1 新部長、新副部長、吹奏楽コンクール
虹館の多目的ホールにて。一番奥にある黒板の前に、ポニーテールの髪型をした柔らかい茶髪の少女と、つぶらな瞳をした少年が立っている。部員達は、パートごと縦に並んで座っていた。
少年は、パートリーダーからそれぞれのパートの人数を聞き、黒板に書いた。少女は黒板を見て、満足そうな表情を浮かべる。
「皆、集まったみたいね。では、これから吹奏楽コンクールについての会議を始めます」
少女が、部員達をまっすぐ見て言った。少女の凜とした雰囲気につられ、部員達は背筋を伸ばす。
「司会を務めさせていただくのは、部長の武内 理沙子です。パートはサックス! よろしくお願いします」
「あの、何もパートまで言わなくてもいいんじゃ……?」
理沙子と言う少女に向かって、柔和そうな少年がひそひそ声を出した。
「あー、もう言っちゃったからしょうがないの! それより、あなたも自己紹介!」
顔を真っ赤にして弁解する理沙子。先程までの凜とした雰囲気が、すっかり消えている。少年は苦笑いをしながら頭をかいた。二人の姿に、部員達はくすくすと笑う。
真琴の後ろに座っていた治美が、「緊張してるな〜、りーちゃん」とつぶやく。真琴はそうなのか……と感心し、こくんと頷いた。
少年は、改めて前を向き直り、落ち着いた様子で自己紹介を始める。
「同じく司会を務めさせていただく、柳沢 湊太です。副部長です。……ついでに言うと、パートはトランペットです。よろしくお願いします」
湊太は丁寧にお辞儀をする。理沙子が湊太の左肩を手のひらで軽く叩き、「『ついでに』は要らない!」と口にした。
「この先、あの二人でちゃんとやっていけるのかな〜」
再び、真琴の背後から治美がつぶやいた。後ろを振り向く。苦笑を浮かべている治美に、真琴は「でも」と声を出した。
「あの先輩達、何となく息合ってません?」
「うーん、ある意味合ってるかもね〜。でこぼこコンビっぽい!」
真琴と治美は声を抑えて笑う。しかし、理沙子は気付いたようで、「そこの二人! 聞こえてる!」と真琴達の方を見て言った。二人は、慌てて口を閉じた。
約三十分後。理沙子と湊太の司会に不安を覚える者が少々居たものの、自己紹介の後は良い具合に話し合いが進んでいた。
「……では、八月までの練習予定については、これで決定します!」
理沙子がはきはきと話す中、湊太が黒板に、形の整った字で決定事項を書いていく。真琴は、黒板に書かれた練習予定をじっくり読んだ。
六月は、個人練習やパート練習、基礎合奏が中心。定期テストの一週間前に部活が休みになる。テスト明けからは分奏や合奏が中心となり、七月末に吹奏楽コンクール地区大会。そして、八月にある県大会まで、ほとんど練習が入っている。
(なんか、大変そう……)
軽くため息をつく。治美が疑問に思ったのか、真琴の肩を叩いて訊ねてきた。
「マコちゃん、どうしたの?」
後ろを向いて、治美の耳元で囁く。
「いや、ほぼ毎日練習があって、大変そうだなあって思いまして」
「吹コンは、一年間で最も重要な大会と言っていいからね〜。皆、気合い入るもん」
全日本吹奏楽コンクール。全国中の多くの吹奏楽部、団体が参加する、大きな大会だ。地区大会、県大会、地方大会を勝ち抜き、全国大会が行われる普門館を目指す。治美が言うには、野球部が甲子園を目指すのと同じような感じだそうだ。
「吹奏楽に関わる人にとっては、夏といえば吹コン。これは鉄則だよ!」
「なるほど……分かりました」
真琴は納得し、頷く。理沙子が「はい、静かに!」と口を開いたので、二人は会話を止め、前を向いた。
「次は、吹奏楽コンクールのメンバーを決めるオーディションについて話したいと思います」
(……おーでぃしょん?)
真琴は首を捻った。何故その言葉が出てくるのかが分からない。
ざわめき始める部員達。理沙子が再び「静かに!」と大声を出した。すぐにホール内が静まり返る。
「知っての通り、我が虹西高校吹奏楽部は、一、二年だけでかなりの大所帯です」
「ちなみに、七十人くらいはいますね」
交互に話す理沙子と湊太。そういえば、こんなに人数がいたのかと、真琴は今更ながら思い出した。
「当然、虹西高校は大編成のA部門に出場するのですが、出られる人数は五十人です! つまり、全員は出られません」
皆、分かっているはずの事だった。しかし、それでも動揺してしまうようだ。息を呑む音が、どこからか聞こえた。
吹奏楽コンクールの仕組みを完全に理解しきれていない真琴は、理沙子の言葉を聞いて「あれ?」と疑問に思った。てっきり、全員で出られるものだと思っていた。
「という訳で、全パートでオーディションを行います。審査員は、明仁先生と部長のりーちゃ……じゃなくて武内さん、副部長のぼく、OBの方になります」
「概要はこれで終わりです。では、これからオーディションをする日にちと審査する曲目を話し合いたいと思います」
湊太、理沙子が淡々と話す。だが、どの声も真琴の耳には入ってこない。
全員が出られないと分かった瞬間、真琴の中で、何か重たいものがのし掛かった。同時に、胸が塞がる思いもした。
体中が重くてすぐには歩けないのに、それでも急いで進まなきゃいけないような、得体のしれない焦りを覚える。真琴の額から、汗が流れた。
会議が終わった後、青いトタンの屋根の楽器倉庫。中に入ってから、治美が真琴に話しかけてきた。
「マコちゃん、顔暗いよ~? 大丈夫?」
「え……そうですか?」
治美が水色の手鏡を真琴の前に差し出した。自分の顔をじっくり見つめる。確かに、目に光が無く、口角もすっかり下がっていた。
口角を無理やり上げて、ひきつり笑いをしている真琴に、治美は諭すように言う。
「そんなに気負わない方がいいんじゃない?」
真琴はひきつり笑いを止め、目を見張りながら治美を見上げた。治美は、微笑んで話を続ける。
「いくらオーディションがあるからって、暗い気持ちで過ごしていたら、絶対損だって! 自分の今の実力を出しきってやろう! って気持ちでいた方が、自分にプラスになると思うけどな~」
「確かに……」
後ろ向きの気持ちと、前向きの気持ち。どちらの気持ちでいた方が良いのか、一目瞭然だ。
治美は一瞬、真琴から目を逸らして上を向き、遠くを見つめた。それから、再び真琴に視線を向ける。
「原っち先輩の分も……頑張らないとね~」
真琴は、はっとして目線を上げる。小さく、首を縦に振った。
「そう……ですね」
ここで、会話が途切れた。真琴は、開けたままにしてある扉の方を向き、空を見上げる。
白く光る太陽の上に、陽を覆い隠す程の大きな雲が、ちょうど被さろうとしていた。