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第18話 抱擁

肩の力が抜けた穏やかな表情になったロミナは、夕日を見つめながらホムルに話しかけた。

「今日は色々あったけど、無事に終わってよかったわ

 あなたも、少しずつ強くなってきてるわね」

同じく緊張の解けた表情のホムルはゆっくりと振り向き、柔らかく微笑んだ。

その微笑にあどけなさは無く、落ち着きを漂わせていた。


ホムルは椅子からゆっくりと腰を上げ、夕陽に染まった待合室の空気を吸い込んだ。

彼の動作は疲れを滲ませていたが、瞳には確かな意志が宿っていた。

床に落ちた自分の影を見つめながら、声はかすかに震えつつもはっきりと言葉を紡いだ。

「皆さんのおかげで帰って来れました

 また明日から頑張ります」

その感謝と決意にロミナは胸奥で温かいものが膨らむのを感じ、そっと微笑みを返した。

「もちろんよ…みんなで支え合ってこそパーティーでしょ」


黄昏が待合室を琥珀色に染める中、ホムルはよろめく足取りで荷物を掴み上げた。

傷ついた脇腹に鈍い疼きが走り、一歩踏み出すごとに重心が崩れる。

重い鞄が揺れ、肩紐が皮膚に食い込む感覚に眉をひそめた。

血の気の引いた頬に夕焼けの赤みが滲んでいる。


ロミナは迷わず隣に並ぶと、自然と歩調を合わせながら言った。

「まだ無理しないで。宿まで送っていくわよ」

荷物を持とうと肩紐に手をかけると、ホムルは俯いたまま頷き、ゆっくりと手渡した。

神殿の石畳を踏みしめる二人の影が長く伸び、薄闇に溶ける寸前の陽の光が汗ばんだロミナの首筋を金色に輝かせる。


ホムルは重いため息と共に頭を上げ、霞んだ瞳で前方を見据えた。

彼の唇がかすかに動き、疲れた吐息とともに呟きが漏れた。

「魔法が使えるようになって…

 ボクもみんなと一緒に戦えると思ったんだけどなぁ」

その言葉は前方を見据える虚ろな瞳と同じく、どこか遠くへ向けられているようで、同時に自分の胸奥に落ちていくような響きだった。


ロミナは肩に掛けた荷物を持ち直しながら隣を歩いていたが、微かに耳に入ったその呟きに足を止めそうになる。

彼女はホムルの横顔を盗み見た──霞んだ眼差しと深い憂いを帯びたその表情は、まるで自分自身に問いかける内省のようで、仲間としての期待と現実の隔たりを静かに嘆いているようだった。

