第12話 焦燥を照らす〈火球〉の閃光
ロミナはホムルの急な明るさに少し驚きながらも、訓練場の陽射しの中で彼の表情の変化を見逃さないように目を細める。
「もちろん、特訓しましょう。でも無理しないでね。
どんな魔法から始める?」
ホムルは訓練場の石畳にしっかりと足を踏ん張り、少し前のめりになって宣言した。
「攻撃に使える魔法を習得したいんです」その目は真剣そのものだった。
「火球」の二文字を呟くとすぐに顔を輝かせ、「爆発系の方が威力ありそうかも?」 と興奮気味に加えた。
ロミナは眉間に深い皺を寄せて考え込む。
これまで〈灯火〉や〈水滴〉といったサポート系しか使えなかった彼に、果たしてすぐに魔物討伐に欠かせない攻撃魔法が扱えるだろうか?
現状を考えれば不安しかなかったが、魔王討伐という使命を思うと避けては通れない課題だった。
訓練場の陽光が金髪を輝かせる中、ホムルの熱意ある眼差しを見つめながら思案顔をする。
「攻撃魔法ねぇ…確かに必要だけど、すぐにあなたに扱えるかどうか…」
拳を握りしめたホムルは、訓練場の石畳をしっかりと踏みしめながら前のめりに言った。
「それでも…やってみないと、分からないじゃないですか!
水球もすぐできるようになったでしょう?」
その声は熱意に震え、額の汗が朝陽にきらめいている。
確かに水球習得時に驚異的な早さを見せたが、今の前のめりすぎる姿勢が気にかかる。
金髪を風になびかせロミナは一歩踏み出し、焦燥に駆られたホムルの目を覗き込むように問いかけた。
「ねぇ、何そんなに焦っているの?理由を聞かせて
焦る必要なんてないわよ。水球だって偶然うまくいった部分もあるし…
何か私に隠してるんじゃないでしょうね?」
ホムルは喉仏を上下させて息を詰まらせ、額に冷や汗が浮かんでいた。
訓練場の石畳が朝露に濡れ、彼の躊躇いが沈黙となって重く漂う。
ロミナは鋭い視線でホムルの曇った瞳を捉えている。
乾いた空気が彼女の言葉を引き裂くように響く。
「いい? 攻撃魔法は失敗すれば味方に害を及ぼす事になる
冷静に、集中して詠唱しなければならないの
やる気だけでどうこうできるものじゃないわ。」
ホムルは拳を固く握りしめ、焦燥に歪んだ顔が次第に蒼ざめていく。
彼の背筋がわずかに震え、攻撃魔法への執着が危険な綱渡りだと悟った瞬間だった。
言い淀む様子を見て、眉間にしわを寄せながらも内心では彼の焦りの原因を探ろうとする。
「言いにくいことがあるのね
私たち、仲間でしょ?隠し事はなしよ」
ホムルは額の汗をぬぐいもせず、訓練場の石畳に靴先を擦りつけながら俯いた。
喉仏がかすかに動くのが見えた。
「それは…早く必要とされないと、また追放されるかも…って思って」
小さな声は砂埃舞う風に乗り、ロミナのもとに届いた。
青髪が朝陽に透けてかすかに輝き、震える肩が焦燥を物語っていた。
また仲間外れになる不安を抱えていることに、ロミナの茶色の瞳が揺らいだ。
攻撃魔法習得への焦りの裏側にある孤独な危惧を悟り、彼女は拳を握りしめた。
「バカねぇ…そんなことで悩んでたの
追放なんてしないわよ、私たちパーティーはあなたが必要だもの」
ロミナの柔らかな言葉がホムルの耳に染み込んでいく。
俯いていた顔に最初はほのかな赤みが差し、次第に緊張が解けるように肩の力が抜けていった。
額に浮かんでいた冷や汗が風に消え、固かった拳がゆっくりとほどけるのが見て取れた。
真剣な瞳でまっすぐ見据えながら続ける。
「最近のあなたの頑張り、成長を私はしっかり見ているわ
焦る必要はないのよ」
ホムルの深い蒼眼の瞳は一点の揺るぎもない真剣さを宿し、言葉一つひとつを噛みしめるように受け止めている。
訓練場を包む清涼な空気が二人の間に流れ、重かった雰囲気が徐々に和らいでいった。
「今の気持ち忘れないで」と告げられると、ホムルは俯いていた顔をゆっくりと上げ、茶色の瞳をしっかりと捉える。
目に迷いが消え、頷く動作には確かな決意が宿っていた。
その目を見つめていたロミナはふっと微笑むと、掌をかざし詠唱の準備をする。
両手を複雑に組み、集中した表情で詠唱の態勢を整えた。
