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ブルーの低音  作者: 綾野 琴子
第1章 出会い
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4 惹かれる低音

 二人が弾き出した瞬間、真琴は何の曲を演奏しているのか解った。

(第九だ……)

 そう、今二人が弾いているのは、ベートーヴェン作曲『交響曲第九番 四楽章』の有名な部分である。

 智貴が堂々とメロディーを弾く。治美は、目立ちすぎず、堅実な伴奏をする。オーケストラのような輝かしさは無い。しかし、この演奏には、オーケストラとはまた違った魅力があった。どこか牧歌的な感じのするコントラバス二重奏を聞いて、真琴は思う。

(……この音、好きかもしれない)

 深く、落ち着いた低音だ。それでいて、どこか暖かい音色。今まで聴いてきた打楽器、管楽器とは、また別の響きがする。

 しばらくして、演奏が終わった。その時、智貴と治美が満足そうな表情をするのを、真琴は見逃さなかった。

「どうだった? コントラバスの音は」

 智貴が真琴に尋ねる。

「……素晴らしかったです。弦の音が、本当に綺麗で。とにかく、すごかったです!」

「……ありがとう」

 智貴は照れくさそうに言った。少しだけ頬を赤らめている。どうやら嬉しいようだ。

「ねぇねぇ」

 二人の会話を聞いていた治美が、突然真琴に話しかけてきた。

「真琴ちゃんも、コントラバス弾いてみない? まだ、少し時間があるし」

「ええ!?」

 治美が急に提案したので、真琴は戸惑う。

「おっ、それはいいな」

 智貴もその提案に賛同した。真琴は困惑する。

「そんな、わたしには無理ですよ」

「大丈夫だよ! それに、『百聞は一見にしかず』。どうせなら弾いていこうよ〜」

「そのことわざ、意味的には合ってるけど、なんとなく違う気が……。でも、確かにそうだな。聴くだけと実際に弾いてみるのとでは、全く違うし」

 治美と智貴は、かなり乗り気のようだ。

(どうしようかな……)

 真琴はしばらく考える。すると、暖かく落ち着いた低音と、智貴と治美の満足そうな表情が、頭の中にはっきりと浮かんできた。自然と言葉が出る。

「……わかりました。せっかくだし、弾かせてもらいます」

 真琴の返事を聞いて、智貴と治美は笑顔になった。


「……よし! 持ち方はそれで大丈夫だよ。なるべく、この体型を保っててね!」

「はっ、はい」

 治美に最初教えてもらった事は、コントラバスの構え方であった。

 真琴は今、慣れない手つきでコントラバスを持ち、体の左側で必死に支えている。何か違和感がある。慣れるまで時間がかかりそうだ。

「じゃあ、次は弓の持ち方だな」と、智貴が提案する。

 弓という言葉を、真琴は不思議に思った。弓といったら、弓道で使うものというイメージしか思い浮かばない。

「ヴァイオリン属は、少し曲がっている木の棒みたいなのを持って弾いているんだけど、それを弓と呼んでいるんだ」

 智貴はそう説明した後、弓というものを持ってきた。白い毛がたくさん張られている。

「この白い毛は何だろう……とか思わなかったか?」

 図星だった。

「これは、『馬の尻尾』の毛なんだ」

「うそ……馬!?」

 真琴は目を丸くした。馬の尻尾で弦を弾いているとは、考えもしなかったからだ。

「まあ、最初は驚くだろうね〜。じゃあ、弓の持ち方教えるよ」

 治美は、まるで鉛筆を持つかのように、弓を下から支えた。

「あれ?」

 治美の弓の持ち方を見て、真琴は疑問に思う。それに反応し、智貴が尋ねた。

「どうした?」

「テレビで見た事があるんですけど……ヴァイオリンって、手の甲を前にして弓を持っているんじゃ……?」

 真琴は(左手にはコントラバスを持っているため)、右手だけでヴァイオリンを弾く真似をした。

「よく知っているじゃないか。確かにヴァイオリンはそういう持ち方だ。同じ持ち方をしているコントラバス奏者もいるけどな」

「でも日本では、手の甲を裏返して、弓を下から支えるようにして持つコントラバス奏者が多いんだよ!」

 智貴と治美が交互に答える。真琴はその説明に納得した。

「はい、よく解りました!」

「なら、良かった」

 智貴は安堵の表情を浮かべている。

「じゃあ、実際に持ってみよう!」

 治美が本題に戻し、レッスンが再開された。


 弓の持ち方を教わってから数分後。治美が提案した。

「うん、こんなもんかな〜。そろそろ弾いてみようか」

「はっ、はい……」

 ついに、コントラバスを弾く。意識した途端、真琴は緊張してきた。

「弦と弓が垂直になるように弾くんだ」

 智貴が弾いて見本を見せた。綺麗なレの音。真琴はそれを見た後、何度か治美に指摘されながら、おずおずと弦を弾いてみた。弓を先の方まで滑らせる。

 ――不安定な音だ。音が大きくなったり小さくなったり。だが、確かに弦は震えている。真琴はその事に感動を覚えた。

 しばらく練習していたら、弾き方にもだんだん慣れてきた。今度は、思い切って今までよりも強く弾いてみる。

 その瞬間、弦の振動が真琴の腹の中まで伝わった。さらに、倉庫の中に置いてあった小太鼓(多分スネアドラムという名前だろう)が一緒に振動し始めた。

(うわぁ……すごい!)

 真琴は鳥肌が立つのを感じた。

 レの音が、倉庫の中を隅々まで満たしていく。何故かはわからないが、何となく居心地の良さを感じた。

 弓を弦から離した後、音は何秒間か響いて、少しずつ、静かに消えていった。三人は黙って音を聴く。しばらくして、真琴が誰にも聞こえないような音量で、そっとつぶやいた。

「うん……!」


 十分後。一年生は見学終了の時間が迫っていたため、真琴は帰る事にした。倉庫から出る。辺りを見渡すと、暗くなり始めた空とうっすらと出ている月が目に映った。

「……今日は、ありがとうございました!」

「いや、こちらこそ……色々ありがとう」

 倉庫の前で真琴と智貴が、お互いに感謝の言葉を口にする。何故智貴が「ありがとう」と言ったのか、真琴にはよく解らなかったのだが。

「真琴ちゃーん!」

 治美は合奏の準備を終えたらしく、倉庫に向かって軽く走りながら真琴を呼んだ。そして、倉庫に着いて呼吸を整えた後、真琴の目を見た。

「もし良かったら、また来て欲しいな……。真琴ちゃんならいつでも大歓迎だよ」

「……オレも」

 智貴もつぶやいた。二人とも、ただの勧誘のつもりで言っているようには聞こえなかった。

「そうですね……」

 真琴は既に、意志を固めている。

「明日からも、ここに来ます」

 真琴の言葉を聞いて、智貴と治美は「えっ?」と同時に言いながら互いに顔を見合わせた。

「あの楽器を、一回弾いただけで終わりにしたくないんです」

 初めて弾いた時から、いや、初めて音を聴いた時から、コントラバスに何かを感じていた。それは、他の楽器には感じなかったものだった。

「……本当に!?」

 治美は一気に喜びの表情へ変わっていった。智貴は何も言わないが、目元の表情から、治美と同じように嬉しいのだとわかる。

「はい、行きます。だから、これからもよろしくお願いします、先輩」

 真琴は空を見上げた。つられて、智貴と治美も顔を上げる。

 三人の目に映った三日月は優しい光を出し、辺りを照らしていた。

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