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ブルーの低音  作者: 綾野 琴子
第1章 出会い
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1 きっかけ

 綺麗な青空だ。

 教室の一番廊下側、前から三番目の席に座っている真琴は、顔を窓の方に向け、頬杖を付きながら考えていた。窓際の席ではないのが悔しい。窓際だったら、空がもう少しよく見えるのに。

 数分経ったあと、窓から目を離す。窓の方ばかり見ていたら、さすがに先生にバレると思ったからだ。

 今度は先生を視界に入れながら、周りの生徒を見渡す。新入生達は綺麗に整えられた紺色のブレザーを着て、真っ白な上履きを履いて教室中にひしめき合っていた。みんな、どこか初々しい雰囲気を漂わせている。

「では、これでホームルームを終わります。起立!」

 先生が号令をかけた。新入生は椅子を引いて立ち上がる。少しの間、教室の中が騒がしくなった。

「礼!」

「ありがとうございましたー」

 挨拶が終わり、新入生がぞろぞろと教室を出て行く。

(やっと帰れる……)

 真琴はため息をついた後、心細そうな表情をしながら、静かに廊下を歩いていった。


 四月上旬。横浜市立 虹西こうせい高校の入学式。真琴はついさっきまで、来週の予定や高校生になることについての心得等を、担任の先生から聞いていた。

 先生の長い話を聞く事は退屈。しかし、そんな事よりも教室に長く居る事の方が、真琴にとっては嫌だった。

 虹西高校には、真琴と同じ中学出身の子は一人もいないため、今は知り合いが全くいない。そのことは真琴自身わかっていたはずだったが、一人というのは何かしら不安になるものだ。

(……やっぱり、無理して虹西に行かない方が良かったのかなあ)

 そんな事を考えながら階段を下り、玄関南口を出る。暖かい風が吹いていた。外はなんだか騒がしい。

 真琴の目の前には玄関北口、東側には、北館と南館をつなぐ渡り廊下が見える。西の方は中庭だ。さらに、このまま中庭を突き進むと駐車場、もとい校庭に出る。

(早く家に帰ろう……!)

 真琴は西へ一直線に進もうとした。しかし、色んな看板を持っている人やビラ配りをしている人がたくさんいて、校庭が全く見えない。

「なんなの、これは……?」

 思わず声を漏らし、恐る恐る中庭を歩き出す。すると上級生らしき人達が、次々とチラシを渡しながら声をかけていった。

「バドミントン部に入りませんか〜!」

「野球部のマネージャー募集中です!」

「茶道部にぜひ来てくださ〜い」

 なるほど、部活勧誘をしているのかと、真琴は納得した。

 虹西高校は部活が盛んだという事は中学の時に度々聞いていた。だが、入学式の日に部活勧誘があるとは思っていなかった。

 真琴は、(なんかすごいなぁ……)という感想を抱きながら、少しずつ前に進んでいった。


「やっと出られた……」

 結局、中庭を出るのにかなりの時間をかけてしまった。

 新しい環境、知らない人達、更に人混み。そのせいで、真琴は体力的にも精神的にも限界が来ている。

「そうだ、早く校庭に行かないと……」

 母が首を長くして待っているに違いない。真琴は沢山のチラシを茶色のスクールバッグの中に押し込み、校庭へ向かおうとした……その時だった。

 高音から低音までの様々な楽器が混ざり合った、何とも言えない大きな音が、真琴の耳に入ってきたのだ。真琴は思わず、スクールバッグを落としてしまった。

 慌ててバッグを拾い、音が聴こえた右の方を向く。すると真琴の目の前、校舎北館の端に、楽器を持った沢山の人達が見えた。

(あっ、さっきのオーケストラ!)

 数十分前に見た団体だった。その人達は、同じ音を一斉に吹いている。音を合わせているのだろうか。

「……何するんだろう?」

 真琴の出身中学には、金色や銀色の楽器を使っている部は無かった。だから、この部がどんな演奏をするのか、かなり気になる。せっかくだからと、真琴は演奏を聴くことにした。

 音はやがて止んでいった。指揮棒を持った男子生徒が、部員達を見渡す。準備が出来ているか、確認をしているようだ。

 見渡し終えると、男子生徒は指揮棒を上げた。部員達は一斉に曲を吹き始める。

(この曲は、『さくらんぼ』だ!)

