4.魔術具の普及活動
レイリアナが先日のお茶会で出会った侯爵令嬢のジュリエッタが、婚約者に魔術具のブレスレットを贈った事が上級貴族の間――特に若い令嬢に広まり、エアラーダ商会へそれの問い合わせが増えている様だった。
しかし、それよりもエアラーダ商会への問い合わせが急増しているものがあった。
「婚約式の腕輪ですか?」
レイリアナは魔術具の注文についての話し合いがあり、魔術具の作成を依頼しているエアラーダ商会へ来ていた。案内された部屋にはレイリアナとエアラーダ商会代表のチェシーダが席に着いている。
「はい。レイリアナ様と同じデザインのブレスレットはないのかと言う問い合わせが絶えませんね。下流貴族から大商人などの富裕層、王都民まで幅広いです」
レイリアナとシエルラキスのブレスレットについてはエアラーダ商会のものである事を公表している。
「素敵なデザインですもの……。ギオは素晴らしいデザイナーですね」
レイリアナは自身の右手首を見て呟く。
「それもありますが、レイリアナ様が身に付けている物だからですよ」
「――わたくしの物?」
にっこりと微笑むチェシーダの言葉に、レイリアナは首を傾げる。確かにデザインは素敵なものだが、何故この腕輪と同じデザインに需要があるのかわからなかった。
「皆、婚約式後の教会前で放たれた魔法を見てレイリアナ様を神格化しているのです。中には『女神』だと言う者まで現れたとか」
「め、女神……!?」
――魔力を持たない私が神だなんて、なんと恐れ多い……!!
レイリアナが目を白黒させていると、チェシーダが真剣な顔になり、身を乗り出してレイリアナの手を握った。
「レイリアナ様。この期を逃してはいけません!!」
「は、はい?」
「レイリアナ様は魔術具を普及させたいのですよね? 魔術具自体高価なものと言う印象がありますが、今なら多少値が張っても皆、手を出してくれますよ」
――チェシーダの目が少し怖い……。
チェシーダの勢いにレイリアナは少し身を引くも、全くお構いなしという様にチェシーダは更に身を乗り出す。
「そ、そういうものですか……?」
「そういうものですよ」
レイリアナが困ったような顔で問いかけると、チェシーダは手を取ったままニコリと微笑んだ。そして、レイリアナは今後の方針をにっこりと微笑む彼女に伝える。
「わかりました。今回のアクセサリーについてはチェシーダに――エアラーダ商会に一任致します。ただ、必ず魔術具として仕上げて欲しいです……」
「わかりました……。そうなると、値段が難しいですね……」
「値段は他の宝飾品と同程度にしたいのですが……」
なるべく多くの人に魔術具を手に取って欲しいと思っているレイリアナは、値段を抑えてでも広めたかった。
「いや、それはいけません。ある程度の値段を付けないと、今出回っている魔術具が割高になってしまいます。そうなると、他の商会、もしくはその商会を抱えている貴族と軋轢が生じてしまう可能性が高いですから……」
「なるほど……」
もともと供給が少なかった魔術具は、その希少性から非常に高額で取引されている。その魔術具を取り扱っている商会は殆どが貴族から出資されている所が多い。その為に、貴族との繋がりを少しでも増やしたい第2王子派としては、貴族との無駄な軋轢を増やすべきではないとチェシーダは付け加えた。
「では、価格に関してもチェシーダにお願いしてもいいですか? その辺りの金銭感覚が身に付いてないと殿下にも注意された事があるので……」
「承りました」
結局、この日の話し合いでは、音声付きのフルオーダーと、音声無しのセミオーダー、そして既製品の3種類の価格帯に分けて販売することを決めた。
しばらくして、エアラーダ商会はレイリアナとシエルラキスの婚約式で交わされたブレスレットの廉価モデルを発売する事を告知した。すると、あっという間に生産数分の予約が埋まったとチェシーダからレイリアナへ連絡があった。
「ヴァシーリ!! これは現実でしょうか……」
「レイリアナ。現実だよ。皆に魔術具を知ってもらう良い機会になったね」
その日、レイリアナは久しぶりに青の学園の魔術研究室へと赴いていた。
――青の学園は王城に隣接し、長い回廊で繋がっている。白の学園や赤の学園も同様だ。王城から出ずに行けることもあり、婚約式後からはいつでも行っていいとシエルラキスから許可が下りていた。
