物語11 アテナイ
アントンはついに待望の海外渡航許可を得た。アテナイとアレクサンドリアを訪れ、現地の学者や技術者たちと交流するよう命じられたのだ。ギリシャとガリア方面での相次ぐ戦勝により、政府の態度も少し柔らかくなったのだろう。アントンはその機会を最大限に活かすべく、期待と興奮に胸を膨らませながら旅支度を整えた。ユリアが丁寧に荷物を作ってくれた。
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最初の目的地はアテナイだった。
まずローマから有名なアッピア街道をアプリアへ。アプリアはイタリア半島のブーツのかかとの部分、カラブリア地方の港町である。アッピア街道はさすがの威容で、広く整備された石造りの路面を旅人が絶えず行き交うのは壮観だった。また景色が素晴らしい。ローマの大都市から周辺部の近郊農業地帯、貴族の別荘が独立した農園であるのも見て取れたし、各農家で野菜や果物など集約的な農業に取り組んでいるのも珍しかった。さらに山がちなカラブリア地方は起伏に富み緑にあふれた風景が楽しかった。
アプリアからはアドリア海、エーゲ海方面の定期船が出ている。アプリアーブリンディシーコルフ島ーペロンポネソス半島のコリントス港へ。海は深く青く、木々に彩られた島影が近づいては遠ざかるのが楽しかった。また各地の古代の遺跡が興味深かった。紀元前3世紀にしてミノア文明の栄華は千年の昔だったのである。アントンが興味深く思ったのは、ミノア文明が既に人生を楽しんでいた事、ユーモアさえ感じられた事だった。有名なミノア壺の題材は神話や英雄だけでなく、人々の日常生活をも活写していたのである。
ガレー船で波に揺られる日々が続いたが、アントンの心はすでにアテナイの壮大な神殿や学者たちとの議論へと飛んでいた。コリントス港から歩いて到着したアテナイは、彼の想像を超える豪放さを誇っていた。パルテノン神殿を仰ぎ見たとき、アントンはローマとは異なる文明の美を感じ、改めてその土地の知性に触れることを楽しみにした。
現地では、以前に工房で教えた教え子と再会する機会があった。彼らが成長し、それぞれの分野で活躍している姿を目にするのは、アントンにとって何よりの喜びだった。教え子たちは彼にアテナイの最新の技術や研究について話し、アントンも自分の研究の進展を共有した。確かにアテナイは人材が豊富なところで学者だけでなく優秀な職人も多く、実験用の資材や器具も容易に入手できるという。
ギリシャにも非常に精緻な機械加工の伝統がある。秘密主義的な傾向が強く部外者にはなかなか全貌が分からない。アントンはギリシャ人や現地に長く住んでいるローマ人の伝手を頼ってできるだけギリシャ人の工房を見て回った。印象としては発想の奇抜さはさすがギリシャ人だなというものである。精巧すぎてよく理解できないものも多かったが、全体として大いに参考になったのである。
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その後、ギリシャの学校の講堂の一つでアテナイの学者たちとの議論が始まった。自然哲学として自然の背後に潜む統一された仕組みを理解しようという試みが始まっていた。自然現象は神々のきまぐれな干渉であるとする従来の考え方からすると画期的なのだが、演繹的に理論を発展させるという哲学の手法にはあまり観察や実験は入る余地がないようである。数学的に厳密に記述できない哲学は文学なのではないか、アントンは漠然とそのような印象を持っていた。
議論のひとつのテーマは真空についてだった。古典的な哲学では「真空は存在しない」という考えが支配的だったが、アントンはそれに挑むためにある実験を準備していた。
彼の学生の前でいつもやっている実験なのだが、真鍮の箱を取り出し、その中に熱湯を注いだ。しばらくして蓋を閉め、箱全体に冷水をかけると、箱は音を立てながら潰れていった。アントンは箱を指差し、学者たちに言った。「これが真空です。空気が内部から取り除かれ、外部の圧力がそれに打ち勝つ様子を示しています。」
