2 再会、再出発(前)
今回は少し短いですが、次の話のためのつなぎなので、ご了承を。
虹館のロビーで、永瀬信二はチューバを、眉をひそめて見つめていた。
担当楽器が決まってから一週間経つが、信二の気持ちはいまだに晴れない。理由はもちろん、第一志望の楽器では無かったからだ。
チューバ担当は、信二の他に一人いる。悠輔だ。悠輔は、信二とは違って、チューバが第一志望だった。中学でもチューバを吹いていたらしい。
望実も、ユーフォニウムが第一志望の楽器だったと、本人から直接聞かされた。ユーフォニウムを吹いている時、楽しそうな顔をする。
真琴とは話した事が無いが、集合が終わった後に真っ先に倉庫へ向かう彼女は、とても活き活きしている。多分、コントラバスが大好きなのだ。
律とは同じクラスなのだがあまり話していないため、ファゴットが第一志望だったのかどうかは判らなかった。しかし、少なくとも律は、一生懸命練習している。現に彼は上達が早く、簡単な曲をまともに吹けるようになっていた。もしファゴットが好きじゃなかったら、そんなに早く上達しないだろう。
(四人に比べると、俺はなぁ……)
ため息をつく。信二は、チューバが好きになれない。よって、練習にもあまり身が入らない。練習に集中しようとしても、「あの音」を聞くたびに、集中が切れてしまう。
「永瀬?」
ハッとして正面を向く。信二を呼んだ悠輔が、チューバからひょこっと顔を出し、心配そうに見ていた。
「どうしたの? ぼーっとして」
「なっ、何でもねーよ」
慌てて応える。そして、練習に集中しようとし、チューバを構えなおした。
とその時。「あの音」が、虹館の玄関から聞こえてきた。
思わず耳をすます。直線的に響く中低音。……トロンボーンの音だ。
「永瀬!」
悠輔の大きな声。信二は、顔をしかめながら正面を向く。現実に引き戻された気分だ。
「もう! さっきから何度も呼んでいるのに……」
「……悪い」
「楽器が決まってから、ずっとそうだよね。話しかけてもぼーっとしているし、音も、なんか……吹く事に迷いがあるような」
「悪いって言ってんだろ」
ぶっきらぼうに応える。自分の現在の状態を正確に言い当ててくる悠輔が、嫌だった。これ以上自分に関わって欲しくない。心の中で叫ぶ。
(もう、言うな!)
悠輔は、信二をいぶかしげに見た。いつもは丸っこい目が、今は尖っている。
「……永瀬、もしかして」
悠輔の低めな声。胸がドキリと鳴る。
「まだ、未練持ってるんだね」
気にしている事を、はっきりと言われてしまった。もう、我慢出来ない。
「うるせえ!」
思わず大声で叫んでいた。ロビー内に、沈黙が漂う。
しばらく沈黙が続いた後、はっと我に返った。辺りを見渡す。目の前にいる悠輔や、信二の後ろ側でユーフォニウムを吹いていた望実、さらにホルンの一年生が、驚いたように信二を見つめていた。
「俺……もう帰る」
視線に耐えきれない。信二は、チューバをそっと置きながらつぶやき、椅子から立ってすたすたと歩いていった。悠輔の「えっ」という声を聞き流しながら、ロビーの隅に置いていたカバンを勢いよくつかむ。
「ちょっと待って……」
「近寄るんじゃねーよ」
チューバを置いて立とうとした悠輔に、ドスの利いた声を浴びせる。悠輔の動きが止まった瞬間に急いで靴を履き替えてから、信二は思い切り走り出した。
「っ……、待ってよ!」
背後から、悠輔の悲痛な声。信二は一瞬動きを止める。だが、振り返らず、再び走っていった。
「これから、どうしようか……」
夕ご飯とお風呂を済ませた信二は、二階の自分の部屋で考えていた。
悠輔に、思わずとはいえ怒鳴ってしまった。悠輔は本当の事を指摘しただけなのに。これからは、悠輔もロビーにいた望実達も、自分を敬遠するかもしれない。
「部活……辞めるか?」
チューバは、悠輔に任せておけばいい。今なら、辞めても迷惑はかからないだろう……
「……でも」
――高校では、もう一度吹奏楽部に入ります。今度は、最後まで続けてやるから――
約半年前、自分が宣言した事を思い出した。今吹奏楽部を辞めたら、「あの約束」を破ってしまう事になる。信二は、それだけは避けたかった。
「先輩に、報告してみようか……」
正直、こんな中途半端な状態のまま連絡するのは、気が引ける。だが、信二はとにかく、自分の中にあるくすぶった気持ちを吐き出したかった。
携帯電話をカバンから取り出し、開く。電話帳で名前を探したとき、気づいた。
「あー……ケータイの電話番号、わかんねーじゃん」
その人の電話帳には、メールアドレスと、何故か家の電話番号しか登録されていなかった。
メールで連絡するのは嫌だった。メールだと返事がいつくるか解らないし、重要な報告をメールでするのもどうかと思ったからだ。
(しょうがねーな)
出来ればケータイの方に電話したかったが、メールよりはマシだ。そう言い聞かせて、信二はその人の家に電話をかけた。
呼び出し音が五回なった後、ブチっという音がした。
「もしもし……」
懐かしい声だった。信二は、親の方が出なくて良かったと思いつつ、自分の名前を言う。
「こんばんは、永瀬です……」
「えっ! ……もしかして、信二か!?」
その人は、明らかに驚いたような声を出した。当然だろう。いままで全く連絡していなかったのだから。
「そうですよ。お久しぶりです。俺が七海市を出てから一ヶ月経ちましたね……。今まで連絡出来なくてすみません、慎也先輩」
信二が電話をかけた相手は、七海市に住んでいる時にお世話になった、川崎 慎也だった。