帰宅後のあれこれ
「へえ、ガドゥーン領」
5年分ちょっと老けた父さん、サーファが嬉しそうに言った。
「農業が盛んだよ。土地が肥えているんだ。王都からもほどよく近いし、いい場所をもらったね」
「文官は続けるの?」
「王宮に行かなくてもいいみたい」
魔力を込めて大きな化粧水の大きな瓶の中の化粧水に美の文様を書いている母さん、ヘンリエッタに老化の二文字はない。
「それにしても、ひどい肌と髪と服ね!」
「戦場で妙にきれいにしていたらそれは襲って下さいということだもの。しばらく風呂場を使うよ」
「ちゃんと手をかけてきれいにしないと私がやり直すわよ!服は用意しておくから」
「……頑張るわ」
「湯船に美容液を一本分入れるのよ!」
大きな湯舟は久しぶりだ。美容液は濃い緑色の女らしさのない香りのものをつい選んでしまった。
「新陳代謝が促進されて美白効果があり、肌が潤い、吸い付くような感触になる……」
2、3カ月で一本使うのが標準のこの美容液を一度の風呂に一本丸々入れてしまう。
これは花街の一級妓女か王族でなくてはできない贅沢であるが、我が家はこの美容液を作る美容家である。娘の私がみずぼらしくては仕事にかかわると怒られる。
母さん一人で充分稼ぎがあるようだが、父さんは王宮の1級文官を地道に勤めている。メーユ大国をくまなくつなぐ道を作る計画の中枢にいたり、各地で上下水道というものを提案したり、知る人ぞ知る敏腕文官だ。その姿を見て私は自分も文官になろうと決めたのだ。
風呂のお湯は虹色に輝きながら私の身体を包んだ。
ずっと悩んでいた傷跡やさかむけがあっという間に消えて、足にできていた靴のタコもなくなってゆく。
ぐしゃぐしゃだった髪がまっすぐに伸びていく。泥のせいでくちゃくちゃだったけれど、私は元々直毛なのだ。
ジャボンとお湯の中に顔まで浸かってゆらめく天井を見る。
ああ、家に帰って来たんだなあ。
しばらく父さんに相談しながら領地経営に専念してみよう。
あ、服は街着とドレス、何着仕立てることになるのかな。
母さんが張り切りすぎないようにそれぞれ3着くらいで止めさせないと。
畑で土地を耕すのに化粧しなきゃならないのかしら。
今までは顔を洗う水もなくて泥まみれだったのに面倒ねぇ。ま、慣れか。
ふやけるくらい久しぶりの湯船を堪能し、念入りに髪と身体を洗えば、つるりきらりと肌と髪は心地よく整った。
***
「体のラインが出ない服が流行っているのよ」
不満そうに母さんは言うが、今まで戦場で闘ってきた自分にはなじみ深いありがたい流行だった。余計な飾りのついていない服を選んでいく。好みというより、習慣である。
「せっかく華奢なスタイルなのにもったいないわねぇ」
無理矢理一着だけ母さんの好みが炸裂した、黒の総レースの一着を作らされてしまう。ぴったりしたラインの、一見地味だが足首の裾から太ももまでスリットが深く入った立て襟が珍しい服だ。こんな服をどこに着ていくというのか。
「サーリーム様の結婚式には出席するのでないの?」
「しないわよ」
「招待状が届いているのに」
「しないの」
すっかり忘れていた化粧の仕方も特訓させられて、母さんは領地を耕して回る時に対応した「汗をかいても落ちない化粧」という新ジャンルを開拓してしまった。女騎士や豪農に売るのだと意気込んでいる。
「サーリーム様の結婚式でこの服を披露するのよ!」
「だから、行かないんだってば」
「行ってくれなきゃ経営上困るわ」
「母さんの都合に合わせられないわよ」
「戦地で荒れたお肌も髪もウチの美容液と整髪料を使えばこんなにきれいに!ってね」
商魂たくましく言われると「自分の小さな失恋なんかいいか」という気分になってくるが、招待状にはやっぱり断りを入れた。
ガドゥーン領は元々農畜産で豊かな土地で、領主夫妻に後継ぎがおらず、「国の宝」の新領主は歓迎され、元々の領主夫妻は貯め込んだ財産で世界を見るのだと旅立って行った。
試しに母さんを連れていけば、嬉々として肌や髪に効果のある薬草を作る畑を開墾され、研究所まで作られて美容領地になっていく。
領民、特に女性たちに好意的に受け入れられ、少しずつ収益が上がりそうである。
新作は自分たちで試す。肌はしっとりと透明感を増し、髪はツヤツヤと輝いて、仕立てあがった服や靴を身にまとえば戦場の気配は消えてゆく。
だから半年ぶりに会いたいと言われてウキウキと北門にあらわれた私を見てメリが目をむいたことに逆にびっくりしてしまった。
「そ、そうね、ファルスの家は美容家だったのよね……!」
「何かおかしいかしら……?」
「おかしいというか……ずるいというか……」
「人は一皮むけば脂肪と筋肉と臓物と骨よ。あっ、これ新作の日焼け止め。竜に乗る時使ってね」
北門に来るのはパレード以来である。
やっぱり活気があっていい所だなぁ。
「そういえば、団長がおかしいのよ。女を求めなくなったの」
「戦が終わって血が落ち着いたんじゃないの?」
「ファルスのことを全部忘れたから思い出させるなって通達が来たけれど、それ以来」
「花街に行けば復活するわよ。性欲のカタマリなんだから」
「花街が嫌だというのよ」
「すごい変化ね!何があったのかな。そんなことより今日は何を食べようか?」
「かわいくて居心地が良くて美味しい食事処があるのよ」
と、メリの言葉にわくわくしながら大通りを歩く。
その時。
フッ、と、視線を感じた。
メリと目と目を一瞬合わせて左右に分かれて小路に飛び込む。
領地を歩いて回っているので体力は戦時中よりもむしろあるのだ。やたらな奴ならば斬って捨てよう。
突き当りの壁を背にしてくるりと振り返り、魔獣の毛の小筆をかまえた、その身体ごと抱きすくめられそうになって爆発の魔術具を作動させる。戦場でもないのに人を殺す道具を人に向けるなんておかしいが非常時だ。光と鉄のかけらと高熱が相手へと……届かなかった。
私達は呆然とお互いを見る。
「ご婦人に無礼を済まない……!」
黒い髪がさらりと揺れ、赤い目が一瞬切なく光って、彼は頬を染めてうつむいた。
いや、無礼とかいう気配じゃなかったから。殺気すら感じたから。
メリと衛兵が駆け寄ってくるのが見えた。ああ、被害が小さくてよかったなぁ。
「ぜひ、俺と添い遂げてくれないか!」
魔術具をガッと素手で握りつぶし、パチパチと火花と音をまといながら、アルブランドは私に二度目の求婚をしたのだった。