この簡単だが劇的な実験は、学者たちに強い衝撃を与えた。彼らの中には、驚きと興奮を隠しきれない者もいれば、自分たちの信念を揺さぶられ、静かに考え込む者もいた。この実験は単なる議論のためだけでなく、次の時代の重大な発明、蒸気機関を予感させるものでもあったのだが、アントンは弟子たちがそれを発明してくれることを密かに祈っていたのである。
他にもアントンはいくつか科学実験を行って議論した。例えば酢を入れた壺に少量の石灰を投じて温度計で温度の変化を見るとか、小麦粉を水に溶いた粥を入れた壺の中で猛烈に木のさじをかき回して温度計で温度の変化を見るとか。最初の実験ほどの衝撃はなかったけれども、さすがに学者さんたちは素晴らしい理解力だった。
「化学反応と運動と熱は何か関連しているようだね。」
「あるいは統一的に表現できるのではないだろうか。」
アントンは言った。
「私は単なる機械研究者で理論の事はよくわかりません。現象を素直に見て経験的に機械装置の改良に役立てていくだけです。しかし皆さんはこの現象に潜む自然の法則を理解し表現することができるのではないでしょうか。私はそれを期待しております。私の工房ではこの温度計のような実験に役立つ装置も製造しております。ご要望があれば各種実験装置の制作の相談にも応じます。」
そして最後にアントンはささやかな悪戯をしたのだった。
「今日は良い議論ができました。ありがとうございました。この会を私の遊び心で締めさせて下さい。」
アントンは手元にあったパピルス紙を素早く折り紙飛行機を作ると、それをスムーズに水平に空中に押し出した。
「これは空気と形状の相関の簡単な例であります。」
紙飛行機はしばらく優雅に滞空し、やがて床に落ちた。
学者たちは大喜びだった。
アントンは言った。
「ここに予備のパピルスを用意してあるので皆さんも作って飛ばしてみませんか?」
名だたる学者たちの紙飛行機大会となったのである。
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またアントンはアテナイに来た旅行者はぜひ見るべきものだと推奨されるギリシャ悲劇を見学した。言葉がよくわからず、顔に奇妙な仮面をつけた役者たちが喚き散らすのに退屈していたところ、突然高さ3メートルのゼウス神の怒れる顔である「デウス・エクス・マキナ(神の機械仕掛け)」が舞台に押し出されて蒸気を吹き出しながら何やら大声で宣告した。
案内人に聞いてみると「かくしてドラマは結末を迎える。すべてゼウスの御心のままに。」という決まり文句だという。
この機械仕掛けの神が一番面白かった。
アゴラの丘に登り民主政治を考える。爽やかな風が吹きオリーブで彩られた美しい広場である。ペリクレスの栄光とソクラテスの屈辱もここでドラマが繰り広げられたのだ。いずれにせよギリシャを統一したのはアテナイの理念ではなく最終的にマケドニアの武断だったのである。
周囲の神殿も美しく歴史ゆかしかったが、もっとも興味を惹かれたのはヘファイトシス神殿であった。この鍛冶の神様はアテナイ市民からたいそう好かれていたらしい。ヘファイトシスがゼウスの頭を勝ち割ってアテナが誕生するという所以なのだが、やはりギリシャ人の奇矯さを感じずにはいられないエピソードである。鉱石をかち割って貴重な金属を精錬し美しい工芸品に仕上げるという比喩であるのかもしれない。それならばアテナイ人はものすごく工芸的な伝統の人々という事になるだろう。実は近くのローリオン鉱山で採掘された銀とその加工がアテナイ躍進を支えたのであって、アテナイの工業都市としての性格は決して無視してはいけないと思う。
アントンにとって、この旅はただの学問的交流ではなく、未来のローマと世界のために技術の新たな可能性を切り開く一歩だった。久しぶりの外の空気に素朴な観光客となった感もあったが。
そして彼は、アレクサンドリアというさらなる知の拠点を目指し、次の旅路へと向かったのだった。
アテネ観光を少しはエキゾチックに書けたでしょうか。




