サジタリウス未来商会と「幸福の指標」
成瀬という男がいた。
年齢は30代後半、IT企業で働く中堅社員だ。収入も悪くないし、趣味や友人関係もそこそこ順調だ。
だが、成瀬は何かに取り憑かれたように、「自分は本当に幸せなのか」を考える癖があった。
「収入もあるし、趣味も楽しんでいる。なのに、なぜこんなに満たされないんだ……?」
SNSでは同年代の友人たちが家族を持ち、海外旅行や新築の家を自慢する写真が目立つ。
それを見ていると、自分の生活が何か物足りないように感じられるのだった。
そんなある夜、成瀬は帰り道に奇妙な屋台を見つけた。
それは薄暗い路地の奥にひっそりと佇んでいた。
古びた看板には、手書きでこう書かれている。
「サジタリウス未来商会」
「未来商会?」
興味を引かれた成瀬は、その屋台に足を向けた。
中には白髪交じりの髪と長い顎ひげをたくわえた痩せた初老の男が座っていた。
その男は、成瀬を見るなり穏やかに微笑み、声をかけてきた。
「ようこそ、サジタリウス未来商会へ。今日はどんな未来をお求めですか?」
「未来を、だって?俺にはそんな大それたものを買うつもりはないけどな」
「いえいえ、あなたの悩みはすでに分かっていますよ」
サジタリウスと名乗るその男は懐から奇妙な装置を取り出した。
それは小さな手のひらサイズの筒状の機械で、側面には針のついたメーターがついていた。
「これは『幸福メーター』です」
「幸福メーター?」
「ええ。この装置を使えば、あなたが本当にどれだけ幸せかを数値化して測ることができます。自分の幸福の正確な指標を知りたいと思いませんか?」
成瀬は目を輝かせた。
「俺の幸福を測れるだって?そんなものがあるなら、ぜひ使ってみたい!」
サジタリウスは微笑みながら装置を差し出した。
「使い方は簡単です。メーターに触れるだけで、あなたの幸福度が数値化されます。試してみますか?」
成瀬が装置に手を触れると、針がぐんと動き、「65」の数字を示した。
「65……っていうのはどういう意味だ?」
「100が最大値です。あなたの幸福度は、今のところ65ということですね」
「それって高いのか?低いのか?」
「それを決めるのは、あなた自身です。この数字をどう感じるかが、何より大切ですから」
成瀬はその場で装置を購入し、自宅でじっくりと試してみることにした。
翌朝、休日に家で趣味のゲームを楽しんでいると、幸福メーターは「70」を示した。
「まあ、こんなものか」
その後、友人と飲みに行った際には「75」、仕事で上司に評価されたときには「80」まで上がった。
「やっぱり、こうして数字で見えると面白いな」
だが、次第に成瀬はこの装置に過剰に依存するようになった。
ある日、SNSを眺めていると、友人が新婚旅行の写真を投稿していた。
成瀬は装置を取り出し、自分の幸福度を測ってみた。
「55……やっぱり俺はまだ全然幸せじゃないんだ」
それ以来、成瀬は「どうすれば幸福度を上げられるか」を考えることに執着し始めた。
趣味や人付き合いも、すべてメーターの数字を上げるための手段になっていった。
次第に、成瀬は幸福度が「100」に達することを目標にするようになった。
高級なレストランに行き、高価なものを買い、あらゆる娯楽を試してみた。
だが、幸福メーターは「85」以上を示すことはなかった。
「どうしてだ……?どうすれば100になるんだ?」
悩んだ末、成瀬は再びサジタリウスの屋台を訪れた。
「おい、ドクトル・サジタリウス。この装置は確かに面白いが、俺の幸福は一向に100にならない!どういうことだ?」
サジタリウスは静かに答えた。
「幸福とは、外部の要因だけで決まるものではありません。あなたの心がどう感じるかによって大きく変わるのです」
「じゃあ、どうすれば100になるんだ?」
「それは私にも分かりません。ですが、少しだけヒントを差し上げましょう」
彼は装置を操作し、新たなモードを設定した。
「これで、他人の幸福度を測ることができるようになりました」
成瀬は試しに家族や友人、同僚の幸福度を測り始めた。
笑顔で楽しそうにしている人が「50」だったり、何気なく仕事をしている同僚が「80」を示したりと、数字はさまざまだった。
「どうしてこんなに違うんだ?」
だが、周囲の人々を見ているうちに、成瀬は気づいた。
幸福の数字が低くても、彼らは笑っていたり、穏やかに過ごしていたりする。
一方で、数字が高くても、不満を抱えている人もいる。
「幸福の数字に囚われること自体が、幸せじゃなくなる原因なのかもしれない……」
成瀬は装置をポケットにしまい、ふと呟いた。
「結局、幸せってやつは、感じ方次第なんだな」
サジタリウスは屋台を片付けながら、静かに微笑んだ。
「人が自分の幸せに気づけるまでの道のりは、いつも面白いものだ」
そう言うと、彼はまた新たな路地へと姿を消した。
【完】