魔術具作成について、これまでずっと相談に乗ってもらっていたヴァシーリに一番に知って欲しかったのだ。
ヴァシーリは切れ長の目を細めて微笑み、レイリアナの頭を優しく撫でた。
「頑張った甲斐があったね」
「うぅぅ……。ホントに大変でしたから……嬉しいです!」
レイリアナが誘拐に遭いながら旅人の街へ行ったのも、社交界で宣伝しているのも、すべて魔術具を王国に広める為だった。
「ヴァシーリぃ……!」
レイリアナは研究室に誰もいないのをいいことに、思いっきりヴァシーリに抱き着いた。ヴァシーリは少し驚いた表情をするも、彼女をしっかりと受け止める。
「ヴァシーリはわたくしの護衛騎士ですけれど……やっぱり研究員としてのヴァシーリも、どちらも大好きですっ!」
「ありがとう、レイリアナ」
ヴァシーリはふっと微笑むと、抱き着いたままのレイリアナの銀色の髪をポンポンと叩くように撫でた。
――主従関係になっても、魔術を扱っているレイリアナは前と変わらないな。
「今日の要件はそれだけなのかい?」
「あ! いえ、他にも相談があって来ました。廉価モデル販売の際に、更に簡略化した魔術式を用意したくて……」
レイリアナはヴァシーリから離れると、廉価版のサンプルとなるブレスレットを取り出した。
ヴァシーリはそれを手に取り、まじまじと見つめる。
「全体的にシンプルになっているんだね。しかも回復魔法も弱めに設定するのか。あと、魔術陣を記述出来る面積部分も減っている」
「そうなんです! なので、それに合わせて魔術式も簡略化できないかなと思っています」
「ああ。それなら……」
ヴァシーリはふっと小さく笑うと、研究室の奥に置かれている応接用のソファに視線を向けた。
「あのぉ、そろそろ起きても良いですかぁ……」
2人以外誰もいないと思っていた研究室内のソファから声が掛かる。そろそろとソファから起き上がったのは、ここの研究室の研究生のネストルだった。
「ね、ネストル!? いたのですか!」
レイリアナは驚いてその名を呼んだ。
ネストルは研究室長の手伝いで、昼夜問わず研究室にいる事が多い。今日も室長の手伝いが終わって、ソファで一息ついていたらそのまま寝てしまっていたのだ。
「お久しぶりですぅ。――ん? あ、婚約披露宴ぶりでした!」
「来てくれてありがとう。お話する時間をほとんど取れなくてごめんなさい」
レイリアナは自身の所属する研究室の研究者を全員とその家族を招待していたのだ。もちろんネストルと彼の家族も招待リストに載っていた。
「いえいえ! 国王陛下を近くで拝見出来たと言って、両親も喜んでましたぁ! 下流貴族は謁見する機会などほとんどないですからねぇ」
「ふふ。喜んで頂けて嬉しいです。――ところで……」
「あのぉ。ちょっと話を聞いてしまったんですけど、魔術式を簡略化するんですかぁ?」
ネストルは興味津々と言う様に、魔術式の話に入ってきた。新入生と言っても彼も立派な研究者だ。研究対象に対してストイックなところがあるのは、レイリアナ達と変わらない。
「ええ。そうなんです……」
「レイリアナ。簡略化はネストルに頼んだらどうかな。彼は普段、室長の煩雑な魔術式をまとめる手伝いもしているんだよ」
「そうなんですか!」
「そうなんですよぉ!」
ネストルが胸を張る仕草をすると、レイリアナは目を見開き、すごいという様に両手を胸の前で合わせた。
「ネストル。わたくしの魔術具の簡略化の期限はもうすぐなのです。室長のお手伝いと自分の研究でお忙しいと思いますが、お願い出来ますか?」
「もちろんです! 簡略化は好きな作業なので、こちらから申し出るところでしたぁ」
「ふふ。ありがとうございます」
「任せて下さぁいっ! 室長もいつの間にか帰っちゃったし、僕もこれから帰りますが、明日にはお持ちします!」
楽しみが増えたと喜ぶネストルを見て、ヴァシーリはクスクスと笑った。明日という言葉を聞いたレイリアナは瞳を大きく開けてネストルを見る。悩んでいた内容を1日でやってのけると言う彼がとても頼もしく見える。
――きっと、室長の手伝いも自ら引き受けていて増えていくのね。
ネストルはレイリアナから元の魔術式を受け取ると、すぐに帰宅の準備をして鼻歌交じりに研究室を後にした。
