、やりましょう!」
その声には昨日のような硬さが消え、木漏れ日のように温かく澄んでいた。
昨夜早く練習を切り上げてロミナと距離を置いたことで、心臓が高鳴るほど彼女を意識しすぎることはもうなくなっていた。
新鮮な空気が肺に流れ込む感覚とともに、魔力の流れさえも今日は穏やかに感じられた。
「そう言ってくれると嬉しいわ
昨日は無理させちゃったかなって心配してたの…
今日はあなたのペースでゆっくりやっていきましょう」
ケガから回復し目に見えて動きがよくなってきている事に加え、昨日の帰りのような距離を置かれる雰囲気が無いことにロミナは安堵し、優しく声をかける。
ホムルは元気よくうなずき、早速左手を掲げ、唇をきっと結ぶと詠唱に入った。
朝露が水面を伝う冷気が頬を撫でる。
しかし初めの詠唱は途切れ、水面がかすかに波打つだけで水球は現れない。
失敗した瞬間、わずかに肩を落としたが、すぐに再挑戦する。
二度目の詠唱では魔力が左脇腹を通る感覚に集中し、澄んだ声で呪文を紡ぎ始めた。
すると水滴が一斉に集まりだし、青空を映した球体がぷかりと浮かんだ。
ホムルの蒼い瞳が輝き、初めて形作られた水球が訓練所の木漏れ日にきらめく。
ロミナは目を輝かせながら思わず拍手し、喜びが二人の間に広がっていく。
「すごいじゃない!ちゃんと形になってるわ!
昨日までの不安定さが嘘みたい…帰ってからも練習したの?」
ふぅ~とゆっくりと息を吐き出したホムルの口元には自嘲のような微苦笑が浮かんだ。
昨夜も復習していたのは確かだが、ロミナに悟られまいとする自制がそのはにかんだ仕草に表れていた。
ロミナは訓練所の石段に立ったまま目を細めて眺めていたが、思わず一歩近づいた。
ホムルの成長、そして努力を隠そうとする慎ましさに胸が熱くなったからだ。
しかし途中で自重し、再び距離を取るように足を止めた。
「本当に素晴らしいわ…昨日までの苦労が報われてるわね
そうね、次は水球をもっと大きくしてみるとかどう?」
ホムルは真剣な表情でロミナを見据え、澄んだ声で宣言した。
「次は火球魔法を詠唱します」
その言葉にロミナは眉をわずかにひそめた。
ホムルが自ら進んで難しいことに挑もうとする姿勢を見て、昨日の焦燥感に駆られている姿と重なり、一抹の不安を覚えたのだ。
しかし今はホムルの成長を信じ、無理強いせず挑戦させてみようと決める。
ロミナは訓練所の石段に腰掛けたまま、朝露に濡れた草の香りを吸い込みつつ、詠唱に入る様子を静かに見守った。
ホムルが静かに息を整え、左手を高く掲げる。
唇がゆっくりと動き、詠唱が始まった。
澄んだ声が朝霧を切り裂く。
瞬く間に、掌の上に赤橙色の火球が膨れ上がった。
それは以前とは比べものにならない大きさで、直径三十センチを超え、炎の輪郭が揺らぐことなく安定して燃え続ける。
訓練所の空気が一瞬で熱を帯び、木々のざわめきが止んだように感じられた。
石段から身を乗り出したロミナの顔に驚きと深い感銘が走った。
火球の輝きが彼女の目を煌めかせ、称賛の言葉がこぼれる。
「すごい...こんなに早く、しかも安定してるなんて
一体何があったの?」
ホムルは掌中の火球をぱっと解放すると、まるで内なる枷が解かれたかのように炎が空中を踊った。
訓練所の清涼な朝靄が一瞬で灼熱の陽炎に変わる中、彼は慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「昨日、魔法を使った時に…
あの時は確かに、ケガをしている箇所で魔力が乱れたんです」
左手で左脇腹の傷跡をそっと押さえながら、蒼い瞳が遠くを見据え、記憶を辿る。
「でも…そこに確かな流れを感じたんです
それを、その流れをより集中させた結果、魔法のエネルギーが、増えたんですよ」
確信に満ちた言葉をロミナは固唾を飲んで聞き入っていた。
「そういうことだったのね…
魔力の流れを感じ取れたなんてすごいわ、本当に!」
ホムルはロミナの称賛の言葉を全身で受け止めた。
左脇腹の傷跡がかすかに疼いたが、溢れる達成感が痛みを霞ませていた。
昨日は魔力が暴れた苦しみで焦って出来なかったのに、それでもロミナさんが根気よく指導してくれたおかげなんです、と微笑んだ。
蒼い瞳を輝かせ、訓練所の朝靄が残る空気を胸一杯に吸い込みながら、尊敬と感謝を込めてロミナに向かって頭を下げた。
「本当にありがとうございます!
特訓があったからこそ、昨日の苦労が今日の火球につながりました!
さすがロミナさんです、ここまで私の成長を見通していたなんて」
ホムルの純粋な感謝の言葉に心臓がドキリと跳ね、ロミナは頬を赤らめる。
思わず視線を逸らしつつも嬉しさを隠せない表情で微笑んだ。
「そんな...全部あなたの努力よ、私が何かしたわけじゃない
これからも一緒に頑張りましょう」
ホムルは満面の笑みで「はい!」 と力強く応答し、すぐに次の詠唱に取り掛かった。
ロミナはそれを見つめながら、無邪気に飛びついて感謝していた以前の姿を思い出し、寂しさが胸をよぎった。
特訓の積み重ねと魔物との戦闘がホムルを確かに自立させ、成長した証であることも理解できる。
ロミナは拳を握りしめ、魔王討伐への期待が膨らむ一方で、遠ざかる距離に一抹の寂寥を噛みしめていた。




