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ブルーの低音  作者: 綾野 琴子
第3章 三年生
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1 一年生と三年生

更新、遅れてすみませんでした!

 肩までかかる髪を揺らしながら、急いで校舎南口から東へ向かい、渡り廊下を突き抜ける。部室を横切ってさらにまっすぐ行くと、ボン、ボン、と響く低音が聞こえてきた。

 音は大きくなっていく。と同時に、青いトタンの屋根が見えた。もともと速めだった真琴の脚が、さらに速まる。はぁ、はぁと息を切らしながら、扉が開いている倉庫へ一直線に走っていった。

「遅れてすみません!」

 声を上げながら中へと滑り込む。目の前には、弦を弾く手を止めて扉のある方を振り向く智貴。

「教室の掃除が……思ったより……遅くなって……」

 胸に手を当てて苦しそうに話す真琴に、智貴は冷静に「落ち着いて、深呼吸して」と促した。真琴はすぐにスー、ハーと息を吸い始める。

「……落ち着いたか?」

 しばらく経った後、智貴が改めて尋ねた。

「……もう、大丈夫です」

「なら、よかった。じゃあ、とりあえずカバンを置こうか」

 真琴はすぐ近くにあった椅子に、茶色のスクールバッグをそっと置く。そして、急いでコントラバスをソフトケースから出す。その途中で、ある事に気がついた。さっそく智貴に尋ねる。

「すいません。あの、治美先輩は……?」

「あいつなら、課題曲の合奏に行ったよ」

「そうですか……って、先輩は出ないんですか?」

 とっさに、新たに湧いた疑問を口にした。

「あれ、言わなかったっけな……。課題曲は二年生全員と経験者の一年、あとは足りないパートの三年だけで出るんだよ。コンバスはあいつだけで大丈夫だから」

 そうだったかと、真琴は今更ながら思った。前に悠輔から聞いた気がするが、いまいち覚えていなかった。

「だから、オレは次の合奏まで自主連。君は、基礎練習と二曲の練習をお願い」

 言い終わると、智貴は譜面台に掛けてあった弓を取り、楽器を構え直し、春のように穏やかな音を弾き始めた。

 その音を聞いた一瞬のうちに、真琴は、智貴が弾いている曲が分かった。――吹奏楽オリジナル曲の『ヴィヴァ・ムジカ』だ。この曲を三年生全員で合奏するのを、倉庫の中で練習している時に何度か聞いていたから。

 しばらくすると、智貴は一瞬で弓を小指に引っ掛けて軽く握り、人差し指と中指で弦を弾き始めた。

(すごい……!)

 素早く弓を持ち替えるなんて、真琴にはまだ出来ない。智貴はそれを、いとも簡単にやったのだ。

 真琴が感心している間に、曲は進んでいた。今まで春のように明るかった音が、落ち着いた響きへと変わる。

 アルフレッド・リードという人が作曲した『ヴィヴァ・ムジカ』は、「音楽万才」という意味らしい。全体的に明るく、華やかに歌い上げられる。だが、この曲には所々静かな部分もあって、真琴はその部分が好きだった。

 曲が終わった。智貴は「ふぅ」と、肩の力を抜くようにため息をする。とその時、智貴がふと気付いたようにして真琴の方を見る。

「あれ、練習は……」

「……あっ! す、すいません」

 智貴の音に耳をそばだてていたら、いつの間にか自分が弾くのを忘れていた。

「いや、別にいいよ。じゃあ、今度こそ練習しよう」

 思ったよりも注意されなかったので、真琴はひと安心する。

「はい!」

 返事した後、真琴は急いで弓に松ヤニをつけ、チューニング(音の調整)を始めた。


 真琴がしばらく基礎練習をしていると、後ろの方から別の曲が聞こえてきた。

(この曲は、確か……)

