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ブルーの低音  作者: 綾野 琴子
第1章 出会い
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5 部長と楽器と初心者と

 仮入部から一週間が立った月曜日の放課後。真琴は二階建ての、全体的に白い外観をした建物の前に立っていた。

「ここが、虹館にじかん……」

 思わずつぶやく。虹館には初めて来たが、そこは真琴が思っていたよりも立派な建物だった。

 虹館は多目的ホールだ。吹奏楽部の活動の他に、学年集会や会議にも使われる建物である。だから、ある程度綺麗なのかもしれない。

 真琴はそんな風に考えながら、おずおずと虹館の中に入っていった。

 今日は部集会の日だ。新入生はそれぞれ、自分の入りたい部の集合場所へ行き、顧問や先輩達と顔合わせをする。そして、新入生は正式に入部を許されるのだ。

 吹奏楽部の集合場所は、虹館である。だから、真琴は虹館へとやって来た。

「うわっ……」

 中に入って、真っ先に真琴の目に入ったのは、溢れそうなほど沢山の人であった。

 真琴は、人混みの中にいると疲労してしまう。しかし、今は「疲れる」などと言っている場合ではなかった。

(いちいち疲れるなんて言ってたら、吹奏楽部には入れないもんね)

 真琴は、人数が多い部だと知っててなお、吹奏楽部を志望した。何故そんなに吹奏楽部に入りたいのだろうかとも思ったが、帰宅部や、他の少人数の部に入る事は考えられなかった。

「一年生は、ここに並んでください!」

 女の人の声。真琴は急いで茶色のローファーを脱ぎ、青色のスリッパに履き替える。そして、そのまま「多目的ホール」のプレートが貼ってある部屋に直行した。

 中に入った後は、「1-3」と書いてある紙を持った人の所へ並び、座った。周りを見渡す。自分以外の一年生は落ち着いて座っていた。

(皆、吹奏楽経験者なのかな……)

 真琴には、誰もが吹奏楽経験者に見えた。


 真琴が座ってから十分後、部集会が始まった。先程まで一年生の指導をしていた長髪の女の人が、澄んだ声で話し始める。

「一年生のみなさん、こんにちは! 私は副部長の河合かわい 美雪みゆきです。楽器は、フルートを吹いています。今日は、私が司会者を務めます。よろしくお願いしますね」

 大きな拍手が起きる。真琴は拍手をしながら、美雪をじーっと見ていた。長い髪の毛だ。入学式に出会った女の人に、少し似ているような気がする。

「最初は、部長の話です。では、よろしくお願いします」

 しかし、数秒待っても部長が現れない。美雪は「あれっ?」と言いながら部長を目で探す。二・三年生も「さっきまではいたのに……」などとつぶやいて周りを見渡した。一年生も、一体何が起きたのかと騒ぎ始める。

 騒ぎから一分後。真琴の右側からドアを開く大きな音がした。

「すっかり遅れちゃった……ごめん!」

 謝りながら美雪の所に歩いてきた男の人は、真琴の知っている人だった。

「えっ、うそ……」

 真琴のつぶやきは、周りの一年生の「やけにデカいね、あの人」という話し声にかき消される。

 男の人は部員達の前に歩み寄って「静かに!」と声を上げた。一瞬で話し声が聞こえなくなる。男の人は部員達を見回した後、口を開いた。

明仁あきひと先生の呼び出しがあって、話し合いが予想以上に長くなっちゃって……本当にすみませんでした! 僕は、石田いしだ 和樹かずきといいます。打楽器担当で、これでも部長です。よろしくお願いします」

