第15話 襲撃、渦巻く濃霧
翌朝、ロミナは日の出と共に目覚め、窓から差し込む光に照らされながら鎧を身に着けている。
…今日の偵察依頼はちゃんと距離を取らないと。
あの子ももう十分一人前になってきてるんだから…。
昨日の反省を踏まえ、そう心に決めながら準備を進める。
朝の薄明かりの中、四人の勇者パーティーは冒険者ギルド前に集まった。
曇天から落ちる雨粒が石畳を湿らせ、森へ続く道は霧のような湿気が漂っていた。
ロミナが先頭に立ち、ホムル、カーヴィル、マリエの順で列を作り進軍開始。
偵察任務の緊張感は低く、会話が自然と湧き上がる。
ホムルが昨日の火球の話を始めると、カーヴィルが笑いを交えて冗談を返し、マリエが優しく励ましの言葉を添えた。
ロミナは鎧の袖を整えつつ、彼らのやり取りを穏やかな目で追い、昨日決めた距離感を意識しながらも仲間たちの和やかな雰囲気に胸のざわめきを覚えた。
木々の梢から滴る水音の中、一行は森の深淵へ歩みを進めた。
森は大きく三区域に区分され、それぞれの境界で魔物の痕跡──獣型なら足跡や糞、亜人の類なら粗雑な伐採痕や簡易住居の有無──を探査するのが任務だ。
曇天下、湿った土壌に目を凝らし、獣の掘り返し跡を識別する集中力が要求される。
針葉樹林の微かな軋みに耳を澄ませながら、地面の腐葉土や枯れ木の折れ跡を丹念に観察する。
一箇所目の地点でパーティーは亜人の作業場らしき伐採帯を発見した。
全員で濃い霧の中に浮かぶ朽ちた蔦の痕跡や足跡を丹念に調べる。
苔むした岩盤に刻まれた獣道の摩耗具合から亜人の古い拠点だと判断した。
しかし半径五十歩の範囲を再確認しても生物の気配はなく、ただ湿った落ち葉がかすかに軋むだけだった。
足跡も消えかけており、樹木の切断面も組織の修復が進んでいることが確認できた。
「ここは古い痕跡しかないし、危険は無さそうね」
ロミナは地図に書き込みをしながら次の地点への移動を指示する。
二箇所目の探索地帯では、腐植土に埋もれた爪痕や引き摺られた獣毛の痕跡が至る所に残っていた。
地面に落ちた植物は緑を残しており、足跡もはっきりとした物が多かった。
その時カーヴィルが動きをとめ、静かに、というジェスチャーを全員に示した。
藪の向こうに耳を澄ませ「近い…」と警告すると、ロミナは即座に全員に警戒の合図を送った。
マリエとホムルは息を殺して杖を握りしめる。
魔獣特有の危険な緊迫感が霧と共に密度を増し、全員が身を屈めながらカーヴィルが警戒する方向を凝視する。
気配を探っていたカーヴィルは、指を立てて3匹いることを伝える。
ロミナは一瞬考えたものの、素早く退却を全員に指示した。
おそらく足跡からウェアウルフの成体、それが3匹となれば動きを止められる前衛が足りないと判断したのだ。
全員がうなずき、一旦魔獣が通り過ぎるのを待ってから静かにその場を離れた。
三箇所目に移動する間、高まった緊張感に口数は減り周囲の警戒から歩みは遅くなっていった。
その間に霧は急速に密度を増し、探索地点に到着する頃には完全な白い壁となった。
視界は十歩先も見えないほどで、仲間たちの輪郭さえ霞んでいた
ホムルは両手を掲げて精神を集中させ〈灯火〉の詠唱を開始する。
淡い橙色の光が掌にぽうっと灯り、ゆらめく炎のように彼らの中心に浮かんだ。
その弱々しい光源を頼りに、一行は灯りを囲む円陣を組み、互いの存在を確認しながら慎重に歩を進めた。
湿った土と朽ち葉の匂いの中に濃霧特有の冷たさが混ざり、灯りの周囲だけがかろうじて空間を認識できる境界となった。
ロミナは剣の柄を握り直し、ホムルの機転に安堵の息をつきつつ周囲を警戒し続けている。
「みんな、この灯りの範囲内で慎重に移動しましょう
魔獣の痕跡を探すことも大事だけど、私たちが迷わない事も重要よ」
ホムルは灯りを維持するために両手を前方に掲げ集中していた。
灯りの光は霧の中をかすかに拡散し、一行の歩みに合わせてゆらめいていたが、その明るさ自体は変わらず安定しており、詠唱が途切れることなく継続されている証だった。
彼の指先から漏れる淡い橙の光は霧粒を照らし出しており、ホムルの精神が研ぎ澄まされ、少なくとも恐怖に怯えてはいないことが伺えた。
濃霧は三箇所目の探索地点でも一向に薄れる気配を見せなかった。
ロミナは警戒して周囲を見据え、剣の柄を強く握りながら臨戦態勢を解かなかった。
カーヴィルとマリエで灯火の範囲内でしゃがみ込み、地面の朽ち葉を掻き分け、亜人の痕跡を探査し始める。
ホムルは二人の動きを注視しつつ、詠唱に集中しながら距離を微妙に調整し続けた。
灯火の光が霧粒を照らしてちらつく中、カーヴィルが地面に刻まれた古い跡を指差し、マリエが慎重に調べる様子を、ホムルは灯りを揺らがせずに支え続けた。
突然、カーヴィルの緊迫した低い呼び声が響く。
「四足歩行…数は2…まっすぐこっちに向かってる!」
灯りの輪郭がゆらぎ、ロミナは即座に剣を構え直し、マリエは杖を掲げて身構えた。
淡い橙の光が霧粒を照らし出す隙間に二つの影がかすかに見え、低い振動が湿った空気を震わせて近づいてくる。
ロミナが警戒の声を上げる中、ホムルは灯りを支え続け、霧の中に迫る脅威への準備を整える。
「ホムル、灯りをもう少し高く!全員、戦闘態勢!
