Happy Birthday
「……はーっ」
雪景色。ほろほろと舞い降りた雪が、広げた手の上に乗る。ひんやりとした冷たさを感じさせた後、水となって消えていく。
寒い。訳ではない。暑い筈もない。
季節は冬。駅のホームのコンクリートは既に白く、人間が歩いて足跡を残す。
私はベンチに座っていた。セーターにジーンズに革ジャケットにマフラーに。普通の格好に見えたらいいが。
雪が、喧騒を消してくれる。
私は、先ほど買ってきた、そして今はベンチの隣に置いた荷物を睨む。
そして、その前に起きた出来事を思い出す。口元がひきつった。
「なーなー、ちょっと頼まれてくれへん?」
「は?」
私の親友とは言いたくもないが、友達となら言ってやろうと思っているやつに、いきなり財布を投げられた。
そいつと出会ってしまう切っ掛けを作った、私の恩人は先ほどから黙ってキッチンに立っておられる。
「パシリお願いな。リスト財布ん中に入ってるから。買いに行くんは……そやな、あの最近できたやろ? コー〇ン」
「遠いだろうが。そこまで行かなくとも。というより何故私が……ぐっ」
いきなり、一緒に食べていた苺を突っ込まれる。
「ゆっくり帰ってきてほしいから。行ってくれるやんな?」
笑顔で言われ、雪空の下、渋々家を出た私だった。
「………」
後で考えてみると怪しい。凄く。ゆっくり帰ってきてほしい。何かある。普通分かる。それに、財布に挟まれていた紙に書かれていたものは、どれも普段必要ないものばかり。あの方も、私がやつに詰め寄られている間に、何も仰らなかった。あの方は普通、何か不条理なことがあれば仲裁に入る。
二人で何を考えているのやら。
まあいい。暇だったし。時間潰せたし。これから帰るところだし。
『一番線に電車が参ります。危険ですから白線の内側までお下がりください』
とりあえずベンチから立つ。
ホームには、ちらほらと数人しか立っていない。今は昼下がりの、少しずつ暗くなっていく時間帯だ。おかしくない。
ただ、何故か、頼りない足取りで白線に歩み寄る少年が気になった。静かに背後から近寄ってみる。
電車が轟音を鳴らしながら、ホームに近づいてきた。
その時だった。
白線より余裕ではみ出していた少年は、いきなり線路に身を投げた。
思わず腕を掴み、引き寄せる。
少年は驚いた顔で、私を見ていた。
「すいません、今の……」
「足を滑らせたようです。そうだろう、坊主?」
近づいてきた駅員に適当な事を言ってごまかし、頭に手を置いて無理矢理頷かせる。
「う、うん……」
「ならば良いんですが……」
駅員がゆっくりと戻って行った。電車のドアが閉まる。
じっ、と少年を睨む。勿論この少年は足を滑らせたわけではない。立派な自殺行為だ。私は元々人相が悪い。かなり、恐ろしい顔になっているはずだ。少年が泣きそうな顔で、一歩下がった。
拳骨を振り下ろす。
「何の真似だ?」
「………」
何も答えない。そうか、と思い当たった。初対面で拳骨を食らって、その相手に自殺の理由を教えるわけがないか。
「坊主、少し時間をもらえないか?」
「ほら」
ベンチに座った彼にアイスクリームを差し出すと、少年は呆気に取られた顔で私を見上げた。
「……フツー真冬にわざわざアイス買いに行く?」
「温痛感覚が無くて悪かったな」
しかしむかつく餓鬼だ。アイスクリームをくわえて自動販売機へと足を踏み出すと、少年に止められた。
「いいよ、行かなくても」
「いや、幼げな少年に説教しかやらないというのは少し酷いと思ってな」
「………」
彼の表情は敢えて見ず、自動販売機に向かう。
「チョコレートは好きか?」
「フツー」
ホットココアを持ってくると、少年は軽く溜め息をついた。
「チョコとココアって似てるけど違うんだよ。知ってた?」
「………」
「ま、買ってくれたんだし、ありがたく頂きます。代金は後で払うから。百十円でしょ」
「いらん」
取り合えず断るが、少年が財布から金額の硬貨を取り出し私に押し付けたところで諦める。しかし一言が多い餓鬼だ。
隣に座る。
「母さんも、知らない人に奢られたら駄目、きっちり代金は支払いなさいよって言ってるし」
「きっちりした母上だな」
私がそう言うと、少年がぷっと笑った。
「さっきから思うんだけどさ、話し方が昔っぽいよね」
「何故笑う」
「なんか、その姿と合ってないというかさー、合ってないもん」
今の私は、十二、三歳ぐらいの少女の姿をしている。
「お前も大概だがな。普通九歳児はそんな口調では話さない」
改めて少年を見つめ直す。黒い髪に黒い瞳、私達が今滞在している国では一般的な色合いだ。背丈はあまり大きいとは言えないが、じきに成長期に入れば伸びるだろう。
服装は裕福なのか、質素だが品の良い物を着ている。いわゆるお坊ちゃん。
しかしだからこそ、何か悩み事があるのかもしれない。
「それはさておき。何故自殺などしようとした?」
「さて、何でだろ?」
「何か悩みでもあるのか?」
「無いよ」
埒があかない。しらみ潰しに、思ったことを聞いてみることにする。
「お前の母親と父親はどんな人なんだ?」
「うーん」
悩みながら、少年がココアに息を吹き込み冷まそうとする。
「お父さんは、セーヤクガイシャってところの社長さんで、お母さんはそのヒショをやってるんだって」
「ほう。金持ちだな」
「ありがとう」
少年が笑ったが、その満面の笑みのどこにも、嬉しさは存在していないように感じた。
