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ブルーの低音  作者: 綾野 琴子
第3章 三年生
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11 あっという間

 望実、悠輔、信二、律と別れて数分。身の回りの準備を終えた真琴は、舞台裏へ行こうと思い、一階へと続く階段の手すりを軽くつかんだ。それから、一歩一歩階段を降りていく。

 一階に近づいていくごとに、真琴は心臓の音が大きくなるのを感じた。さらに、不安も募る。

(初めての本番……大丈夫かなぁ)

 初めての舞台。真琴にとっては、何があるのか分からない、未知の世界だった。あと少しで、未知へと踏み込む。考えたら、思わず身震いがした。

 階段を降りきって、右から左へと廊下を見渡す。すると、左側の隅にある休憩所で、茶色い革の生地のソファーに座っている和樹を見つけた。

 和樹は、ぼんやりと上を見ていた。何かを考えているのだろうか。

 真琴は和樹に少しずつ近づいた。それから、和樹をそっと見つめる。気付くと、声が出ていた。

「先輩」

 蚊の鳴くような声だが、和樹は気付いたようだった。視線を真琴に向け、いつものように微笑み、「よっ」と手を上げる。真琴は軽く会釈した。

 頭を上げた時、和樹と目が合った。真琴は何か言おうと、口を開きかける。だが、さすがに「何を考えていたのですか?」とは言えず、すぐに口を閉じてもごもごさせた。

 すっかり黙る真琴。雰囲気を察したのか、和樹から話しかけてきた。

「この二年間、あっという間に過ぎたなぁって思ってたんだ」

 真琴は思わず、目を見開いた。まさか、真琴が知りたかった事を語ってくるとは思わなかったからだ。

「一年前に部長になって。引退は先だとのんびりしてたら吹コンで色々あって。原っちの退部騒動もあったなぁ」

 和樹は一端顔を上げ、遠くを見つめる。過去を思い起こしているのだろう。

 しばらくして、和樹は再び真琴の方を向いた。

「でも、何だかんだ言いながらも、部活は本当に楽しかった。だから……いざ引退となると、寂しくなっちゃってね」

 和樹は眉を下げ、悲しげな微笑をした。昨日話した時と、全く同じ表情だった。

「昨日なんか、僕達の引退について何も話さなかったしな~」

「やっぱり、わざと言ってなかったんですね?」

「あ~、気付かれちゃってたかぁ。なるべく不自然にならないように話してたのに」

 和樹は苦笑いをし、頭をかいた。そして、ふと真琴から目をそらし、うつむく。

「結局、一番引退を認めていなかったのは、僕だったんだよね。美雪や原っちはちゃんと引退に向き合ってたのに、僕は直前に変な抵抗をして……」

「でも、和樹だって今日、引退について話をしたじゃない」

 後ろから聞こえる少女の声。真琴は振り向き、和樹は顔を上げて、声が聞こえた方に視線を向けた。

「美雪!」

 和樹が目を丸くして見つめる。

「ごめんね、舞台に行こうとしたら、話が聞こえてきたから」

 美雪は手を合わせて謝った。それから優しく微笑み、言葉を続ける。

「定演が始まる前、ちゃんと皆に向かって『あと少ししか時間が無いから、精一杯演奏しよう』って言ってたでしょう? それだけで十分、引退に向き合ってると思うよ?」

 美雪が話しているうちに、和樹の顔は赤くなっていった。赤い頬をしたまま、しっかりと美雪を見つめる。

「ありがとう……!」

 和樹は柔らかく微笑む。そんな和樹を見て、真琴と美雪は目を細めた。

 何気なく、そばにある壁時計に目を向けた美雪が、「あ」と声を漏らす。

「二人とも。そろそろ行った方がよさそう」

「本当だ。じゃあ、舞台へ行こうか」

 和樹は茶色のソファーから立ち上がり、伸びをした。そして、頬をぱちぱちと叩く。

「……よし、気合い入れ完了! っと」

