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クラウディ  作者: 蕃茉莉
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第三章 雲と太陽 六:洋上にて(一)

 タバちゃんとハルトが逃走する三週間前、四月三十日に日付が変わったばかりの深夜。

 ノースアメリカ行政区サンディエゴ港湾の一番端で、調査船は大量の物資を積み込んでいた。検査官が夜間照明の下で荷物をひとつずつ開けて確認し、積込許可を出していく。

「今回はずいぶんチェックが厳しいな」

 船員が言うと、検査官は、すまないな、と応じた。

「カリフォルニアで重大事件の容疑者が逃走中なんだ。港湾も厳重警戒中なんでね」

「なるほど。それはおつかれさま」

「これで最後か」

 物資の入ったコンテナの列がひと段落し、検査官が個数をチェックしていると、

「すまん、もう一個頼む」

 船長がデッキから叫んだ。

「いまトラックが来る。水槽だから、クレーンを使わせてくれ」

「水槽」

「深海魚の捕獲用だ。餌のオキアミが入ってるから、こぼさないでくれよ」

 ほどなく小型トラックが、黒いシートで包んだ四角い荷物を荷台に積んで、積み込み口に入って来た。

「中を見せてくれ」

 検査官の言葉に、トラックの運転手ははいよ、と言ってロープでくくったシートの端を持ち上げた。荷台いっぱいの大きさをした水槽には水が満たしてあり、中におおきな黒い袋が入っている。酸素ポンプが、ぽこぽこと動いていた。

「これが、オキアミかい」

「そう、開くと散らばっちまうから、このままいいかな」

「わかった」

 検査官がマイクでクレーン操縦室に積み込みの指示を出すと、ガントリークレーンがゆっくりと動き出し、パレットごと水槽を持ち上げて調査船の甲板におろした。

「以上だ」

「了解、ご安全に」

 検査官は出航許可証を船員に渡した。船員は船に乗ると歩み板を上げ、静かなモーター音とともに調査船はゆっくりと港を出港した。

「南の海なんて、よく行くよな」

「紫外線に焼かれないのかなあ」

 検査官たちは帽子を振って見送りながら、感心したようにつぶやいた。


 港を出ると、船員たちは暗夜の海上で水槽のシートを外し、クレーンを使って慎重に黒い袋を水槽から持ち上げ、甲板におろした。船長が固く縛った袋の口を開くと、黒い潜水服を着た人影がはい出てきた。

「おお、生きてた」

「息も絶え絶えです」

 笑いながら、男は酸素ボンベと水中グラスを外した。

「ようこそ、グリアン」

「はじめまして。ご尽力に感謝します。ドクター・カーペンター」

 リョウ――グリアンとカニエラ・カーペンターは暗闇の中、笑顔で握手をかわした。


 船は太平洋を横断し、海溝に出会うとそれに添って深海調査を行う。魚影やプランクトンの量を計測しながら、船はゆっくりとニッポンに向かった。

「ニッポンであと一人乗せてくれって言われてるんだ」

「タバちゃんかな」

「そのタバちゃんからの依頼らしい。ハルトとかいったな。グリアン、知ってるか」

「ああ」

 グリアンはうなずいた。

「そうか、来てくれるのか」

 つぶやいて、グリアンはカニエラを見上げた。

「キャプテンは、時空移動って信じます?」

「じくういどう」

「ハルトは、AD二千年の世界から来たんです。多分」

 ふぉう、とカニエラは驚嘆の声を上げた。

「それはすごいね」

「信じるんですね」

「信じるも何も、だって実際に来たんだろう?」

「まあ、そうですけど」

「じゃあ、あるんだ」

 そうですね、とグリアンは苦笑した。

「だって君、この世にはシーラカンスなんて恐竜みたいな生き物がいるんだぜ。深海の神秘に比べたら、時空移動なんて」

 それがあったらなぁ、とカニエラはうっとり水平線を眺めた。

「おさかな天国だよ」


 洋上には、自分たちの位置を示すものが何もない。水平線のまんなかにぽつんと浮かぶ調査船は、それでも進路を過たず進んでいく。GPSを使っているとばかり思っていたグリアンは、ある日カニエラたちがテーブルにおおきな海図を広げているのを見て驚いた。

