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ブルーの低音  作者: 綾野 琴子
第4章 波乱
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9 落ち込んで、乗り越えて(後)

 放課後。昼飯を三人で食べた後、香奈は「途中まで一緒に行こう」、恵は「部活行こうよ」と、真琴を誘った。真琴は、「用事があるから」と断る。教室で真琴達は別れ、香奈と恵は先に行った。

 二人の姿が見えなくなったのを確認した後、真琴もゆっくりと歩き出した。南館四階から一階へと続く階段を降りていく。

 本当は、予定など何も入っていなかった。嘘をついていた。真琴は階段を降りながら、(二人とも、ごめん)と、心の中で呟く。自分の顔の眉が下がっている事を感じた。

 二階まで降りた時、外から、一際大きい数十人の返事が聞こえてきた。聞き慣れた声に、心が引き摺られるような、後ろめたい気持ちになる。それでもつい気になってしまい、自然と、北館と南館を結ぶ渡り廊下の窓へと向かった。

 窓から外を覗くと、相変わらず古びた吹奏楽部の部室が見える。更に、視線を下に移した。何故あるのか分からないと評判の庭園が目に写る。庭園の側には、大きい返事の元である、吹奏楽部員が大勢集まっていた。綺麗に並んでいる部員達の前には、部長の理沙子が立っていて、話をしているようだ。真琴が居る所からは、理沙子が何を話しているか分からない。

 真琴は部員達を見て、もう、部活が始まる時間なのかと、おぼろ気に思う。いつの間にか、足がその場に留まっていた。

 部長である理沙子の話が終わったのだろう。副部長の湊太がどこからか号令を掛ける。部員達は気合いを入れるように返事をした後、それぞれ別々の方向へと歩き出した。その光景を見て、真琴は一層、憂鬱な気分になった。

(部活、どうしよう)

 漠然と考える。本来なら、恵と一緒に行き、部活に出るべきだったという事は分かっていた。だが、恵に誘われた時、考えるより先に口が動き、誘いを断っていた。

 今は、鉛が背中に乗っているように身体が重いと感じている。何となく、出たくない。こんな思いが、真琴の頭を掠めた。遅れてでも部活に行くとは考えられず、だからといって帰る気にもなれず、ただ、その場に佇んでいた。


 どの位時間が経ったか分からない。目に写っているもののどれにも焦点を合わさずに、外をぼんやりと見ていると、男性の野太い声が耳に入ってきた。

「相原、か? どうした、こんな所でぼーっとして」

 真琴は、声が聞こえた左後ろの方へと振り向く。するとそこには、吹奏楽部の顧問である、明仁が立っていた。

「あ……メイジン……」

「そのニックネーム、相原から聞くのは初めてだな」

 明仁は目を丸くしている。真琴は、一瞬きょとんと首を傾げたが、すぐ後に、二ックネームで明仁を呼んでいた事に気付いた。しまった、と心の中で叫ぶ。

「すみません、つい……」

 和樹や智貴、治美等の先輩部員は、明仁を「メイジン」と呼んでいた。先輩部員を見てきた真琴も、次第に心の中でメイジンと呼ぶようになっていた。それが今回、本人の前で口に出てしまった。

「いや、いい。今まで沢山呼ばれてきて、いい加減慣れたからな」

 満更でもなさそうな明仁の照れ顔に、真琴は安心したようなため息をついた。明仁は真琴をもう一度見て、「話は変わるが」と、話題を変えてきた。

「なんですか?」

「相原、何かあったのか?」

 心臓が飛び上がった気がした。何か言おうとしたが声が出ず、口をもごもごさせる。

 明仁が、続けて言った。

「いや、いつも真面目に部活に出ている相原が、こんな時間になってもまだここにいるのが、珍しいと思ってな。それに相原、テストが終わった後も、なんか神妙な顔をしていたからなー」

 真琴は明仁の話を聞いて、意外な所で人に見られているものなのかと、目を見張った。

「そうです……ね。確かに、ちょっと、あります」

「……もし良かったら、俺に話してくれないか? 話す事で楽になれる事もあるぞ」

 真琴は何も言えず、唇を噛んだ。自分の胸の内を話すのは勇気がいるし、抵抗も感じる。一方で、自分の気持ちを吐き出したら気が楽になると言うことも、前回の経験で分かっていた。話すか話さないか、頭を悩ませる。

