第一章 ニッポン 五:重なりあう世界(一)
翌日、仕事を終えたハルトはヨウコの部屋を訪れた。ドアを開けると、ちいさな生き物が仁王立ちになって吠えてきた。
「どうぞ。犬、大丈夫かな」
うなずいて靴を脱ぐと、犬は吠えながら足元にまとわりついてくる。その感触に、なつかしさを覚えた。
「よく鳴き声が聞こえてたから、気になってた」
「ごめん、うるさいかな」
「そうじゃなくて。珍しいなと思って。初めて見た気がする」
「たしかに。買うと高いよ。この子はおばあちゃんが飼ってたのを引き取ったんだ」
ヨウコの案内で部屋に入ると、正面の壁に飾られた星空の写真が目に飛び込んできた。
「天の川だ」
自然に、言葉が口から出た。漆黒の闇をまあるく切り取った星空。右下に星が帯を作っている。ゆるやかな起伏の延々と続く大地は、砂漠の光景を思わせた。
「ああそれ、綺麗でしょ」
電気ケトルのお湯を、ドリンク粉末を入れたカップに注ぎながら、ヨウコが笑った。
「あたしの大好きな写真家なんだ。あんまり素敵だったから、買っちゃった」
「これは、コラージュ?」
「違うと思う。ハレマが夜にあったんじゃないかな」
「すごい」
圧倒的な闇と無数の星の迫力。右下に共通語で「星祭」とタイトルが入っていた。
「この写真家、BATっていうんだけど、ほかにも砂漠の風景をたくさん撮っていて、どれもすごくいいんだ。キャラバンの人だよ」
「キャラバン」
「コロニーに住まずに、太陽祭を探して大陸を放浪するひとたち」
「そんな生き方があるんだ」
どうぞ、とローテーブルにお茶の入ったカップを置いて、ヨウコが座布団をすすめた。犬は、しきりにハルトの膝のにおいを嗅いでいたが、ヨウコが座ると即座にそちらの膝の上へ乗り、くるりと一回転して居心地を整えると、ふう、とため息をついた。
「人間はみんな、紫外線を避けてコロニーに住んでいるのかと思ってた」
「ほとんどはそうだね」
キャラバンは、紫外線に強い塗装の特殊な車であちこち移動したりするみたい、とヨウコが写真を見上げながら説明した。
「こういう生き方に憧れるけど、実際はなかなか無理だよねぇ。そもそも町を捨てる勇気がすごいなって思っちゃう」
「ほんとうだね」
二人で、互いの仕事のことや、太陽と青空の話をする間も、ハルトはその写真からなかなか目を離せなかった。
「ハルトくんは雲のない世界を知ってるんだね」
「わからない」
ハルトは困った顔になった。
「知っている、ような気がするけど。現実にはそんな世界はないから、どうなってるのか」
「人類の過去の記憶が、ハルトくんの中でよみがえったのかな」
「そんなことあるのかな」
「それか、過去とか未来とか来たとか」
「まさか」
ハルトは苦笑しながらヨウコに尋ねた。
「みんな、太陽が見たいの?」
「そりゃ見たいよ」
膝の上の犬を撫でながら、ヨウコは憧れの表情になった。
「ハルトくんの絵を見て、太陽もそうだけど、自分は雲の晴れた空を見たいんだなって気がついたんだ。ハルトくんの記憶がなんなのかはわからないけど、青空を知ってるひとが近くにいるって思ったら、すごく気持ちが明るくなったよ」
その夜、ハルトはふだんめったに手に取らないタブレットで、「写真 BAT」と検索してみた。大量の蝙蝠の画像に埋もれるようにして、砂漠の写真が候補にあがってきた。それなりに名の知られた写真家らしい。一人ではなく、複数人のチームのようだ。作品のほとんどは広大な砂漠の風景で、どれも広々とした自由な空気に満ちていた。広い大地の風景は、コロニーの暮らしとは程遠い。このような作品に人気が集まるということは、それだけ人の憧れを描いているということなのだろう。
みんなも本当は、コロニーの暮らしを好んでいるわけではないのかもしれない、とハルトは思った。望んでいるわけではないが、そうしないと生きられないからそうしている。人口太陽光を浴び、サプリメントを摂って、それでも足りなければ薬を飲んで気分を安定させる。
もし、それ以外の生き方があるとしたら、皆は何を選ぶのか。
ふと、ハルトはそんなことを思う。
窓の外から、モグの甘える声がちいさく聞こえた。