一方ホムルは慌てて腰の皮袋を探り、古びた革表紙の魔法書を引っ張り出し、ページを素早く捲り始める。
石畳に落ちる二人の長い影が、新たに交わされた約束を映し出していた。
掌から燃え上がる橙色の光球は松明の灯りとは比べものにならない圧倒的なエネルギーを放ち、空気さえ歪む迫力で膨らんでいく。
ホムルの瞳が瞬時に輝き、初めて見る火球の凄まじさに胸が高鳴った。
しかしロミナは即座に警告する。
「初めて〈火球〉を詠唱した時、桁違いのエネルギーに動揺すると思う
だけど慌てることはないの
〈灯火〉や〈水球〉と同じように、掌の上に保持すれば危険は無いわ」
過去の自分も恐怖で詠唱を中断しそうになった苦い経験を思い出しながら、一度根付いた不安は払拭が難しいと丁寧に説明した。
石畳に映る二人の影が真剣な面持ちで向き合い、訓練場の風が火球の熱気を運ぶ。
「火球はすごい力だけど、それに飲み込まれちゃダメよ
まずは自分のペースで、恐怖を感じたら一度止まってもいい」
ホムルは深呼吸をして額の汗を拭い、ロミナの励ましが耳に残る中、両手を組みゆっくりと詠唱を開始する。
掌に集まった魔力が最初は微かな温もりとして感じられ、次第に光の粒となって膨らんでいった。
徐々にエネルギーが増幅し、掌の中心で淡い橙色の光球が脈打つように輝き始める。
その光は訓練場の陽光を反射しながら膨張し、空気を震わせるほどの圧力を帯びていった。
眉間にわずかな皺が寄り、詠唱の難しさに集中しながらも恐怖は感じていない。
ロミナは少し離れた位置から見守り、ゆっくりと膨らむ火球を確認すると安堵の微笑みを浮かべた。
「すごいわ、ちゃんとコントロールできてるじゃない
その調子よ、焦らないで」
ホムルが必死に詠唱する真剣な眼差しと、風になびく青髪に一瞬心奪われる己を自覚した。
だがすぐに表情を引き締め、注意を促す。
「一旦止めるけど、解放する時も危険よ」
ホムルは警告を真摯に受け止め、額の汗を拭うと掌をゆっくりと振った。
掌から解放された火球は空中で一瞬膨張し、眩い閃光を放つと静かに消えていった。
「上手くできたわね!やっぱりあなたには才能があるわ
焦らず進めれば、きっと素晴らしい魔法使いになれるわよ」
ホムルはロミナの褒め言葉に胸を熱くさせた。
しかし詠唱に全力を集中した代償は大きく、疲労の影がまぶたの重たさや眉間に深い皺となって浮かんでいた。
額には薄っすら汗が滲み、呼吸も浅く速くなっているのが自分でもわかるほどだった。
それでも期待に応えられた喜びが疲れを霞ませ、うつむき加減にこくりと頷いた首筋には緊張が固まって残っていた。
ロミナは疲れた表情を見て心配そうに眉を寄せながら、優しく声をかける。
「こんなに早く火球を形にできるなんて頑張ったわね
少し休憩しましょうか?」
ホムルは訓練場の石畳にしっかりと足を据え、輝く汗ばんだ額を拭いながらロミナを見上げた。
その瞳には先ほどのような焦燥は欠片もなく、代わりに火球習得への確かな手応えと強い意志が宿っている。
「もう一回やらせてください」
声は静かでありながら確固たる響きを持ち、訓練場の空気を震わせた。
ロミナは疲労を滲ませた顔と迷いのない眼差しを交互に確かめ、一瞬だけ眉を寄せたものの、やがて安堵の微笑みを浮かべて大きく頷いた。
決意に満ちた表情を見て、内心で彼の成長を感じ取っていた。
「今の感覚を掴みたい気持ち、よくわかるわ
じゃあ続けてやりましょう」
深く息を吸い込み、掌をかざしたホムルは詠唱を始めた。
掌に魔力が渦巻き始め、橙色の火球が安定して膨らんでいく。
炎の温もりが石畳に影を揺らし、危なげなく火球を空中に放つと、閃光が弾けて消え、周囲に焦げた香りが漂う。
ロミナは眉をひそめ、火球習得の早さに驚きつつも、水魔法の苦手意識との対比を思案した。
「やはり火属性が得意なのか」と呟く唇が僅かに震えた。
金髪が風に靡く中、ホムルの純粋な喜びが胸に新たな信頼を芽吹かせた。
「ロミナさんに教えてもらえたから、すごく不安なくできました
もう急ぎません、まずはこの火球を完璧にマスターします!」
汗ばんだ額を袖で拭いながら、ホムルは喉が乾いたのか一度ごくりと唾を飲み込み、澄んだ声で言った。
