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第16話 手負いのホムル

獣の気配が完全に消え去ると、ホムルは膝を折り曲げて地面に手をついた。

脇腹に鋭い痛みが走り、押さえつけた左手の下で服の布地が赤く染まっているのが分かる。

濃霧の中で灯りが揺らぎ、彼のうつむいた後ろ姿を浮かび上がらせた。

カーヴィルが素早く近づき支えようと手を伸ばしたが、ホムルはかすかに首を振り、自力で地面に倒れ込んだ。

背中が冷たい土に触れるとき、肺から思わず小さな呻きが零れた。

それでも右手は高く掲げた杖を放さず、灯りの光球が弱々しく点滅しながら周囲を照らし続けている。

マリエがすぐに治癒魔法の詠唱を始め、ロミナは肩で荒い呼吸をしながら駆け寄ってきた。

霧の中に血の匂いと草木の湿気が混ざり合う。


「ホムル、しっかりして!

 カーヴィル、悪いけど周りの警戒をお願い」

カーヴィルは素早くダガーの刃を布で拭い、べっとりとした血糊を丹念に拭い去った。

周囲の濃霧に耳をそばだて、足音一つ立てぬよう神経を尖らせながら、油断なく辺りを睥睨する。

一方、マリエは両手を傷口にかざし、まぶたを閉じて詠唱に没入していた。

聖なる光が彼の脇腹を優しく包み込み、ぼんやりとした輝きが皮膚の上に広がっていく。

光の中では、擦り切れた布の下で、徐々に塞がっていく傷跡が見て取れた。


ホムル自身は意識を保ちつつも動くことができず、ただ治療の光に身を委ね、カーヴィルの警戒する低い呼吸音とマリエの規則正しい詠唱の響きを聞いていた。

眉間に深いしわを寄せ、傷が治癒していく様子を見守っていたロミナは、霧の中に浮かぶ聖なる光に安堵の息を漏らす。

「よかった…なんとか持ち堪えてくれたわね」


マリエは詠唱を終えた安堵の吐息と共にゆっくりと目を開けると、ほのかな聖なる光が傷跡に残る淡い輝きとなって漂った。

脇腹の裂傷は確かに塞がり血痕も乾いていたが、ホムルの蒼ざめた顔を見据えて慎重に言葉を選んで告げた。

「とりあえず傷口は塞ぎました…

 ただ内部組織はまだ脆く、歩くだけでも悪化しかねません」

ホムルは治癒光の温もりの中でも鈍痛が残る脇腹に眉をひそめつつ、マリエの冷静な口調に信頼を寄せて肯いた。

相変わらず周囲は濃霧に包まれ、血臭が森の湿気に溶け込み霧消していく。


険しい表情で周囲を警戒していたロミナは、ホムルの側に寄り添い頷く。

「了解したわ…すぐに動かすのは危険ね

 マリエ、もう少し治癒魔法をかけてもらっていい?

 その後私とカーヴィルで運ぶわ」

マリエは深く頷くと両手を傷口に戻し、まぶたを閉じて静かに詠唱を再開した。

聖なる光が再度傷跡を包み込み、内部組織の脆さを補強するように柔らかく脈打った。


ホムルは痛みを必死に押し殺し、額に脂汗を浮かべながら弱々しく口を開いた。

「すみません…私がとろくて…

 皆さんに迷惑をかけてしまいました…」

喉を詰まらせて呟く声が霧の中に消えていく。

ロミナは拳を固く握りしめ悔しさに唇を噛み、カーヴィルは警戒姿勢を解かぬまま眉をひそめた。

治癒魔法が続く中、蒼ざめた顔に僅かな血色が戻り始め、鈍痛が和らいでいくのが分かる。

「謝る必要なんてないわ

 あなたは十分頑張ってるもの」

肩にそっと手を添え勇気づけるようにロミナが微笑むと、ホムルの表情もわずかに緩んだ。


しばらくの後、濃霧が僅かに晴れる兆しを見せた事から、ロミナは街へ帰還する判断をとった。

支え起こそうとロミナが腕を伸ばすと、ホムルは苦痛に小さく呻きつつも素直に身を預ける。

痛みはあるものの歩ける程度には回復したようだ。


マリエはホムルの荷物をしっかりと両手で抱え、慎重に後方を振り返っていた。

彼女の鋭い眼光が霧の彼方に微かな動きを探り、背筋を伸ばして警戒の姿勢を崩さない。

一方、カーヴィルは先頭に立ち、周囲の草木がかすかな音を立てるたびに耳を澄ませ、素早くダガーの柄に手をかけて魔物の接近を探知しようと神経を研ぎ澄ませていた。

ホムルはロミナの腕の中で苦痛に眉をひそめつつも、断続的なうっ…くっ…という呻きとともに灯りの維持に集中し、詠唱を途切れさせなかった。


霧が薄れていく森の中を慎重に進み、額に浮かんだ汗を拭うこともせずにロミナは前方を見据える。

「もう少しだけ我慢して、

 街に着けばちゃんとした治療ができるから」


濃霧が完全に消え去ると、ロミナは〈灯火〉の詠唱を中断させた。

ホムルはうっすらと目を開け、鈍い痛みに顔を歪めながらも素直に詠唱を止めた。

そこで役割を交代し、ロミナが一歩前に出て、鋭い眼差しで四方八方を警戒し始めた。

カーヴィルはホムルの身体をしっかりと支え、傷口に負担がかかりにくいように歩調を合わせる。

霧の消えた森は陽光が差し込み始め、彼らの影が地面に伸びていたが、一行は緊張した足取りで街への帰還を目指して進み続けた。


ホムルは詠唱を止めると全身の重みが少し抜けたようで、苦しげな息遣いが和らいでいる。

あの濃霧の中、灯りがなければ魔獣の襲撃に対応できず森からの脱出も困難だったと全員が確信していた。

カーヴィルが前方を見据え、ついに遠くに街の外壁が霞んで見える地点まで帰り着いた。

ロミナは安堵の吐息を漏らしつつも警戒を解かず、ホムルは支えられたまま疲れたまぶたを閉じかけている。

「よかった…ようやく帰ってこれたわ

 あと少し、油断せずに行きましょう」

陽光はロミナの金髪を輝かせているが、安堵と疲労が入り混じった複雑な表情で皆に声をかける。


街にたどり着いたパーティーはまっすぐにホムルを神殿へ運び込んだ。

マリエは他の治癒担当神官と共に即座に対応し、傷ついた脇腹を中心に簡易治癒術式を施しながら治療台へ慎重に横たえた。

聖なる光が傷口を包み込み、内部組織の修復が始まる中、神官たちは緊張感を持って状態を監視した。

一方、ロミナとカーヴィルはホムルを神官たちに託すと、互いに目配せをしてギルドへ向かい、依頼報告のために足早に街路を進んでいった。

彼女らの背中には安堵と共に、仲間の治療成功への祈りが重くのしかかっていた。

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