 真琴が黙り込んでからしばらくして、明仁が「嫌だったら、無理に話さなくていいぞ」と諭した。真琴は、直ぐ様明仁を見る。明仁の真摯な態度を感じ取ると、意を決して、「いえ」と返した。

「やっぱり……話し、ます。本当に、下らない事ですけど……」

「何を話してもいいんだ。後、焦って話さなくていいからな。ゆっくりでいいぞ」

 明仁の言葉を受けて、真琴は言葉を選びながら、少しずつ話し始めた。

「実は……今回のテスト、失敗したんです」

 黙って頷く明仁。さらに、真琴は話す。

「わたし、何故か定期テストの事を忘れてて。気付いたの、一週間前だったんです。それから、慌ててテスト勉強を始めたんですけど……上手く、いかなくて」

 明仁は、真琴の話を聞きながら、相槌を打つ。別々の音を吹いている楽器の、混沌とした音が、真琴が立っている所にまで届いた。

「何とか頑張って勉強しようとしたんですけど、思ったより範囲広くて、とてもやりきれなくて……。苦手教科はお手上げでした」

「なるほどな」

「中学の頃は、苦手科目もそれなりに出来てたんですけど、今回は全く解らなくて、頭真っ白になって……絶対、中学より成績悪くなったから……なんか、ショック受けちゃって」

「で、衝撃の余り部活まで休んでしまったと」

 真琴は、明仁から目を逸らし、小さく頷いた。

「そうか……」

 明仁は手を口に当て、考える素振りを見せる。それから、真琴に視線を向けて、口を開いた。

「俺の勝手な考えだが……相原が部活を休んだのは、テストが上手くいかなかったという理由だけではないんじゃないか?」

 真琴の心臓が、再び音を立てた。

「相原は、いつも楽しそうに部活に出ているからな。普段の相原なら、テストがちょっと出来なかったからと言って、部活まで休むような事はしないと、俺は思うんだ」

 心臓の音が大きくなっていく。冷や汗まで出てきた。

「もしかして、相原は部活についても、何か悩みを抱えているんじゃないかと思ったんだが……どうだ?」

 真琴は何も言えず、また、明仁と目を合わせられなかった。今、明仁の目を見たら、真琴の考えている事の全てを見透かされそうな気がしたからだ。

 明仁は、真琴の不自然な態度から、自分の言った事が合っていると分かったのだろう。再び「そうか」と言った。だが、それ以上は真琴に何も訊ねようとしなかった。

 真琴はてっきり、色々訊かれると思っていたので、明仁がそのまま黙りこんだのを「あれ?」と感じた。びくびくしながらも、明仁に目をやる。明仁は優しい瞳で、ただ窓の向こうの景色を眺めていた。

 何となく安心感を感じて、真琴も外を見ようとする。その時、不意に聞こえてきた弦の響きで、真琴の動きが止まった。

「この音は……先輩?」

「田中だな。倉庫の中が暑いから、日影のある場所に移動したんだろう」

 真琴の呟きに、明仁が外を見たまま答えた。

 治美は、しばらくチューニングをしているようだった。それが終わると、次に音階の練習を始めたようで、シのフラット、ド、レ……とまっすぐ音を伸ばしていく。

(オーディションの時、音階を弾くのも上手くいかなかったなあ)