血色の良い頬やしゃっきりとした動きから、二日酔いの影響は完全に消え去っているようだ。
何度も詠唱と解放を繰り返し、安定性が格段に上がって来ていた。
訓練場の西側に傾いた太陽が長い影を引き、最後の残照が石畳を黄金色に染めている。
夕暮れの風が優しく吹き抜けロミナの金髪を微かに揺らす中、ホムルの瞳をまっすぐ見据えて口を開いた。
「今日の特訓はここまでにしましょう」
「…え、もうですか?」
疲労が色濃く滲む顔でホムルは答えた。
「二日酔いは収まったかもしれないけど
そもそもちゃんと寝れてないんだから疲労は溜まっているはずよ
それに、明日はギルドから依頼を受けて探索に行こうと思うの」
肩書は勇者となっているが、ロミナは国に魔王討伐を依頼されているわけでも、雇われているわけでもない。
ギルドからの依頼をこなしてお金を稼がねば生きていけないのだ。
ここ数日特訓に集中していたが、実戦も兼ねて依頼を受けに行くことにした。
ホムルは疲れた額の汗を拭いつつも、夕日に輝くロミナの言葉に深くうなずいた。
「探索依頼だから、〈火球〉が早速役立つかもしれないわね
今日は早めに休んで、明日に備えましょう」
夕闇迫る訓練場を後に、ホムルは掌に宿した火球習得の達成感に浸りながらロミナと共に歩いた。
訓練場から街へと抜ける坂道を登りきると、夕焼けに浮かぶ街並みが遠望できた。
二日前酔いで苦悶した記憶が蘇るのか酒場への言葉を避け、そのまま宿へと向かう道へ足を向ける。
疲労した肩を並べながらホムルは服の袖で額の汗を拭い、ロミナが漏らす深い息遣いを聞きつつ、染み付いた焦げ臭い匂いが夕風に乗って消えていくのを感じていた。
宿への分岐で服の裾を整えながらホムルはロミナに深々と頭を下げた。
「今日はありがとうございました
火球が使えるように特訓してくれたこと、
そして昨日宿まで送ってくれたことも…」
夕陽の斜光がその青色の髪を縁取り、感謝の眼差しを向ける。
ロミナは微笑みを返し、宿まで送ると言いかけて止まった。
もし、また拒絶されたら…そう思うと言葉を飲み込まざるをえなかった。
ホムルは微笑みが感謝を受け取ってくれた証と捉え、踵を返して宿へと向かった。
ロミナは道に立ち尽くし、ホムルの後ろ姿が夕闇に飲み込まれるのを見送った。
大きなため息を一つつくと、宿舎へ向かって石畳を踏み出した。
陽が落ちたことで少し湿った涼風を感じながら、雑踏の中を歩く。
宿舎の扉を開けた途端、松明の灯りと慣れた木の香りが漂い、無事に一日を終えた安堵が肩の力を抜いた。
今日の出来事を振り返り、ホムルの成長ぶりに満足げな微笑みを浮かべる。
あの子、火球をあんなに早く習得するなんて…私の教え方が良かったのかしら。
松明の灯りに照らされた宿舎のベッドで一日の疲れを解きほぐしながら目を閉じた。
訓練場での光景がまぶたの裏に浮かび上がる。
まず二日酔いで苦悶する歪んだ顔が蘇り、額に浮かんだ脂汗と「水を…」と呻く声が耳朶を打つ。
次いで服の袖を握り締め火球詠唱に挑む真剣な横顔――汗で光る喉仏、震える掌――その集中した瞳孔にロミナの姿が映っていた。
接触した時に魔法使いが後ずさった瞬間の耳まで赤らめた照れ顔も鮮明に蘇る。
あの拒絶の仕草は嫌悪ではなく戸惑いだったのかしら…。
服の袖口を嗅いでしまった時の微かな薬草の甘い匂いまで思い出され、ロミナは無意識に胸元に手を当てた。
頬を赤らめながら、松明の灯りに照らされた部屋で自分の気持ちに戸惑っている。
なんなのよ、もう…。あの子のこと、変に意識しちゃってるじゃない…。
まるでホムルの顔を吹き飛ばそうとするかのように、枕上での頭を激しく振り始めた。
枕カバーの麻繊維がほつれるほど強く擦りつけ、額に汗が滲む。
あの訓練場での汗臭さ、火球詠唱時の微かな薬草の香り、拒絶した時の耳まで赤くなった照れ顔――それら全てが頭の中を駆け巡り、必死に振り払おうとした。
しかし激しい動作にも関わらず、逆にホムルはにかんだ笑顔ばかりが鮮明になり、服の裾を整える仕草や二日酔いで苦悶した歪んだ表情が浮かぶ。
ついに抵抗を諦め、ロミナは深い溜息とともに微睡みに沈み、に深い眠りへ落ちていった。