 真琴は和樹を見上げる。和樹の表情には、さっきまでのような憂いは含んでいなかった。

「真琴ちゃん。お互い頑張ろう!」

 和樹が拳を握って力強く言った。美雪が続ける。

「演奏、楽しもうね!」

 二人は微笑みながら真琴に手を振ると、下手側の扉に向かっていった。真琴はお辞儀をする。顔を上げた後、自然と笑顔になった。

 つい数分前まで感じていた不安は、すっかり消えていた。ただ、今日聴きに来てくれている香奈、陽乃や翔等七海高校の部員、そして引退する智貴、和樹、美雪達三年生のため、精一杯弾こうという気持ちがあった。

 真琴は、和樹がしたのと同じように頬を叩く。それから、舞台上手に続く扉を開けた。


 ポップスステージは、真琴にとってはあっという間だった。曲数は多いし、時間も長いはずなのに、いざ本番になると、曲は早く進んでいった。

 これから演奏する曲はSMAPの『オレンジ』。三年生紹介の曲だ。これを演奏するという事は、定期演奏会が終わりに差し掛かっているという事を意味していた。

 顧問の明仁が、一、二年生に目配せをした。真琴は明仁を凝視する。曲が始まる瞬間を見落とさないよう、神経を明仁に集中させていた。

 明仁が指揮棒を静かに降ると、『オレンジ』が優しく響きながら始まった。しばらくして、三年生が舞台上手側、下手側両方から登場する。

 三年生の足音が完全に無くなった後、和樹の声が下手側の端から聞こえてきた。

「本日は、第二十八回定期演奏会へお越しいただき、そして最後までお付き合いいただきありがとうございました。……」

 和樹の挨拶が続く。一、二年生が奏でる『オレンジ』が、別れを匂わすような、哀愁漂う雰囲気を醸し出していた。

「僕が部長になったのは、ちょうど一年前、去年の定期演奏会が終わった次の日でした。その時は僕、まだまだ時間はたっぷりあると思っていました。でも……」

 その次の言葉が、一気に真琴の耳に入ってきた。

「あっという間に一年は終わりました」

 真琴の背中が、一瞬びくっと震えた。

「今、自分がこの大きな舞台に立っているのが、いまだに信じられないです。吹奏楽コンクールや学園祭、クリスマス会……仲間達と過ごした日々が昨日の事のように感じられます」

 和樹の話が、一言一言真琴の心に入っていく。休憩時間に和樹の本音を聞いていたから、余計に身に染みた。

「僕が部長として今日までやってこられたのは、二年間共に歩んできた素晴らしい仲間達がいたからです。今から、僕のすごく大事な、三十人の仲間を紹介したいと思います。……フルート、河合 美雪!」

 美雪が前に出る。その瞬間、客席から大きな拍手が沸き起こった。

 和樹は三年生の名前を次々と呼んでいく。曲も終盤へと入った。後輩は、泣くのをこらえて一生懸命演奏する。三年生は、笑顔で手を振っていたり、目を赤くしていたりと、様々な様子を見せていた。

「コントラバス、原田 智貴!」

 ついに、智貴の名前が呼ばれた。大きな拍手が聞こえる。真琴はどこか、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。さらに、目頭が熱くなるのも感じる。

「せーの!」

 美雪が、澄んだ声で合図を出す。それから、三年生全員の声がホール中に響いた。

「部長! パーカッション、石田 和樹!」

 これで、定期演奏会ももうすぐ終わりなのかと思った。同時に、真琴の胸が痛くなる。

 ふと、温かいものが右手に当たり、濡れるのを感じた。そのすぐ後、急に視界が潤んだ。

(あれ、楽譜が見えない……)

 楽譜だけではない。今弾いているコントラバスや両隣にいる治美とチューバ、前にいる木管低音、明仁、三年生、観客。周りの人皆がぼやけて見えた。

 この後、真琴は『オレンジ』が終わるまで、コントラバスをほとんど弾く事が出来なかった。

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