その表情に胸が締めつけられるような感覚を覚えながら、優しさを込めた声でロミナは話しかけた。

「そんな風に思ってたのね…でも、あなたはもう十分に戦えているわ

 これからもっと強くなれるわよ、一緒に頑張りましょう」

ホムルは小さく、はい…と呟いたきり言葉は続かず、その後は二人とも無言で宿まで歩いた。


宿に着いてロミナが木製テーブルに荷物を置くと、ホムルはぐったりと椅子の背もたれに沈み込み、天井を見据えたまま微動だにしなくなった。

窓辺に落ちる黄昏の光が彼の疲弊した横顔を浮かび上がらせ、椅子の木目が軋む鈍い音以外は沈黙が支配していた。

ロミナは溜息混じりに「もうベッドに横になりましょう」と囁くように言ったが、ホムルは曖昧に「はい…」と喉の奥で零すのが精一杯だった。

傷跡が疼く脇腹をそっと押さえながら、彼は椅子の肘掛けに額を預けて固まった。

ロミナがベッドを整える衣擦れの音だけが、重苦しい静寂を切り裂いていった。



ホムルが溜息のように大きく息をつき、立ち上がろうとした瞬間にふらついた。

気配に振り向いたロミナは素早く左腕を伸ばし、彼の身体をしっかりと支えた。

ベッドまでの短い距離を慎重に導き、ゆっくりと寝具に身体を沈ませる。

薄暗い室内で布団の柔らかな感触が背中に伝わり、頭が枕に乗ったところでロミナはそっと離れた。

しかしホムルの右手は無意識にロミナの左袖を掴んだまま離れず、その指先が微かに震えているのが夕闇の中に浮かび上がる。


指先から伝わる冷たい震えがロミナの皮膚を刺し、戦いで負った傷の疼き以上に胸奥を締めつけた。

「大丈夫?痛みがまだあるのね

 今日一日よく頑張ったわ…さぁ、もう休みましょう」

震える手を見て心配と申し訳なさが入り混じった表情を浮かべ、彼の右手を両手で包み込むように握り返す。


ホムルは左手で顔を覆い隠した。

指の隙間からは僅かにくぐもった声が零れ、まるで夕闇に沈む廃墟の影のように震えていた。

「痛みじゃないんです…

 怖かった…ボクは怖かった」

その言葉は布団の中に消えていき、嗚咽がもれ始めた。


ベッドの端に座り直したロミナは、左手の甲にもそっと手を重ねた。

薄暗がりの中、ロミナの金髪が額に落ちかかる。

揺らぐランプの炎が二人の影を作る中、布団の膨らみが規則正しい呼吸を刻む。

ホムルのまぶたが重くなるにつれ、覆った左手の指節が少しずつ解けていった。

「怖かったのね…気づいてあげられなくてごめん

 私はここにいるから安心して」


ゆうしゃしゃん……と、かすれた声が布団の中に吸い込まれると共に、ホムルの右手が突然強く締まった。

恐怖に震える小さな体が、信頼という錨を求めている証だった。

ロミナは即座に反応した。

流れるような動作でその震える手を両手で包み直し、温もりを分け与えた。

炎の灯りが二人の間に滲んだ安堵を照らし出した。

掌の柔らかい圧が、夜の沈黙の中に小さな安心の波紋を広げていった。


次第にホムルの嗚咽は小さくなり、少し落ち着きを取り戻したのを見計らってロミナは問いかける。

「明日は一日休みましょうか

 マリエも無茶は禁物って言ってたし」

ホムルは薄暗がりの中でうん…とかすかにうめくように答え、震える唇がわずかに動いた。


恐怖を拭えていない様子を感じ取ったロミナは衝動的に動いた。

ベッドの端から、自分の身体全体を使ってホムルを覆いかぶさるように抱きしめた。

その震える小さな身体を、両腕で背中と頭を包み込み胸元に引き寄せた。

ホムルは最初、突然の接触に全身を硬直させてビクッと跳ねたが、すぐに相手の温もりと規則正しい鼓動を認識すると、恐る恐る自身の腕をロミナの背中に回した。

金髪がホムルの頬にかかり、互いの吐息が混ざり合う距離で、抱擁は拒否されることなく完成した。


ホムルの小さな肯定に安堵の表情を浮かべ、抱擁の力を緩めながらも腕を離さず、ロミナは彼の頭を優しく撫でた。

最初は恐怖に震えていた全身が次第に弛緩し、ランプの炎が揺らめく薄闇の中にその変化が浮かび上がった。

温もりと規則正しい鼓動が安心感を与え、硬くなっていた筋肉が溶けていくようだった。

震えは完全に消え去り、布団の下で規則正しい呼吸が整っていく。

そしてまぶたがゆっくり閉じると、疲労と安堵に満ちた寝息が響き始めた。

すぅ……すぅ……と深い眠りへ落ちていくその寝息は、ロミナの耳に直接届き、抱擁の腕を解かないまま二人の影が映し出された。



眠りについたホムルを見て安堵の表情を浮かべ、彼の寝顔を優しく見つめながらロミナは腕の力を緩める。

寝息が規則正しいことを確認すると、慎重に腕を解いた。

まるで蜘蛛の糸を扱うようにそっと上体を起こし、深い眠りに落ちていることを確かめながら、肩にかけていた布団を滑らせるように掛け直した。

薄闇の中、指先がホムルの乱れた青髪に触れると、一本一本丁寧になぞるように梳かし整えていった。


ロミナの動作は祈りのような慎み深さに満ちていた。

ホムルのまぶたがかすかに震えたものの、深い眠りは破られず、ただ寝具の下でほのかに温もりを帯びた身体がロミナの手のひらの下で規則正しく呼吸を続けている。

寝顔を見守り終えると、静かにベッドから立ち上がった。

最後にもう一度、優しく青髪を撫でてから離れると、ランプを消し足音一つ立てずに扉の方へ歩き出した。


陽の落ちた街の冷たい空気が肌を刺す中、ロミナは自分の宿舎に向かう。

部屋の扉を開け、月明かりが差す室内に入ると、旅装を解いた。

ベッドに横たわると今日一日を振り返る。

魔獣との戦闘もあり大変な一日だったが、何より自分の感情の起伏に疲労を強く感じていた。


衝動的に抱きしめてしまった事を思い出し、頬が熱くなるのを感じる。

しかしホムルは受け入れてくれた…そこには庇護欲とは違う感情の充溢があった。

それが何かは分からなかったが、握りあった手の温もりを思い出しながらロミナは静かに眠りについた。

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