「こんな何もない場所で、役に立つ地図があるんですね」

「なにもなくないさ」

 カニエラは心外だ、という表情でグリアンにペンを振って見せた。

「この水の下には、実にダイナミックな渓谷や台地があるんだぜ」

 海図は、カニエラが独自に描いたもので、さまざまな色のペンで詳細な海底の地形が描かれている。調査船は、超音波で海底の地形を探り、海図と照らし合わせながら進んでいるのだそうだ。

「昔は星を頼りに位置を測っていたらしいが、いまは星がないからね」

 カニエラは、新しい情報を海図に描き込みながらそう言った。

「道を――進路を間違えることはないんですか」

「たまにある」

 ペンを器用に指の間でくるくると回しながら、カニエラが応じる。

「特に嵐のときは、流されるからね。でもまあ急ぐ旅じゃなし。座礁さえしなければ大丈夫。陸地が近くなったらGPSを使うよ。港湾のほうも、存在を知らせずいきなりこちらが現れたら、かえって不審に思うからね」

 さて、とカニエラは腰をのばし、潮風に晒された黄色い髪をかき上げた。

「日本海溝を越えたから、そろそろ日時を決めないとな」

 サンディエゴを出港してから三週間が過ぎようとしていた。

「マーシー、ヨッピーに連絡を取ってくれ」

「了解。到着予定は」

「ニッポン時間だと、今日が十八日か」

 そうだなぁ、とカニエラはふたたび海図に目を向ける。

「二十三日にしよう」

「了解」

 マーシーと呼ばれた船員が、指示をペンで紙にメモすると、ヘッドホンをつけて卓上の機械を操作し始めた。見たことのない装置。

「キャプテンはどうやって連絡を取ってるんですか」

 グリアンが尋ねると、カニエラは海図を畳みながら、

「モールス信号だ」

 と答えた。

「なんですか、それは」

「古い無線電信、まあ暗号みたいなものだ」

「へぇ」

 マーシーは、板に取り付けられた細長い金属片を叩きながら機械を調整している。

「ヨッピーの提案でね。最初は打つのも解読するのも大変だったが、最近やり取りが頻繁だから、マーシーもだんだん符号帳なしで打てるようになってきた」

「あまりやり取りすると、盗聴のリスクがあるんじゃ――」

「誰のせいだと思ってるんだ」

「いやこれは失礼」

 苦笑して、グリアンは頭をかいた。


 数日たつと、カニエラはGPSの起動を指示した。海の色が黒くなり、時折島が見えては通り過ぎる。そして五月二十三日の昼過ぎ、雨の向こうに陸地が見えてきた。

「十五時だったな」

 エンジンを停止させて、カニエラは波に揺れる艦橋で前方を見る。

「少し海水調査をして、十四時になったら出発だ。あとは僕が操船する」

 そう言うと、カニエラは雨具をまとってフェイスシールドを被り、甲板に出て海水の採取を始めた。厨房を一手に担うルスランも操舵室に上がってきた。

「このあたりは、水深が浅いわりには魚が多いんだ。うまくいけば、今夜は客人に魚料理を出せるぜ」

「へぇ」

「どこかに、魚たちが紫外線から隠れる場所があるんだ。いつか潜水調査をしてみたいね」

 そう言うと、甲板に出てかご網をおろし、カニエラとは反対側の海面に沈めると、急ぎ足で厨房に戻っていく。

「みんな忙しそうだな」

「キャプテンはこれが本業だからな」

 取り残されたグリアンがつぶやきに、マーシーが笑った。

 波に揺られながら一時間ほど甲板で作業をしていたカニエラは、十四時になると操舵室に戻って雨具を脱いだ。食堂の鐘が鳴り、船員たちが食堂におりていく。カニエラとマーシー、それにグリアンは操舵室に残り、接岸の準備に入った。