 思わずため息をついてしまう。一方、明仁も治美の音を聞いて、何か思う事があるかのように唸った。

 治美は、いつもよりも早く音階練習を終えると、今度はコンクールの自由曲を練習し始めた。真琴はいち速く曲に反応し、口を開く。

「わたしもこの曲、弾きたかったな……」

 声に出した後で、はっと気が付いた。つい、本音を口にしてしまった。恐る恐る、明仁の方を向く。明仁は目をぱちぱちさせながら、真琴を見つめていた。

「いや……! あの、何でもないです! 吹コンメンバーじゃないのに、こんな事言うなんて、その」

 慌てて弁解しようとするが、頭が混乱しているせいで、言葉がしどろもどろになる。

「そもそも、わたし下手ですし! どっちにしろ、弾けないし……」

 ここまで言った所で、真琴の目から涙が流れ出た。

「あ、あれ」

 何で涙が出るのだろう。そう考えている真琴の前に、ポケットティッシュが出てきた。

「ほら、これで涙を吹け」

 明仁が、ティッシュを真琴に渡してきた。その瞬間、定期演奏会で智貴が、泣いている真琴にハンカチを渡した事を思い出す。涙が、余計に出た。


 ティッシュで涙を吹いて、気持ちが落ち着くと、真琴はやっと、話を聞いてもらいたいと思った。覚悟を決めて、話を始める。

「多分わたし……悔しいんだと、思います」

 明仁は、静かに相づちを打つ。真琴はそれを見て、さらに続けた。

「オーディション、緊張して、全く上手く弾けなくて。いや、ちゃんと弾いてたとしても、今の実力じゃあメンバーになれないとは思ってましたけど」

 言いながら苦笑いをする。実際に口に出すと、改めて悲しさと悔しさを感じた。

「テストも、思ったより出来なかった事もあって、気分が落ち込んじゃって……。部活に行ってもどうせ練習する曲ないしって思ったら行く気が起きなくて……サボっちゃいました」

 無理やり笑おうとしてみたが、あまりにも元気のない笑い声になってしまった。真琴はそのまま黙り込む。すると、今まで真琴の話を聞いていた明仁が、口を開いた。

「前々から思っていたけど、相原は一生懸命、部活や勉強に取り組んでるんだな」

「え……?」

 真琴は、思ってもみなかった明仁の言葉に驚いた。

「だって今、相原はすごく悔しいと思っているだろう? テキトーに物事に取り組んでいる奴は、そんなに悔しいとは思わない」

「……そうですか?」

「そうだ」

 明仁は、真琴の目をしっかり見て肯定する。

「真剣にやっていたから、オーディションや今回のテストで結果が出せなかった事に対して悔しいんだろう。そう思うのは、良い事なんだぞ? 悔しいから、次はもっとこうしてみよう、とか思えるんじゃないか」

 明仁の前向きな発言には、まさに目から鱗が落ちる思いをした。

「俺が思うにな……相原は、物事を悪い方に考え過ぎなんじゃないか? で、そのせいで落ち込む」

 何となく、耳が痛い気がした。自分も、心の中では分かっているのだ。

「落ち込む事自体は悪い事じゃない。失敗をして落ち込んで、それを乗り越えるから人は成長する。でも、事態を悪い方に考えると、負の感情のスパイラルからどんどん抜け出せなくなる」

「確かに……そうですね」

 心当たりならいくつもある。特に、オーディションの日からは、気分が良かった時が数える程しか無かった。

「何かで上手くいかなかった時、落ち込むのは仕方ない。そんな時はちょっと休め。明日からまた頑張ればいいってな。で、次の日には失敗した事で落ち込むのは止めて、前に進めばいいんだ」

 歯を見せながら笑顔で語る明仁。めったに見ない顔だった。その笑顔につられて、真琴も思わず口角を上げる。今まで感じていた、霧のようなもやもやが晴れた気がした。

「そうだ、ついでに言っておくぞ。何か勘違いしているようだが、吹コンメンバーじゃない奴らだって、練習する曲が無い訳じゃないぞー」

「え?」

「確か今日、楽譜が配られているはずだが……。まあ、相原は、今日はゆっくり休んでいった方がいい」

 真琴は少しだけ考える。結論はすぐに出た。

「今からでも、部活に出ます」

 明仁は、明らかに驚いたような顔をした。

「いいのか、休まなくて」

「先生の話を聞いたら、なんかすっきりしました! だから、わたしはもう大丈夫です」

 言い終わった後に、自分が自然に笑う事が出来ているのに気付いた。

「それに、先輩の音や練習の仕方がいつもと違うので、いい加減行かないと」

「ああ……きっと相原の事を心配しているんだろう。それなら、行ってこい」

 真琴は張りのある声で返事をする。それから、明仁に向かってお辞儀をした。

「忙しいのに、わたしに付き合ってくれてありがとうございました。じゃあ、失礼します」

 明仁は「ああ、頑張れよ」と、真琴の背中を押す。真琴は嬉しくなり、もう一度お辞儀をした。

 カバンを持って階段の方を振り向き、駆け足で走り出す。明仁が優しく見つめているのを背中で感じながら、弾むように階段を降りていった。


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