1 あの子とは……
この章から、真琴以外のバスパート四人の視点も入ってきます。
2章1話は、望実視点です。望実から見た「あの子」は……?
望実だけでなく、信二、悠輔、律の三人にもご注目! もちろん、主人公真琴にも……
では、次ページからどうぞ!
日曜日。今日は一日練習の日なので、朝から部員は多目的ホールに集まっていた。多目的ホールは、部活始めの集合場所として定着しているのだ。
浜田望実も、朝早くから虹館に来ていた。望実の家は虹西高校から近いので、早めに登校するのは、比較的容易である。 いつも通り、虹館玄関で青色スリッパに履き替え、まっすぐ多目的ホールへと向かう。とその時、後ろから誰かが声をかけてきた。
「浜田さん、おはよ〜」
柔らかく、優しい声。その声を聞くだけで、誰が挨拶をしてきたのか分かった。
「鈴木君、おはよ!」
後ろを振り向きながら挨拶を返す。目の前には、体格の良い鈴木悠輔が、にこにこしながら立っていた。
「今日さ、一年生はきっと、個人練ばっかじゃん? 一日中ずっと一人で練習っていうのもつまらないから、後でユーフォとチューバで基礎連やろうよ」
ユーフォとは、チューバより一回り小さい楽器、「ユーフォニウム」の略である。望実はユーフォニウム担当だ。
「うん、いいよ! みんなで合わせた方が、悪い所とかどんどん指摘しあえるし」
応えながら、「みんな」という言葉にどこか違和感を覚えた。
「永瀬にも伝えておくよ。じゃあ、また後でね〜」
望実に手を振ると、悠輔は先に多目的ホールへと入っていった。悠輔を見送ってから、望実はため息をつく。
「『みんな』、かあ……」
つぶやきながら、多目的ホールのドアを押した。
「あっ……」
思わず声を上げる。目の前に、相原真琴がいたからだ。
真琴は、目を大きく見開いて望実を見ている。思わぬ鉢合わせに驚いているのだろうか。表情が固いので、緊張しているようにも見える。
「……おっ、おはよう!」
真琴はぎこちない挨拶をした後、望実が「おはよう」と言い終わる前に多目的ホールを出ていってしまった。
望実はしばらく、真琴の後ろ姿を見つめる。そして、再度ため息をついてつぶやいた。
「……よく解んない子」
九時五分前。ほとんどの部員が集まり、学年ごとに並んでいた。
集合時間までまだ時間があるので、部員はじっと、九時になるのを待っている。二列目の左端に立っている望実は、バスパートの一年メンバーを思い出していた。
悠輔とは、すぐに打ち解けた。彼とは話しやすい。信二はいつも不機嫌そうで取っ付きづらかったが、同じ場所で練習しているという事もあり、何とか話は出来ている。
問題は、律と真琴の二人だった。
律は、人を遠ざけているようなオーラを出している。まだ話した事が無い。
(そして……)
望実は、一列目の左から三番目の位置に立っている真琴を、じっと見た。
(この子、よく解らないのよね)
挨拶はしてくる。だが、動作が固い。それに、どこかオドオドしている気がする。
(もしかして、あたしを怖がっているの?)
しかし、そうだったら、真琴は何故わざわざ話しかけてくるのだろうか。望実には、真琴の真意が解らない。
(ああ、もう!)