 大塚愛のヒット曲がここで聴けるとは、全然思っていなかった。予想外の事に、真琴はただ目を丸くするばかりだ。

 指揮者の男子生徒が楽しそうに、明るい笑顔を部員に向けて棒を振る。指揮を見ながら、タンバリンを持った人達が、気持ちよさそうに叩く。黒い縦笛や銀色の横笛を持った人が、リズムにのって体を動かす。さらに縦笛や横笛の後ろにいた金色の楽器達が、体を反らせて、輝かしい音色を出した。

(多分あの人達、上手いんだろうな……)

 音楽にはあまり詳しく無い真琴だが、なんとなくそれはわかった。前を通りかかった人達が、惹きつけられるように立ち止まって、笑顔になっているから。それに、自然とリズムをとっている人がいるから。

 いつのまにか、真琴は校庭に行く事を忘れて『さくらんぼ』を聴いていた。思わず演奏に夢中になる。気分が乗ってくる。ここまで楽しい気持ちになるのは、本当に久しぶりであった。

(なんでこんなに楽しいんだろう……もしかして、あの人達が楽しそうに吹いているから?)

 そんな疑問を持ちながら、真琴はどんどん演奏に引き込まれていった。


(どうして……?)

 三曲もの演奏を聴き終えた後、最初に思ったのはこの一言だった。

 目の前にいる人達が、何故誰の目にも明らかな程楽しそうに吹けるのか、全く解らなかった。少なくとも、真琴には。

「……の、……」

 どこからか女の人の声が聞こえる。だが、真琴は考え事に夢中になっていて、全く気付かない。

(この部に入れば、なんであんなに楽しいのか、解るようになるのかな)

「す……ませ……」

(それに、この部だったら、自分を……。でも……)

「……あの、すいませーん!」

「はっ……はい!?」

 思考はそこで途切れた。

「あ……ごめんね。気になったから声をかけてみたんだけど、全く気付かないもんだからつい……。考え事を邪魔したみたいだね」

 女の人が申し訳なさそうな顔をして謝ったので、真琴は何か言おうとして女の人の方を向く。とその時、女の人の髪の毛が目に入った。

 長さは背中の真ん中あたりまである。そして、どうやら猫っ毛らしい。柔らかそうなロングヘアーが少量の風に吹かれてふわふわとなびいた。

 ――髪、伸ばしてみようかな。そんな思いが一瞬、真琴の頭の中に浮かんだ。

「……あの〜?」

 女の人の言葉を聞いてはっと我に返った。真琴は慌てて「あっ、はい! 大丈夫です!」と返す。体温が一気に上がるのを感じた。

「なら良かった〜! はい、チラシです!」

 女の人は安心したのか、急に元気になった。真琴は少々戸惑いつつ、チラシを受け取る。そして緊張しつつ、うつむき気味に女の人に尋ねた。

「……すいません、あの」

「ん? 何?」

 女の人は微笑みながら首を傾げる。

「どうして、あの人達はあんなに楽しそうに吹けるんですか?」

「そんなの、決まっているよ〜」

 女の人はとびっきりの笑顔で答えた。

「とにかく楽しいからだよ!」

 彼女の言葉に対して、真琴は「そうですか……」と言うことしか出来なかった。

「ねぇ」

 今度は女の人が真琴に尋ねた。

「はい?」

「キミは『吹奏楽』に興味あるの?」

「……『スイソウガク』?」

「だって、すごく楽しそうに聴いていたから!」

 確かに、母の事を忘れる程、「スイソウガク」とか言う演奏に聴き入っていた。

「……はい、そうですね。興味、あります」

 沢山の人が色んな楽器を楽しそうに演奏しているのを見て、ぼんやりと思い始めていた。

(あの中に、入りたいかも――)

「そっか! じゃあ、新入生歓迎会でも演奏するから、楽しみにしててね! あと、来週から仮入部があるから、ぜひ来てみて〜。みんな、待っているから!」

 女の人は一度真琴に背を向けて歩こうとしたが、思い出したように真琴の方を振り返った。真琴は驚きのあまりビクッとし、目をつぶる。

 女の人は真琴に向かってこう言った。

「吹奏楽部は、楽しいよ!」

 真琴は顔を上げる。しかし、女の人は既に背を向け、吹奏楽部の中に戻っていくところだった。

 女の人を目で見送った後、真琴はつぶやいた。

「……唐突だったなあ」

 いきなり現れ、勧誘をし、去る。かなり驚いたが、女の人のおかげではっきりと決心する事が出来た。

「でも、わたし、あの部ならやっていけるかもしれない……」

 心地よい北風が吹く。真琴は、肩に掛かる長さのダークブラウンの髪をなびかせながら、再び校庭に向かって歩き始めた。

小説の更新情報については、作者ページの活動報告を見てください。

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