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クラウディ  作者: 蕃茉莉
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第二章 キャラバン 四:望郷(三)

 何度か食事が運ばれては、口をつけられないまま女の悪態あくたいとともに下げられた。不安で眠ることもできず、だが意識は疲労で朦朧もうろうとする。不安の中でまどろんでいるような心地のまま、おそらくは一両日。そのまどろみの中で、スヴェトラーナは聞きなれた声を聞いた。

「ここに、俺の娘がいると思うんだが」

 サラディンだ。

 スヴェトラーナの意識が、一瞬で覚醒かくせいした。

「知らないな」

 男の声がする。スヴェトラーナは思いきり息を吸い込み、生まれこのかた出したことのない、激しい大声で叫んだ。

「サラディン!わたし!ナユタよ!」

 喉が張り裂けるほど叫びながら、力いっぱいドアをたたく。

「ここにいるわ!」

 ドアの外でどたばたと喧騒けんそうが起きた。喧騒けんそうがすさまじい勢いで近づき、重い物が何度かドアにぶつかる音がして、ドアが破られるとサラディンが飛び込んできた。

「ナユタ」

「サラディン」

「逃げるぞ」

 サラディンはナユタの手をひいて廊下に出た。狭い廊下では、盾のようなものを構えたサムスンが、二人の男を相手に殴る蹴る叩くの大暴れを演じている。

「やめてよ!壊さないでよ!」

 部屋の中から女の悲鳴があがる。ナユタの手をひいたサラディンが、サムスンに

「出るぞ」

 と叫び、戦意を喪失した男たちを蹴散らすようにして外に飛び出した。外の車の運転席にはシンディ。三人がなだれこむように車に飛び込み、ドアが閉まるや否や、シンディがアクセルを踏み込んだ。

「久しぶりに大暴れしたぜ」

 サムスンがまだ鼻息を荒くして笑った。

「よかった。無事だったのね」

 中には、ナランが乗っていた。

「ナラン」

 スヴェトラーナは言葉に詰まった

「アルタンが」

「知ってるわ」

 ナランの、光のない黒い瞳が虚空こくうを見つめた。

「コロニーの外で死体が見つかった。あの子は馬鹿よ。あなたを売ろうとしたの。だから罰が当たったんだわ」

 馬鹿な子、とナランは繰り返した。

「たった一人の家族だったのに。ほんの少しのお金に目がくらんで」

 大きな黒い瞳がたちまちうるみ、大粒の涙が浅黒い頬にこぼれおちた。

「ごめんなさい」

 顔をゆがめたスヴェトラーナへ、ナランはあふれ出る涙もそのまま首を振った。

「あなたのせいじゃないわ。怖い思いをさせたわね。私こそ、ごめんなさい。もう、忘れて。あなたは悪い夢を見たの」

 車は細い路地を抜けて市場の表通りに出た。どうやら追ってくる者はないようだ。シンディが速度を緩めた。昼間の市場通りは閑散として、乱雑にゴミが散らかり、砂埃が雨に打たれて屋台の屋根に茶色い染みを作っている。

「あんたはどうする」

 助手席から、バックミラー越しにサラディンがナランへ訊ねた。

「もう店には戻れないだろう」

「なんとかするわ」

 ナランは無表情に応じた。

「女一人なら、身を隠して働く場もあるし、どうにでもなる」

 今までもそうやってきたんだもの、とナランはつぶやいた。

「俺たちと一緒に来ないか」

 サラディンの意外な言葉に、ナランは驚いて顔をあげた。

「身寄りがないなら、どこで暮らしても一緒だろう。それとも」

 サラディンとナランの視線が、ミラー越しに合った。

「バットにちるのは嫌か」

蝙蝠バット」はキャラバンの蔑称べっしょう。町に暮らす人々が、居所いどころを定めず闇夜をうろつくさま卑下ひげするときの呼び名のことだ。

「この町で働くと言っても、楽しい仕事はないだろう。俺たちは旅をしながら写真を売って暮らしてる。あんた一人食わせるくらいはできる。もちろん仕事の手伝いもしてもらう」

 ナランは、じっとサラディンのターバンにくるまれた頭を見ている。

有体ありていに言うと、このままあんたが町に残って、あとあと俺たちに面倒があっても困るしな。まあもし一緒に来るなら、スアードの平手打ちの一つや二つは仲間入りの洗礼として覚悟してもらわなくちゃいけないが」

「私は、あなたたちの大事な子供を奪おうとしたのよ」

「それも善意の挙句あげくだろう。あんたの弟だって、命を失うほどのことをしたとは思わない。ここでは生きるためならなんでもありだ。目の前にこんな珍しい子供がのこのこあらわれたら、金にえたくなる気持ちもわかる」

 ナランは首を振って、両手で顔を覆った。アルタン、と、ささやきが嗚咽とともに口から漏れた。

「なんの相談もせずに動いたナユタもよくなかった。おかげで人が一人死んだんだ。ナユタ、お前もスアードにお尻をぶたれるのは覚悟しておけよ」

「ごめんなさい」

 スヴェトラーナはうなだれた。自分のせいで、アルタンが死んだ。ナランは忘れろといったが、一生忘れることはないだろう。これは、自分の背負う罪だ。

「だがな」

 サラディンの声が柔らかみを帯びた。

「俺たちも悪かった。ナユタの気持ちを理解してやれなかったからな。考えてみれば、突然見知らぬ世界にひとりで放り出された子供が、家や家族が恋しくないわけがない」

 助手席からサラディンが振り返る。

「ロシアに、行ってみるか?」

 スヴェトラーナは目をまるくした。

「行けるの?」

「行ったことはないが、たぶん行けるだろう。ロシアの、どこに帰りたいんだ」

「イルクーツク」

「聞いたことがないな」

 帰ったら地図で探そう、とサラディンはつぶやき、ナランを見た。

「ゲートが近い。どうする」

「行くわ」

 ナランは顔を上げてサラディンを見た。

「このまま連れて行って」

「住民カードとタブレットはゲートを抜ける前に捨ててもらうぞ。あんたは犯罪者の一味にされるかもしれない」

「わかっているわ」

「よし」

 ナランは、住民カードとタブレットを取り出すと、サラディンに渡した。受け取ったサラディンは、それをターバンの裾で軽くぬぐうと、無造作に窓から捨てた。車が減速し、ゆっくりとゲートを潜り抜ける。