 どこか重厚で、古の伝説を想わせるような音色。この曲は、『ヴィヴァ・ムジカ』以上に何度も聞いた。きっと、今回の定期演奏会において重要な曲に違いない。

 耳を傾けようとした時、さっき智貴が言った事を思い出した。いけない、練習に戻らなければと思い、再び集中して弦を弾く。

 まだあまり弾けていない『Best Friend』の練習に移ろうとした数分後。落ち着いた音からいきなり、荒い音に変わった。真琴は後ろを素早く振り向く。

 智貴は弓をふんだんに使い、同じ音(たぶんラの音)を三拍子に弾いていた。一拍目は強く、二拍、三拍は弱く。音量は全体的に大きめ。そして、攻撃的な音色。穏やかな場面ではない事はすぐに分かった。

 いったん曲が止まった。しかし、智貴は大きく息を吸い、再び強く弾き始める。すると、今まで以上に重厚で、なおかつ暗い音が倉庫中に響き渡った。その音を聞いた瞬間、真琴は思わず身震いした。

 暗さの中にある悲しみ、哀しみ。ここだけが、強く印象に残っていた。理由は解らないが、真琴はこの部分を聞くといつも泣きそうになる。

 智貴が力強く弾く。自分との実力差を実感しながら、真琴はしばらく智貴の後ろ姿を見つめていた。


 智貴が弾き終わった後も、真琴はただ茫然としていた。しばらくして、真琴の目の前に大きな手が現れる。

「大丈夫か〜?」

 手を振りながら、真琴をしげしげと見る智貴。真琴ははっと気付く。

「あ……」

 そういえば、注意されたのにもかかわらずまた練習するのを忘れ、智貴の音を聴くのに夢中になってしまった。

「すいません……」

 恐る恐る智貴の顔色を窺いながら、真琴は小さくつぶやく。

「すごく上手いから、つい聴きすぎちゃって……」

「……本当、か?」

 そう尋ねる智貴の顔は、どことなく赤くなっているように見えた。

「はい! さすが先輩だと思いました」

「……ありがとう」

 真琴の返事を聞き、ますます赤くなる智貴の顔。真琴は智貴の様子を見て、ひそかに(意外と照れ屋なのかな)と感じた。

 しばらく智貴の様子を見て、真琴は不意に口にする。

「先輩、あの」

 智貴は「どうした?」と言わんばかりに真琴を見た。

「わたしも……先輩みたいになれますか?」

 智貴は驚いたように目を丸くする。真琴はさらに続けた。

「先輩、初心者から始めたんですよね? なのにこんなに上手くて……」

 弓と指を使いこなし、いくつもの音色を出して曲を弾く後ろ姿が、非常にまぶしく感じられた。どれも、今の自分には出来ない事だから。

「わたし、すごい不器用なのに、これから大丈夫かなって……」

「はい、ここまで」

 智貴は真琴の話を遮った。

「逆に訊くけど」

 真琴は「何ですか?」と言いながら首を傾げる。

「……相原は、最初からコンバスを希望したんだよな。どうしてだ?」

 思わぬ質問。真琴は仮入部の時を思い出しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

「コントラバスが、気になったからです。もっと言うと、音に惹かれたから」

 智貴は「どんな音に?」と問い直す。

「音量は小さいけど、優しい低音です。あと……」

「あと?」

「……『響き』です。周りに大きく広がるような」

 ここまで言って、真琴はいきなり体温が上がった気がした。変な事を言ってないか心配になったからだ。

 智貴は何か考えるように口に手を当てる。そして、ふと微笑んだ。

「そんなにコンバスが好きなら、大丈夫」

 真琴は一瞬、何を言われているのか解らなかった。そして、「え……?」と声を漏らす。

「好きという気持ちがあれば、楽器を続けていられるから。技術とかはいずれ上達するから。今は、出来る限りの事をすればいい」

 智貴はさらに、こんな事を言ってきた。

「一年生は、まだいっぱい、時間があるから……」

 真琴ははっとし、智貴に何か言おうとする。だが、智貴がどこか寂しそうな顔をしていたので、一瞬開きかけた口を閉じた。倉庫に沈黙が流れる。

 しばらくして、真琴は静かに、「ありがとうございます」と伝え、懸命にお辞儀をした。そして練習を再開する。今まで以上に気合いが入っていた。

 智貴は真琴のそんな様子を見て、再び微笑んだ。


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