望実は真琴をもう一度見つめる。
(結局、あの子はあたしを怖がっているのよね! 挨拶するのは、一応同じパート同士だから。ただそれだけ。だってあの子、いかにも大人しそうだし、なんか暗いし……)
さらに望実は結論づけた。あの子とは、仲良くなれなさそうだと。
そこまで考えたところで、和樹が号令をかけた。
集合が始まってから数分後。連絡も大体終わり、練習に移ろうとしていた。しかし、和樹が一年生を呼び止める。
「一年生だけ残ってください! 最後に、定演のチケットについて話します」
二、三年生が練習に赴く中、和樹が一年生に向けて話し始めた。
「これから一年生に、定期演奏会のチケットを五枚渡します」
美雪と、チケット係かと思われる数人の先輩達が、一人ずつ丁寧に配っていく。真琴にも、そして望実にもチケットが廻ってきた。
(これって、もしかして……)
望実の予感は見事に当たる。
「一年生には、このチケットを売ってもらいます。だから、家族や親戚、友達にどんどん声を掛けてください!」
チケットを売るノルマ。定期演奏会をする中学、高校生が必ずする行為。望実は解っていながらも、面倒くさいと思った。
チケット係の先輩の話が延々と続く。
説明が終わった後、望実は色々と考えていた。
(やっぱり……五枚以上売っておきたいわね)
チケット係が言うには、五枚売るのはあくまでも目安であり、強制では無い。十枚売ってもよし、一枚でもよいらしい。
まだまだ交友関係が狭い一年生のことだ。チケット売れたのが一枚だけ……という部員が多くても、おかしくは無い。
(例えば、あの子のように……)
望実は、真琴の方をちらっと見る。とその時、偶然真琴も望実の方を見た。思いっきり目が合ってしまった。
お互い目をそらす。そして、望実がもう一度真琴を見ると、真琴の方も望実を見た。
数秒間見つめ合い、そして不意に、真琴がおずおずと望実の方へ歩いていく。
(なっ、何……?)
望実は思わず体をビクッとさせた。もしかして、自分の考えている事がバレたのかもしれない。
真琴は望実の前に立つと、ただ一言。
「あの……誰に、チケット売るの?」
望実は目を丸くした。挨拶以外で真琴が望実に話しかけたのは、これが初めての事であったのだから。
「あ、あたしは……とりあえずお父さんとお母さんと妹たちかな。あと、中学時代の友達にも」
思わぬ展開に慌てながらも、何とか答える。
「じゃあ、もう、五枚以上売れちゃうね! いいな〜」
真琴は純粋な笑顔をしていた。言葉は相変わらずぎこちない。だが、挨拶の時とは、明らかに態度が違っていた。
真琴はさらに続ける。
「わたし、親は忙しそうだし、同じ中学出身の人も全然いないから、当てに出来る人があまりいなくって」
困ったように微笑む。望実は、何故真琴がそんな話をしたかを考える前に、今一瞬で思いついた事を提案していた。
「じゃあ、あたしが相原さんの分まで、チケット売ってくるよ!」
真琴は「えっ?」と声を上げる。
「実は最近、七海市に親戚が引っ越してきたんだよね〜。今週の土曜日に訪問する予定だから、ついでにチケット売りつけるよ。これで、相原さんがゼロ枚だったとしても、大丈夫!」
そこまで一気に喋ったところで、望実はハッと気づいた。最後の一言は、さすがに余計だった。望実は恐る恐る、真琴の機嫌をうかがう。
真琴は目をぱちくりさせていた。そして、とたんに笑顔になる。
「本当に? ありがとう! 浜田さんは優しいね」
最後の発言を気にしていないばかりか、褒められた。
「あたしが、優しい……?」
「うん、優しい」
頼もしいとか、おせっかいとは言われた事があるが、「優しい」と言われたのは初めてだ。だが、悪い気はしない。むしろ、なんか嬉しい気までする。
「じゃあ、よろしくお願いね? ……わたしも、もっと頑張ってみる」
真琴はつぶやいた後、望実に向かって笑顔で「またね」と言い、多目的ホールのドアに向かって行った。
望実は、真琴の後ろ姿を見つめる。
「思ったよりも、暗い子じゃないじゃん……」
それに、望実を怖がっているようでもなかった。ただ、仲良くなるのに一生懸命になりすぎていただけかもしれない。望実は、真琴の事を色々と決めつけていた自分を恥じ、顔を赤くした。
「……考えを、変えなきゃね」
望実は、ついさっきまで抱いていた考えを、改めた。
あの子とは、仲良くなれそうだ。