「ネストルのお陰で時間があるし、新しい魔術式でも考えていくかい? 良ければ聞くよ」
2人きりの研究室で、ヴァシーリが提案する。ヴァシーリとゆっくり魔術について話が出来るのも久しぶりだった事にレイリアナは気が付いた。
「はい。実は……今いろいろと考えていることがあって――。そのひとつに、シエルラキス殿下の魔力をわたくしに転送するための道具を考えております」
「魔力転送……!? それはまた……研究し甲斐がありそうだね」
ヴァシーリは目を開き驚いた顔をするが、決して否定はしない。研究は未知への挑戦という事を知っているからだ。
検討中の魔術具についてレイリアナは詳しく話を始めた。
レイリアナとシエルラキスにそれぞれ魔術具を持たせ、その魔術具間で魔力のやり取りをするイメージだ。
彼女が考えている魔術具を作る為には、解決しなくてはいけない問題がいくつもある。
「以前、魔術陣を用いて殿下の漏出している魔力を私に移す実験をしていました。それの応用で、短・中距離でそれを実現できる転送装置のような物が出来ると良いなと」
レイリアナはシエルラキスと出会ってすぐ、彼が王子だと知る前に何度か彼の魔力を得る実験をしていた。
「……え? ちょっと待って。レイリアナは吸収魔法ではなく、魔術を使って魔力を得たってことでいいかい?」
ヴァシーリが信じられないと言う様に目を見開いて尋ねた。普通の人間が他から魔力を得る事は、今の所確認されていない。
『人間は魔力を他から奪えない』がこの世界の常識だ。
彼女の問いにレイリアナはこくんと頷く。
「――はい。最初は、学園の森で実験中に失敗したときに、偶然……。魔力を付与されました」
「そんなことが……。吸収魔法と何か関係があるのだろうか……」
「その辺りは考察したことがありませんでしたね……」
ヴァシーリは少し目を伏せ、腕組みをして何かを考えていた。
「もし、私がその被験者になったら、魔力を付与されるような魔術式なのかい?」
「無機物――鉱物に魔力を付与するのと同じ工程の魔術式です。失敗した時もその式で魔力を得られたので変えていません。特に生物を意識した式にしていないので……わたくし以外の生物に魔力が付与されるかは、検討してませんね」
レイリアナは個人的な研究として自分に対する魔力付与魔術陣を作っていたので、汎用的な事は全く考えていなかった。
ヴァシーリは非常に興味があるようで、紙にレイリアナの言っていた内容を書き出している。
「――もし機会があったら被験者になってもいいかい?」
「え!? いや、ヴァシーリにそんな危険なことをさせられません! その場合は式をもっと検討して、せめて動物にしましょう……!」
「……ああ。それが、妥当か」
レイリアナはヴァシーリの申し出に驚き、慌てて断った。ヴァシーリはまだ何かを考えているようで、顎に手を当て俯いた。
――私の少ない魔力も、レイリアナの魔術で補完出来ると思ったけれど……。
「――そうは上手くいかないか」
ヴァシーリは少し嘲た様に笑いながらぼそっと呟いた。
「ヴァシーリ?」
レイリアナはヴァシーリの表情を見て首を傾げた。
「――何でもないよ。無理を言ってしまったね。まずは、魔術具同士の魔力移動が出来ないことには完成しないから、その部分の検討からやってみたらどうかな」
「なるほど。やってみます!」
レイリアナは背筋を伸ばして元気よく返事をした。
「魔術関係よりも魔具や魔力関係で関連する研究があるかもしれないね。私はそちらを調べてみるよ」
「ありがとうございます!」
レイリアナは柔らかく微笑み、ヴァシーリの左手をギュッと握った。
――せめて研究員としてレイリアナの力になりたい。
ヴァシーリは先日のイオディアムとの手合わせで、魔力の絶対的な差を見せつけられたのだ。
「良い研究にしましょう」
ヴァシーリはそう伝えると、握られた手を優しく握り返した。レイリアナは満面の笑みで微笑んでいる。
――私の主を護る力がもっとあれば……。
ヴァシーリはレイリアナの頭を撫で微笑みながらも、自身の力不足を痛感していた。
チェシーダとの打ち合わせと青の学園でのヴァシーリとネストルの2つのお話を詰め込んだら、やはり長くなってしまいました。。
久々に登場したネストル君。彼は自ら仕事を増やすタイプでしたね。
次回から話が動きます。