カーヴィル、正面をお願い!私たちで側面から挟み撃ちにするわ!」
濃霧が突然渦巻き、二匹のウェアウルフが闇から躍り出た。
一匹はカーヴィルに向かい猛然と襲いかかり、裂帛の爪音が灯りの橙を切り裂く。
素早くダガーを掲げて爪を受け止め、火花が霧粒を蒸発させた。
即座に足を蹴り上げると、弾き飛ばされたウェアウルフがわずかにひるむ。
一方ロミナの眼前では、もう一匹が牙を剥いて襲いかかる。
剣閃が風を斬り、鋭い金属音とともにウェアウルフは後退し、湿った地面に足跡を残して再び霧の中へ溶け込んでいった。
再び飛び掛かるウェアウルフの爪の一撃を、カーヴィルはダガーで必死に受け止めた。
その瞬間、ウェアウルフは狡猾にも体勢を崩して即座に丸まり、強靭な後足が盗賊の脇腹を蹴り上げた。
湿った地面に衝撃の跡が残る。
カーヴィルは本能的な危険を感じ、重心を僅かに捻って蹴りの衝撃を緩和させる。
霧の中で二者は再び睨み合い、互いの呼吸さえ聞こえる距離だ。
もう一体のウェアウルフは深い霧に潜み、完全に気配を消して一行の隙を窺い、灯りさえ届かない暗がりから次の襲撃機会を探っていた。
「カーヴィル、そのままを引きつけておいて!
ホムル、もう少し〈灯火〉の範囲を広げられる?
霧の中の奴にも光を当てたいわ」
ロミナは剣を構えた姿勢から一歩踏み出し、霧の中に溶け込むもう一体の魔獣の気配を探りながら、額に汗を浮かべる。
ホムルは両手を掲げたまま唇を噛み詠唱を深めると、灯りの橙が急激に膨れ上がり、霧粒が光に吸い込まれるように輝いた。
周囲の木々の輪郭が陰影を濃く刻む中、ホムルの右脇の濃霧が突如渦巻く。
深い闇からウェアウルフが弾丸のように飛び出し、脇腹めがけて鋭い牙を剥いた。
ホムルは咄嗟に詠唱を中断し後退しながら杖を掲げる。
灯りがぐらつきつつも襲撃点を辛うじて照らし、ロミナが剣を閃かせて飛び込む。
ロミナは剣を振り抜いた姿勢で息を荒げながら、素早く視線を走らせ、眉間にしわを寄せる。
「ホムル、大丈夫?
〈灯火〉を維持しながらマリエと一緒に下がって!」
ホムルは足元がふらつくのを感じつつも杖をしっかりと握りしめた。
〈灯火〉の詠唱が喉から流れ出て橙の光球が濃霧の中核を辛うじて照らし出す。
牙がかすった脇腹の痛みは奥歯で嚙み殺し、毅然とした姿勢を崩さなかった。
カーヴィルがダガーを閃かせて牽制しロミナが剣を振り下ろす戦況の中、いつしかウェアウルフは二匹ともホムルを狙うようになっていた。
〈灯火〉を邪魔と感じたのか、それとも弱っている者から狙うという本能なのかは分からないが、執拗に襲い掛かってくる。
ロミナはその変化に気づき、常にホムルとウェアウルフを結ぶ線上で対峙する。
橙の光が揺らめく度に獣たちの鋭い眼光が不気味に輝き、牙を剥いた一体が跳躍の姿勢に入る。
その瞬間、ロミナは剣を引き上段へと振りかぶった。
飛び掛かってきたウェアウルフを剣の重量と遠心力で地面に打ち倒す。
「カーヴィル!トドメ!
マリエ!ホムルに防護を!」
短い叫びが響き、カーヴィルは素早くダガーを逆手に握り替え、押さえつけられているウェアウルフの喉元へ刃を突き立てた。
血飛沫が霧粒となって飛び散る。
同時にマリエが杖を高く掲げ、掌から眩い光の粒をホムルへ投射した。
もう一匹がホムルに突進してきていたが、聖なる光が包み込み、襲いかかってきた獣の攻撃の衝撃を和らげる。
ホムルは肩口に鈍痛を感じつつも何とか踏みとどまった。
予想外の衝撃にバランスを崩したウェアウルフに、ロミナが踏み込んだ一撃を放つ。
霧の中で鮮血が飛び散るものの致命傷には至らなかった。
しかし受けた傷と仲間が斃されたことで危険を感じ取ったウェアウルフは、霧の中へと消えていった。




