……グイグイ来る
朝、目を覚ました私は初めてアルブランドの寝顔を見た。
魔術をかけ直すなら今である。
整った顔に触ろうと近づくと、抱きしめられた。ちっ。
「……スールがいる」
寝ぼけているのか、ふにゃっと微笑んだ。
額に口づけられ、サラサラの髪をなでられる。
5年、この人の様々なラブシーンを見てきたがこんな初々しい態度は初めてである。
ただされるがままでいるしかない。
それはさておき出勤時間が危うい。
「アルブランド様、私、仕事がありますので」
と、断って腕を引きはがし、寝間着のままで家に飛んだのである。
***
「噂を聞いたよ」
父さんが不機嫌そうな顔で朝食を食べながら言った。
「アルブランド様と会ってしまったらしいじゃないか。しかも彼の家に泊まっているとか」
私はため息をついて「そうなの」と認めた。
「抱きつぶされれば飽きると思って一緒に寝るんだけれど手しか握ってこないのよ」
変なの、と、軽く言った後でこれは戦場では普通の会話だけど家ではだめだな、と気づいた。遅かった。父さんは頭を抱えている。
「……ファルス、評判というのはとても大事で……!」
「私を中途採用にしてくれた父さんの立場もあるのにごめんなさい!」
「いや、僕の評判はいい。ただ、ファルスのことが気にかかるんだ。他の男の人と恋愛しようとしたときに、『元アルブランド様の恋人』というのは難しいよ」
「恋人……?」
私がきょとんとした顔をしているのを見て、父さんが大きなため息をついた。
「ファルス、ええと、君は年頃の娘だね?」
「はい」
「じゃあ、父さんからアドバイスだ。本気で誠実なおつきあいをしてくれる人を、今度のサーリーム様の結婚式のパーティーまでに見つけなさい」
「……それは、難しいわ。ちょっと、予定もあるし……」
「予定?何だかんだと相手はいるんじゃないか」
父さんがほっとしたのを見ながら私は黙って朝粥を食べたのである。
***
だいぶ化粧を地味にした。髪もひとつしばりだ。
アルブランドは騎士棟から文官棟へ移動するため定時少し過ぎに文官棟に来るので、私が定時きっかりに帰れば会わずに済む。昼食だって食堂で食べなければよいのである。それに気づいてアルブランドを完全にかわせるようになって、周囲は静かになり、私は少しずつ業務に慣れていった。
それにしたって、戦場で一緒だった仲間が少ないのが気になる。
魔法が達者な文官たちは、軒並み従軍させられていた。みんな元気かしら?と見回してみてもいないのである。
確かに従軍してからは治癒魔法か戦闘魔法を磨くばかりでデスクワークなどできなかったが、みんなまだ若いのだ、復帰できないものなのだろうか。どこで何をしているのだろう。
「アルブランド様があなたを探して文官棟に入ろうとしては周りに抑えられているそうよ」
トーミが困ったように言うのを曖昧な笑顔ではぐらかす。
「今はとにかく仕事に慣れなければなりませんから」
という言葉は嘘ではない。
サーリーム様の結婚式の厨房の準備はとてつもなく複雑かつ膨大で、新入りの私が足を引っ張っている場合ではないのだ。
肉しか食べない民、野菜しか食べない民、何でも食べられる民がいる。他では食べられないメーユ特産の生の魚料理だってご披露したい。それぞれに対応した見栄えが良くてしかも美味しい料理を準備するのだと厨房中が盛り上がっている。
こういうお祭り騒ぎは嫌いじゃない。試食させてもらえるのも嬉しい。
「あんたみたいなきれいな人が厨房を担当してくれるのは珍しいんだ。力が入るよ!」
ふふふ、美容術というのは楽しいものなのね。
デザートの試作品をたくさんもらってしまった。
文官棟の厨房担当で分け合ったのだけれど、家に持って帰るにしてもちょっとすごい量だ。あ、メリは甘いものが好きだったなぁ。
竜使いの騎士の担当の文官にメリへおすそ分けを持って行ってもらうことにした。
「お互い忙しくてなかなか会えないけれど、私、結構楽しくやっているわよ」
というメッセージも添えて。
すると、そのデザートを託した文官の子がなぜだかぷんぷん怒りながら私を窓口に呼び出してきた。
メリに限ってその子に何かするとは思えないけれど……と考えながら窓口に行くと、「ごめん!」という顔のメリと嬉しそうなアルブランドが待ち構えていた。
「菓子の礼をしに来た!今夜また食事に行かないか?」
……これ、どうやって逃げればいいの?