 真琴は開いた口がふさがらなかった。仮入部の時、真琴を色々な楽器の所へ案内してくれた人が、まさか部長だったとは思いもしなかったからだ。


 一時間後、「では、これで部集会を終わります」と、美雪の声が響きわたった。

 最初はちょっとした騒ぎもあったが、部集会は無事に終了した。部長である和樹が続けて指示を出す。

「二・三年生は練習に行ってください。あと、一年生はそのまま残ってください!」

 真琴は、(なんで残るんだろう?)と疑問に思った。その間にも、二・三年生達は次々に外へと出て行く。治美と智貴の姿が見えた気がした。

「……よし。上級生は出て行ったな。じゃあ、始めようか」

 真琴は(何を始めるんだろう?)と思いながら和樹を見つめた。

「これから、楽器決めにおけるアンケートを行います。美雪、用紙を」

 美雪は和樹から用紙を半分受け取り、一組の方から順番に配り始めた。和樹は七組の方から配り始める。

 真琴は前にいる女の子から用紙を受け取り、その紙を素早く見た。用紙には「希望楽器アンケート」と、大きな字で書かれている。

「皆さんには、氏名と中学校名と今までに経験した事のある楽器、あと第一志望から第三志望までの楽器を書いてもらいます」

 美雪がそう話した途端に、一年生の緊張感が一気に増した。

「時間は十分程取ります。では、始め!」

 和樹が言い終わった後、一年生はカバンから筆箱を取り出しておもむろに書き始めた。

 真琴はまず名前と中学校名を書いた。そして、「経験した事のある楽器」の欄に、気後れしながらも「なし」と入れた。

(他の人は何かしら経験しているんだろうな……。高校から始める人って、わたしの他にいるのかな)

 真琴が思いめぐらしていた時、少女の声が真琴の耳に入ってきた。

「ねぇねぇ」

 頭を上げる。真琴に紙を回していた少女が、柔和な表情をしながら話しかけてきた。

「楽器、どれにするの~? わたし、何も経験してないから、どうしようか迷ってるんだよね」

 柔らかい物言い。この女の子の声は、どこか人を安心させる所がある。案の定、真琴の緊張も薄らいでいった。

 そして、女の子の持っている紙をちらっと見てみる。「経験した事のある楽器」の欄には、真琴と同じく「なし」と書いてあった。

 真琴は他の一年生は皆経験者だと思い、気後れしていた。だが、確かに自分と同じような人がいる。その事を知って、少しだけ安堵した。

「……わたしは、コントラバスを弾きたいんだ」

 真琴は静かに微笑んだ。


 アンケート用紙を回収した後は、各自好きな楽器を見学するということになった。真琴はもちろん、コントラバスの所へ行くつもりだ。

 靴を履き替え、玄関から外に出ると、オレンジの光が真琴を照らした。

 虹館の角を左に曲がり、そのまままっすぐ歩くと倉庫に着く。真琴は早く行こうと思い、左をくるっと向いた。

「あ……」

 左を向いたその先に、仮入部の日にお世話になった背の高い男の人、石田和樹がいた。和樹と目が合う。

「よっ」

 和樹は優しい笑顔を真琴に向けて話しかけてきた。真琴は緊張しながらも、和樹の元まで駆け寄る。

「あっ、あの……この間は、ありがとうございました!」

 顔を赤らめながらお礼を言う。仮入部のときは、満足に「ありがとう」と言えなかったからだ。

「どういたしまして」

 和樹は優しい笑顔のまま応えた。そのまましばらく沈黙する。

「……君は、どの楽器を第一志望にしたの?」

 ふいに和樹が聞いてきた。

「コントラバスです」

「そっか! 原っち、喜ぶだろうなぁ」

 和樹は声を弾ませる。

「……でも」

「でも?」

「わたし、初心者だし、先輩達に迷惑じゃないかな……って」

 真琴は、その事が気がかりだった。虹西高校の吹奏楽部は、吹奏楽経験者がほとんどだと、香奈から聞いていた。初心者が入ったとしても、演奏についていけないのではないかと、とにかく不安に思っていた。

 和樹はきょとんとした表情をする。それから、真剣な表情になって真琴に語りかけた。

「迷惑なんかじゃないよ。むしろ、入ってきてくれてすごく嬉しい」

「……本当ですか?」

「本当だよ」

 和樹は応えた後、笑顔になる。

「僕も、高校から吹奏楽を始めたんだ」

 真琴は目をぱちくりとさせた。自分と同じ人がここにいるとは。

「そんな僕が、今は部長を任されている」

 真琴は、初心者が部長をする事もあるのかと、とにかく驚いていた。

「経験者だろうと初心者だろうと、関係ないんだよ。これから頑張って、経験者に追いつけばいいんだから」

 目からウロコが落ちた気分だ。そんな考えは思い付きもしなかった。今まで真琴の中にあった灰色の思い塊が、すっと消えたような気がした。

「……そうですね。わたし、頑張ります! 先輩、ありがとうございました!」

 真琴に笑顔が戻った。和樹はにっと笑いながら、「どういたしまして」と返す。

「わたし、倉庫に行きます。では、さようなら!」

 真琴は深々と礼をした。それから、くるりと左に曲がり、倉庫に向かって勢いよく走り出す。

 和樹は、真琴を微笑みながら見送った。

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