7 「無理」ではない
パート紹介の後、真琴と治美は倉庫へ向かった。今日はこれから集合時間まで、パート練習をする(ただし、バスパートはそれぞれ楽器が違うため、楽器ごとに練習)という予定なのだ。
しかし、さっきから真琴はぼーっとしていた。パート紹介が終わってからずっとだ。見るに見かねたのか、治美が倉庫の前で、真琴に話しかけてきた。
「真琴ちゃん」
「……はい、何でしょう?」
表情だけでなく、声まで暗い。自分自身がそう思うのだから、治美も心の中で「暗い」と思っていることだろう。
「どうしたの〜? さっきから暗い顔しちゃって!」
ハッキリと言われた。
「うーんと……」
真琴はそれだけ言って、黙ってしまった。そして、視線を治美から空へと移す。
空全体が、灰色の雲に覆われていた。
「ふぅ……」
真琴はため息をつく。パート紹介の事で頭がいっぱいなのだ。
「……まあまあ。とにかく中に入ろうよ。話、聞くから」
治美は一生懸命真琴を取り繕う。
「……はい、わかりました」
いったん会話を切って、二人は扉を開けて倉庫の中に入った。
「……で、どうしたの?そんなにぼーっとして」
折りたたみ式のイスの上にスクールカバンを置きながら、治美は改めて聞き直す。
「……、同級生四人が、ちょっと……」
真琴は、言いづらそうにぼそぼそと応えた。
「四人って、望実ちゃん、永瀬君、鈴木君、藤本君のことだよね?」
「はい、そうです……」
「何か気になる事でもあるの?」
真琴は口を堅く閉めていた。治美も辛抱強く待つ。しばらくしてから、真琴は小さな声で話し始めた。
「……わたし、あの四人とは仲良くなれそうもありません」
真琴の言葉に、治美は首を傾げた。
「何で?」
「そもそもわたし、男子とはあまり話した事無いんです」
「じゃあ、望実ちゃんは?」
「ああいう、気の強そうな子は苦手です」
治美は数秒間黙り、おもむろに口を開いた。
「……最初から、『仲良くなれない』と決めつけちゃ駄目だよ」
「え……?」
今度は真琴が首を傾げる。
「性格が正反対の人の方が、意外と仲良くなるもんだよ!」
「そ、そんなもんですか?」
「そんなもんだよ」
ここで口を挟んだのは、智貴だった。真琴と治美は思わず硬直する。こんなタイミングで倉庫に来るとは思わなかった。
「先輩、いつ帰ってきたんですか!? 扉を開ける音しなかったのに……」
治美が智貴に尋ねる。
「ついさっき。扉は元々開いてた。外から丸見え状態で何の話をしてるかと思ったら……同級生の事か」
智貴が喋っている間、真琴と治美は顔を赤らめていた。扉を閉めていないまま話をして、しかも話の内容を智貴に聞かれていたのだから。
「……とりあえず、楽譜持ってきたぞ」
智貴は二人の雰囲気を察したのか、話題を変えてきた。治美は楽譜に飛びつく。
「これは、『オレンジ』と『Best Friend』ですね! 真琴ちゃんのかな?」
「正解。……はい、これ」
智貴は真琴に二枚の楽譜を渡す。真琴は「ありがとうございます」と言い、楽譜に目を通し始めた。
一枚目は『オレンジ』。これは『SMAP』が歌った曲。だが、真琴はこの曲を知らないため、楽譜を見てもチンプンカンプンだ。
もう一枚の楽譜は『Best Friend』。『Kiroro』が歌った曲である。この曲は真琴も知っているが、見る限り楽譜には2分音符や4分音符が並んでばっかで、別の曲に見える。
「なんか、いまいち解りにくいですね……」
真琴はため息をついた。今日で二回目だ。
「最初はそうかもな。伴奏ばっかだし」
「大丈夫。じきに慣れるよ!」
智貴と治美は苦笑いをしながら言う。
「でも……わたし、やっぱり無理です」
真琴の言葉に、治美は「何が?」と返す。
「だって、まだ基礎も出来ていないのに解らない曲を弾くなんて……」
「無理とか言わない」
智貴がもう一度口を挟んだ。
「確かに、曲を完璧に弾くということは、難しいかもしれない。でも……」
智貴は一回口を閉じる。そして息を深く吸い、今までより力強い声を出した。
「まだ弾いても無いうちから『無理』って言うのは、自分の持っている力を最初から捨てている……ということになる!」
真琴は智貴の言葉に圧倒された。一見クールな智貴がこんなに熱く語るとは、少しも思っていなかったのだ。
そして真琴は、おもむろに「自分の持っている力……」とつぶやく。自分の力なんて、考えた事も無かった。
「そうだよ、真琴ちゃん」
今度は、治美が真琴に語りかける。
「最初から『無理』って言っていたら、出来るものも出来なくなっちゃうよ? それに、最初から弾ける人はいない。これから弾けるようにすればいいんだから! 真琴ちゃんが弾けるようになるまで、あたしと先輩がいっぱい教えるから、心配しない! ね、先輩?」
「うん、俺も、解りやすく教えられるように、頑張るから……」
智貴は真剣な顔をしながら、真琴に言った。
治美と智貴の言葉を聞いた瞬間、真琴の心がじんと暖まった。さらに、目頭が熱くなる。この人たちの言葉は信じていい……と思った。
「……、ありがとう……ございます!」
真琴は芯の通った声で返事をした。
一通り会話が終わった。智貴は弓に茶色の松ヤニ(いわゆる『樹脂』)を付けている。治美はコントラバスをソフトケースから出していた。真琴はコントラバスの出し方を覚えようとしている。 治美を見ているうちに思い出した。数十分前に相談していた、「同級生四人」の事である。
「……そういえば!」
真琴が不意に声を上げたので、智貴と治美は目を丸くした。
「最初から『無理』だと言わない事……それって、コントラバスの練習以外にも言えますよね?」
智貴と治美はキョトンとしつつも、「もちろん」と返した。
「じゃあそれは……人付き合いにも言える」
真琴はそうつぶやいてすぐに目を閉じ、考えにふけった。
(わたしは、人付き合いに対しては『無理』だと言ってばっかだった)
特に、男の子全般と気の強い女の子に関しては、「絶対に仲良くなれない」と決めつけていた。
(でも、それってただ逃げていただけだったのかも)
傷付くのを恐れて、自分から人を遠ざけていた部分があった。そのおかげで、小学、中学ともに友達は少なかった。
(仲良くなるのは無理だと決めつけるのは、もう止めよう)
現に、中学時代はあまり縁の無かった「先輩」とも、いつの間にか打ち解けている。仲良くなるのは絶対に無理ということは、無いのだ。
自分から、挨拶だけでもしてみようか。少しの勇気が、何かを変えるかもしれないのだから。真琴の考えが変わる瞬間だった。
(……よし!)
真琴はパッと目を見開いた。智貴と治美は再び目を丸くする。
「先輩、ちょっと外に出てきます!」
二人の返事を聞かないうちに扉を開け、外に出た。
息を大きく吸い、吐き出す。そして、空を見上げる。
曇り空の隙間に、青を見つけた。