「マーシー、予定通りでいいな」

「その後連絡がないので、大丈夫かと」

「じゃあ、出発だ」

 視界が悪いな、とつぶやきながら、カニエラは舵を握る。静かなモーター音が響き、船は旋回しながら進路を定めると、陸地に向かって動き出した。GPSが船の位置をトーキョーの港湾に知らせ、マーシーは貨物積み込みのための入船許可を申請した。食事を終えた船員たちも操舵室に戻り、それぞれ水深を測ったり、目視で船の影がないかを確認したりと忙しい。

 海岸線に近づくと、カニエラは進路を変え、湾岸に沿ってゆっくりと走る。トーキョー港湾局から、十八時に入船を許可すると連絡が入った。

「許可をいただき感謝する。当船は時間まで湾外で待機する」

「了解」

「そろそろだな」

 陸地突端の灯台が、ぼんやりとした光で雨を照らす。

「GPSを切れ」

 マーシーがGPSを切った。カニエラは慎重に目視で障害物を確認しながら灯台を回り、ちいさな漁港に入った。桟橋の近くに車が停まっているのが見える。

「あれかな」

「らしいな」

「フランツ、出てくれるか」

 カニエラの指示に応じて、副船長のフランツがきびきびと支度をして甲板に出た。

「三人いるぞ」

 カニエラが首をかしげながら過たず船を接岸させた。

「ひとりはヨッピーでしょう」

「あと一人は誰だ」

 あ、とグリアンが声をあげた。

「タバちゃんだ」

 フランツが三人に呼びかけている。ヨッピーらしき人物の声が、開いたドアのむこうから聞こえてくる。

「予定より一人多いけど、乗れる?」

「乗せていいぞ」

 カニエラが叫ぶと、フランツがうなずいて歩み板をおろした。


 二人を乗せた船はすぐに岸を離れ、いったん灯台の先まで戻ると、再びGPSを始動させた。そこでしばらく時間調整をしたのち、大きく旋回して湾内に入る。トーキョー港湾が近づくにつれ、船の数が増えてきた。

 間断なく船が往来するトーキョー貨物港に入港し、夕刻の港で待っていた大きな艀に空のコンテナをおろすと、かわりに食糧などの物資が詰まったコンテナを積み込み、燃料を補給した。

「問題なく出られそうだな」

 甲板の作業を見守りながら、カニエラがつぶやく。念のため先ほど乗せた二人とグリアンは船底の寝台室に隠れていたが、幸い怪しまれている様子はなさそうだ。

港湾の係員から出港許可を得て、船は三時間ほどで出航した。

「ようこそ、調査船へ」

 湾を出て、操船をフランツに交代したカニエラが、あらためてハルトとタバちゃんの二人と握手を交わした。

「急に増えてすみません」

 タバちゃんが恐縮したが、なに、とカニエラは笑った。

「タバちゃんには一度会いたかったから、なによりだ。ぜんぶグリアンが悪いんだから、タバちゃんが恐縮することはないさ」

「俺じゃない。幹部がぐずぐずしてるせいだ」

 横から申し立てられたグリアンの苦情は一顧だにせず、カニエラは船内を案内して回る。

「僕は、君たちを洋上基地まで送り届ければいいだけだ。気にせず船旅を楽しんでくれたまえ」

 二十二時、船内に鐘の音が響いた。

「夕食だ。食堂に行くよ」

「こんな時間に?」

 ハルトが驚く。

「ここでは食事が八時間ごとなんだ。昼夜人が動いてるから、等間隔で三回食事を用意するのさ。今日僕は昼を抜いたから、ぺこぺこだ」

 そう言われて、ハルトたちも朝食を摂ったあと何も口にしていなかったことに気がついた。船長の案内で食堂に行くと、テーブルに四十センチはあろうかという赤い魚が乗っている。

「アコウダイだ」

 とハルトがつぶやくと、カニエラが嬉しそうに両手をこすり合わせた。

「おっ、もしかして君があれだね、じくういどうの人だね」

「時空――ああ、そうです」

 ハルトが苦笑する。

「聞きたいことが沢山あるんだ」

 カニエラは、席を案内しながらハルトに話しかけた。

「海のことは全然わかりませんよ」

 ハルトが不安そうに言うと、カニエラは、そんなのはいいさ、と自分も席に座った。

「魚の美味しい食べ方を知らないか」 

「ええっ」

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