3 灰色の帰り道にて
望実に「最近、元気無いじゃん?」と言われたのは、オーディションから数日後、部活が終わり、二人で帰っている時の事だった。
「え? ……そう?」
目を丸くしながら、望実を見る。視界の隅に映る空は灰色で、太陽は全く見えない。
「絶対元気ない! 何かあったんでしょ?」
望実は、大きなつり目をまっすぐ真琴に向けた。真琴は、思わずどきりとする。精一杯いつも通りに振る舞っているつもりだっただけに、望実に見抜かれて、驚きを隠せなかった。
目をぱちぱちさせ、口をぽかんと開ける真琴に対し、望実は苦笑いしながら「まったく」と口を開き、続けて言った。
「だって真琴、顔に気持ちが出てるんだもん! 誰でも分かっちゃうよ!」
真琴は、顔が赤く染まるのを感じた。そして、自分はやはり気持ちが顔に出てしまうのだと、改めて思い知らされた気がした。もし、「何にもないよ」と嘘をついたとしてもきっとごまかせないだろうと、真琴は考えた。
「実は……この前のオーディションの事で」
「オーディション? ……あぁ、吹コンの奴ね」
望実は眉間にしわを寄せた。
「うん。それで、わたし、大失敗しちゃって……。たぶん、今年はコンクール出られないだろうなって」
望実は腕を組み、何かを考えているかのように黙り込んだ。それから、一気に話し出す。
「まぁ、特に気にしなくてもいいじゃん? 最初は失敗なんてたくさんあるもんだし! 来年だってあるし!」
一端言葉を切った後、望実は再び眉間にしわを寄せ、ぼそりとつぶやいた。
「それに、吹コンはそんなに……」
「え? 何て?」
望実の言った事がよく聞き取れなかった真琴は、もう一度聞き返す。しかし、望実は「何でもない!」と首を横に振るので、何を言おうとしていたのか、結局分からずじまいだった。
「話、変えよ! あたし、ずっと気になってた事があるんだよね~」
真琴は、いきなり話題を変えようとする望実に違和感を感じつつも、話を蒸し返さない方が良いような気がしていた。素直に「何?」と、望実に話を合わせる。
「引退した和樹先輩と美雪先輩。何で付き合ってないんだろうって、いっつも思うんだよね!」
真琴は思わず、目を見開いた。しばらく声にならなかったが、やっとの思いで「……付き合う?」と声を絞り出す。
「そう! 二人の事は、部の間ですごい噂になってるよ。真琴、知らなかったの?」
「先輩達、仲良いなあとは思ってたけど……」
「真琴、鈍感すぎ!」
望実は笑いながら指摘した。さらに、話を続ける。
「二人なら、佐野先輩と朝倉先輩みたいに、良い感じのカップルになれると思うのになぁ」
「あの、七海高校の? 先輩達も付き合ってたんだ……」
「いやぁ、あれは誰でも分かるでしょ。真琴、どんだけ鈍いの……」
定期演奏会で出会った時の事を思い返してみると、翔と陽乃は常に隣にいた。そして、時々お互いの顔を見ては、楽しそうに笑い合っていた。
「きっと、お互いにとって、すごく大事な人なんだろうね」
真琴の言葉に望実は頷き、「先輩達、すごく幸せそうだったもん」と、微笑みながら口にした。
それからしばらく、真琴と望実は翔と陽乃達、七海高校の事を話す。「また、会いたいね」と、翔達を思いながら二人で言い合った。
空は、暗闇に変わろうとしていた。
帰宅して、夕飯を食べた後。真琴は、自分の部屋のベッドに寝転がりながら小説を読んでいた。
物語はまさに、最高潮を迎えようとしていた。真琴は、胸が高鳴るのを感じながら、次のページを開こうとする。しかし、タイミング悪く、母の裕美が一階から真琴を呼んだ。
「真琴〜! お風呂に入っちゃいなさい!」
真琴は裕美の声に一瞬、顔を歪める。物語が盛り上がる時に読む事を止めるのは、嫌な気分である。だから、全く風呂に入る気分では無かった。だが、今入らなければ、裕美と父の真一郎に迷惑をかける……と、真琴は考えた。
「はぁい」
ベッドから起き上がると同時に、一階に聞こえるように返事をした。重い腰を上げて立ち、本にしおりを挿んでベッドの上に置く。本の代わりに、テーブルに置いてあったお茶を持ち、部屋を出てリビングに向かう。
リビングに入ると同時に、テレビから女性キャスターの声が響いた。ちょうど、神奈川県の地元のニュースを放送している様だった。
「こんばんは。神奈川845です」
午後八時四十五分という事を表す数字。真琴は、もうこんな時間かと思いながらお茶を飲む。早く飲み干して、台所で洗い物している裕美にコップを渡さなきゃと考えていた。
飲み終わって、台所と浴室へ向かおうと足を動かした時、女性キャスターの言葉が真琴の耳に入ってきた。
「まず、神奈川県七海市で起きた工事現場での事故の速報です」
「七海市……」
すぐに、七海高校の吹奏楽部員を思い浮かべた。思わず、テレビの前まで戻る。普段なら、ニュースを見ずに浴室に行く所だが、今日は、何となくニュースを見なきゃいけないような気がしていた。
「午後七時五十分ごろ、神奈川県七海市津上町の軍功橋付近の工事現場で、積み上げられていた土砂が崩落し、男子高校生1名が土砂の下敷きになったとの情報が入っております」
男子高校生。その単語を聞いて、先程望実との話で話題に上っていた、翔の顔が頭に浮かんだ。
「男子高校生はすぐにそばにいた友人や通行人に救助されましたが、心肺停止の重体ということです。年齢やお名前はまだ情報が入っておらず……」
そこまで話した所で、女性キャスターが手を止めた。
「たったいま、情報が入りました」
真琴の心臓が、突然大きな音を発した。さらに、頭の中で、黒いもやもやとした物が渦巻く。
テロップが流れると同時に、女性キャスターが、真琴がよく知っている名前を読み上げた。
「高校生のお名前は、サノ カケルさん。十七歳です」
真琴は、頭の中が一気に白くなるのを感じた。呆然として、テレビをずっと見つめる。もしかしたら聞き間違い、人違いかもしれないとも考えたが、何度見直しても、テロップには「佐野 翔」の字が流れていた。
「真琴。まだお風呂に入ってないの?」
洗い物が終わったらしく、裕美が眉を潜めながらリビングにやって来た。そして、真琴の左手に握ってあるコップを見る。
「あっ、まだコップが残っていたの? もう、お母さんが洗ってる時に早く渡しなさい……って、あれ。高校生が事故……?」
裕美がテレビに目を向けた瞬間、真琴はコップを裕美の手に押し付け、二階に向かって走り出した。
「真琴! どうしたの!?」
目を丸くして叫ぶ裕美を見ずに、真琴は自分の部屋に入り、ドアを思い切り閉めた。