「MS三六ゲート 通過しました」

 機械音が告げる。

「もう二度とここには来られないな。シンディ、サムスン、覚えておいてくれよ。俺がうっかり来ちまわないように」

「ラジャー」

 慣れた顔で、二人が応じた。


 キャンプに戻ると、車の音を聞きつけて仲間が飛び出してきた。

「まだ明るいぞ。紫外線が強い。中に入れ」

 サラディンが告げたが、みなそれどころではない。

「ナユタ」

 テントから髪を振り乱して駆け出してきたスアードは、ナユタの顔を見るとわぁっ!と叫び、駆け寄って、抱きしめて、頬ずりをして、泣きに泣いた。

「ごめんなさい」

「よかった、無事でよかった」

「お尻をぶってもいいわ」

 振り回されながらスヴェトラーナが言ったが、スアードはかわいい子供が戻って来た喜びでいっぱいで、それどころではなさそうだった。

「いやあよかった。無事でよかった」

 オマールも目に涙を浮かべている。

「やれやれだ」

 仲間たちが一向にテントの中に入らないのを見て、サラディンはため息をついた。

「ならもうこの際だ、キャンプを撤収しろ。準備出来次第ここを発つ。面倒に巻き込まれる前に、遠ざかるぞ」

「オッケー」

 ロベルトとウージュが応じて、皆はすぐにテントを撤収にかかった。

「スアード」

 サラディンが、スヴェトラーナを抱きしめて離さないスアードに告げた。

「仲間が増えた。よろしくたのむ」

 泣きぬれた顔をあげたスアードは、サラディンの隣に表情を硬くして立っているナランを見ると、たちまち鬼の形相になった。

「あんたは!」

「ごめんなさい」

「よくも!よくもナユタを」

 スアードはナランの胸倉むなぐらつかみ、激しく揺さぶった。

「やめて、スアード」

 スヴェトラーナが止めに入ったが、ナランはされるがままになっている。

「あたしがいけなかったの。あたしが、ナランに頼んだの」

 スアードとナランの間でもみくちゃにされながら、スヴェトラーナは必死でスアードを止めようとしたが、どうにもならない。グスタフが無言で割って入って、ようやく二人を引きはがした。

「なんで、こいつを、連れて行くの?」

 スアードは息を弾ませて、今度はサラディンに食ってかかった。

「こいつのせいで、ナユタが、危ない目に、あったのに」

「まあそれも誤解からだ。このまま町に置いても、ろくなことがないだろうし、この際これも縁だろう。ナユタは戻ったし、ナランも弟を亡くした。それに免じて許してやれ」

「自業自得だわ!」

 スアードはぷんぷん怒りながら、それでも否とは言わず、居丈高いたけだかにナランへ命じた。

「ぼーっとしてないで、撤収を手伝ってちょうだい」

「はい」

 ナランは驚いた表情をしたが、すぐに背筋をピンと伸ばして返事をすると、てきぱきとテントの中身を車に移し始めた。

「よく働きそうだ」

 サムスンが頼もしげにナランの姿を眺めた。

「で、どっちに行けばいいんだ」

「イルクーツク、ってわかるか」

「ナビってみよう」

 車に乗り込み、ナビに「イルクーツク」と言ったが、ナビは反応しなかった。サラディンはナユタを呼んだ。

「なにか目印になるような山や川はあるか」

 サラディンが問うと、ナユタはすぐに

「バイカル」

 と言った。「湖」という単語がわからず、

「おおきな水たまりがあるところ」

 と言うと、

「湖かな」

 と察したサムスンが、ナビに「バイカル湖」と尋ねると、ナビはここから北方八百キロ、細長い湖の辺縁へんえんを示した。ナユタにナビの画面を見せると、三日月形の湖のちょうど窪みの中央あたりにイルクーツクという町があるという。ナユタをオマールのもとに帰して、二人はルートを検討した。

「鉱山があるから、道はなんとか通じていそうだな。だがコロニーはなさそうだぞ」

 サムスンは首をかしげた。

「一応シベリア行政区の領域にはなってるが。本当に、こんなところから来たのか」

「わからん」

 サラディンは首を振った。

「わからんが、本人がそこと言うのだから、一度連れて行くのがいいと思う。でないと、あの子も踏ん切りがつかないだろう。またこんなことがあっても困る」

「そうだな」

 紫外線は少なそうだが、物資を途中で多めに仕入れたほうがよさそうだな、とサムスンはつぶやいた。

「コロニー伝いに迂回しながら行っても、五日もあれば行けるだろう」

「じゃあ先導を頼む」

「わかった」

「サラディン、準備はOKだぜ」

 車の外から、ロベルトが呼びかける。

「よし、出発だ」

 仲間たちは素早く車に分乗した。夕暮れの砂漠を、車の列はたちまち北に向かって走り出した。

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