「それで?お二人ともどのような方だ?」
「だから、さっきも言ったでしょ」
「そういうことではなく」
自分用に買ってきたココアを一気に飲み干した。喉が焼けるように痛いが、奴に持たされた水を流し込むと、痛みは引いてくる。
「私が聞きたいのは職業ではない。お前の両親の性格とかを聞きたいんだ」
少年の笑顔が曇った。
「…そうだなあ」
ココアの水面に自分の顔を映した彼は、俯いたまま、言葉を続けた。
「お母さんは、優しいし、しっかりしてるし、時々家に帰って元気だったら、料理してくれるんだ。お父さんは……」
少年の声が揺らいだ。
「どうなんだろう」
何も返すことが出来なかった。私は彼の友達ではない。
雪が、冷たい。
「……か」
「え?」
私の呟きを、少年が聞き返す。
「何て?」
「いや。……坊主、お前はお前の父上を、どう思っている?」
「どうとも思ってないよ」
「何故、自殺などしようとした?」
しばし、少年と私が睨み合う。頑張って怖い顔にしようとしているのがよく分かるが、元から人ごみを分けられる、私の顔には太刀打ちできまい。
やがて、少年が視線を逸らした。
「帰りたくなかったんだ。ううん、家にいたくなかった」
「誰もいないからか?」
「いるよ。メイドさんとか掃除する人とか。やけに話しかけてくるし。だから嫌なんだ」
納得した。同時に、苦笑を漏らしかけた。
「ならば、だ。もし彼らがいなければ、どうする?」
「どうするって?」
「広いのか狭いのかは知らんが、家にひとりぼっちの状況で、何をして時間を潰す?」
「ゲーム」
「しかし長時間は出来ないだろうが。他には?」
「……本読む」
「ほう、お前本が好きなのか」
「…………」
少年が睨んでくる。
「当然、時間を持て余すだろう。ひとりぼっちというのは、案外寂しいものだぞ?両親はそれを心配して、理由をつけて人を雇ったのだと思うがな」
きょとんと少年は私を見つめる。
「……え」
「それに、どうせこっそり抜け出して来たのだろう?家の中は大騒ぎだと思うが」
ベンチから立ち上がった。
「家の住所を教えろ、送り届けてやる」
私達は、雪の中を歩く。少年が、慌てて私を止めようとする。
「何で来るんだよ、僕一人で帰るから」
無視。私は暇を持て余しているのだ。
少年が止まった。手をつないでいた私も、自然に止まる。
「……僕」
「あと何里だ?」
強引に被せるように言って、また乱暴に歩き出した。
「里?」
「……言い方を間違えた。何メートルだ」
「知らないよ」
黙々と雪の道を歩く。焼き魚の香りがする。時計を確認した。
突き当たりまできて、少年が手を離した。
「ここだよ」
明かりはついておらず、誰もいない。
「皆いないや」
笑みを浮かべてこちらを向く姿を、見れなかった。
その時である。不意に足音が聞こえ、後ろから少年は抱きつかれた。
「ばかっ!どこに行ってたのっ!」
半泣きの女性がばかばかと言いながら、少年を叩く。
その後ろから、息を切らした人々が現れた。総動員で探していたようだ。
「坊っちゃん!いきなり姿を消されては困ります!ましてや家出など」
唖然と固まる少年は、私の後ろから来た男性に表情を強張らせた。
「どこに行っていた」
「……駅に」
男性は手を上げる。少年はびくりと怯えたが、男性は指で彼の額を小突いた。
「え……」
「全く。ほら、帰るぞ」
使用人の一人が扉を開けて、父親は不馴れなのか少年を連行しようと腕を掴み、母親が怒って注意する。結局肩車で落ち着いたようだ。
私は背を向け、歩き出す。
「と、ねえちゃん!」
「何だ」
振り返ると、少年は笑顔で笑っていた。先ほどとは違う笑みで。
「ありがとう」
母親と父親が頭を下げる。
「ありがとうございます」
「よければうちで……」
「いえ、私も友を待たせていますから」
私の肉親は今誰も生きていない。
けれど、その温もりを、優しさを、嬉しさを知っている。
学のない私には表現することは無理だろうが、それでも、「家族」があれば、それがその中に存在するとは分かっている。
だからこそ、絶対に大丈夫と言い切れた。少年も、もう自殺しないだろう。
使用人が扉を開けたとき、その考えは確信に変わった。
家の中から、ほんのりと、苺とクリームの香りがしていたから。
私達が今拠点としている家に着いた。
さて、黙ってドアを開けてやろうか。
ドアノブを握ると、何故か内側から開いた。中から奴が出てくる。
「おかえり」
にーっと笑うと、彼女は三角椎の物体を取り出し、底を私の方に向けた。
「なん」
パアン!
訳が分からず、頭の上にびらびらの紙切れやらをつけたまま、奴に連行される。
部屋の中では、苦笑した恩人他、知り合いが皆集まっていた。敵を含めてだ。
そして、その全員が先ほどと同じように、三角椎を私に向けている。
「何でお前らが」
パンパンパンパン!
思わず絶句、その間に、全員が叫んだ。
笑みを浮かべて。
「ハッピーバースデーオメデトウ!」
後日談。
「……お前、私の話をちゃんと聞いていたか?」
「聞いてた聞いてた。せやから誕生会やて開けたんやで」
「嘘をつけ!私の誕生日はな…二月だ!勝手に十の位をつけるな!」
「……マジ?」
私の拳が奴を吹き飛ばした。
以上、初めての短編でした。
クリスマス逃したら投稿できないと思い立ちました。だって明日から少し温かくなるって言ってたから!
ほっこりと温かさを感じてもらえたら幸いです。