6 ついそっけなく
ゴールデンウィークが終わった後も、虹西高校吹奏楽部は練習に大忙しだ。何しろ、定期演奏会が迫っているのだから。
「定演まで、あと三週間です。気を引き締めていきましょう!」
和樹の言葉に、全員が「はい!」と気合いが入った返事をする。特に三年生は大きな声を出していた。さらに、美雪が号令をかける。
「気をつけ、礼!」
部員達はお辞儀をした後、「さようなら!」と挨拶した。そのすぐあと、思い思いに動き出す。楽器を片付ける者。再び練習を始める者。友達と話を始める者。
藤本律は、そんな部員達の様子を見つつ、ファゴットを片付けるために虹館の二階へと向かった。
中学時代、後輩が吹いているのを見ているうちに、次第に気になってきたファゴット。いつしか、聴くだけではなく吹きたいと思い、高校ではファゴットを希望した。
無事に第一希望の楽器になれたので、早く上手くなりたいと、一生懸命練習した。だからか、最近先輩から「だいぶ音が安定してきた」と言われるようになった。
あと少しで本番だということについては、あまり不安を持っていない。中学時代に多くの舞台を経験しているのだから、舞台に立つこと自体は慣れている。
ただ、一つだけ、不安に思っていることがある。
律が虹館を出ると、辺りは暗くなり始めていた。
周りには、楽しそうにお話をしている部員達。虹館の玄関が、吹奏楽部員の溜まり場になっているようだった。律は笑顔の部員達をちらっと横目に見つつ、校門へと向かう。
虹館玄関からまっすぐ歩いて校門へと近づいた、その時。
「もう! いい加減諦めて、あたしを信じようよ!」
はっきりと通った声。思わず足を止める。目を凝らしてよく見ると、興奮している様子の望実、細長い切れ目をさらに細くして、疑い深そうに望実を見る信二、苦笑いをしながら望実をなだめる真琴と悠輔がいた。律の不安の元である。
「そもそも、何でこんな事になったの?」
優しく、透き通った声を出す真琴。
「今日こそはちゃんと話してもらうからな!」
信二の低い声が大きく響く。
「じゃあ、聞き逃さないでよね!」
望実が念を押したあと、本当に現実なのか分からないような話を始める。律はごく自然に、望実の話に耳をそばだてていた。
「まず、あたしは四月最後の土曜日、お母さんと一緒に七海市に引っ越してきた、いとこの家に行ったわけよ。チケット売ろうと思って」
三人は同時に「うんうん」と頷く。
「で、その帰りに七海市の商店街に寄ったの」
すぐに悠輔の「何で~?」と言うテノール声が聞こえてきた。
「妹達にお土産を頼まれていたのと、お母さんが『商店街にある、美味しいって評判のパン屋さんに行こう~』って言い出したから、帰りにそこへ行ったんだよ」
信二が「それがどうして、チケットが五十枚も売れたという話になるんだ?」と首を傾げた。真琴と悠輔も不思議がっている。
これには律も驚いた。どんなに顔が広い三年の部員でも、五十枚売れたなんていう話は聞かなかった。
「ここからが本番! ……その後、あたし達は道に迷ったの。お母さんの方向音痴のせいで……でも、助けてくれた人がいたの! 七海高校の吹奏楽部でサックス吹いてる先輩!」
信二が「七海高校……!?」と、驚いたような声を出した。
「うん、そう! 美人だしハスキーボイスがカッコいいし、背が高いし……あ~、憧れるなぁ」
言い終えたすぐ後に、望実は顔を上げ、恍惚とした表情をした。どうやら、どこかの世界へと入ってしまったらしい。悠輔が手を望実の前で振っても、全く反応しない。
一方信二は、手を組んで何やら考え始めた。今まで望実を信用していなさそうな態度を取っていたのとは違い、「あながち、嘘では無いのか……?」などとつぶやいている。
真琴は、急変した二人を交互に見て、「あの、二人とも……?」と声を出す。明らかに困った様子だ。当然の反応だと、律は思った。実際、律も二人の急変した様子には困惑した。どうしてこうなったのか、話が全く解らない。
何となく足が動かず、立ちすくむ律。と真琴が、ふと気がついたように、後ろを振り向いた。律は一瞬、ビクッとする。
「……あ」
(! やばい、気付かれた……)
つい、望実の話に聞き入ってしまった。最初は、さっさと通り過ぎようと思っていたのに。
「あ、あの……」
真琴が律に話しかけながら、おずおずと近づいてきた。三人もやっと律に気が付いた様子で、律の方を振り向いて「あっ!」と声を上げる。
「何……?」
後ずさりをしながら、やっと声を出す。唇が乾く。心臓の音が大きくなる。
「今の話、聞いてた?」
「……別に、その」
確かに聞いてはいたが、改めて問われると恥ずかしい。まるで、盗み聞きをしたような気分になる。
「今の話って、どう思う?」
「どう……って言われても」
返答に困る。真琴だけでなく、望実達三人も律をじっと見てくるので、余計に答えづらい。
「じゃ、じゃあ……藤本君は、チケット何枚売ったの?」
どうしていきなりそんな話になるのか。どうやら、真琴はかなり慌てているらしい。
「あっ! それ、あたしも知りたい!」
あろうことか、望実も真琴の話に乗った。悠輔と信二も知りたがっているようだ。興味津々といった様子で律を見ている。
いつのまにか、四人が一列に並んで律の方に身を乗り出していた。正直、色々な意味で怖い。口の中が乾いてくる。
気付けば、声を出していた。
「何で、オレに聞くわけ?」
真琴が「え……」と声を漏らし、固まった。望実、悠輔、信二も、ただポカーンとして律を見る。律は、そんな四人の姿を見て居たたまれなくなった。
自然に足が動く。律は素早く真琴達の横を通りすぎ、校門を出てからは一気に走った。
家に帰った後、律はすぐに二階へかけ上がった。自分の部屋のドアをバタンと閉める。下にいる母が「律、静かに閉めなさい!」と怒るような声が聞こえたが、無視しておいた。
スクールカバンを置き、ベッドの上を仰向けに寝転がる。天井を見つめながら、律はさっきの出来事を思い返した。自然とため息が出る。
「……また、やっちゃったな……」
もともと、人付き合いがあまり得意ではない。人の質問に対してつい、冷たい言葉を返してしまう事がある。さっきも、思わず口にしてしまった。
目を閉じると、つい十五分前に見た真琴達の顔が思い浮かんだ。三人の呆然とした顔、そして、真琴の悲しそうな顔。
(もう、あいつらとは仲良く出来ないかもな……)
そう思った後、不意に眠気が襲った。律は、まだ眠る時間じゃないと思いながらも、目を開けられない。律の意識は少しずつ薄れていった。
暗い視界の中、遠くからトランペットの音がまっすぐ伸びていくのを感じた。目を閉じたまま、その音に耳を傾ける。
しばらくそうしていると、どこからか女の子の声が聞こえてきた。
「先……? 何して……」
聞いた事のある、懐かしい声。目を開けようと思ったが、周りが暖かいせいか、眠くなってきた。声が聞こえたのは気のせいだという事にしておいて、そのまま眠ろうとする。
「先輩! 何ボーッとしてるんですか!?」
「……う」
今度は大きな声が間近で聞こえてきた。気のせいではなかったようだ。ゆっくりと目を開けて、正面を向く。
律の目の前には、ファゴットを持っている女の子が立っていた。