10.夜会の夜
レイリアナの不調を理由として早々に夜会会場のホールから退場し、王城内の客室にやってきた。
「レイリアナ……これからの事を説明させて欲しい」
「はい。……シエルラキス殿下……」
レイリアナは二人掛けのソファに座る様に促される。
シエルラキスは使用人を全て部屋の外へと下げた。公爵家から連れてきた使用人達にも、部屋が充てられている。
「……王族だと……黙っていてすまない……」
シエルラキスはレイリアナの隣に座り、彼女を見つめる。
「いえ……わたくしも伺いもせずに居ましたから」
王子という事を黙っていたのは、その時は言う必要が無かったからだ。伝えずに済めばよかったと消え入りそうな声でシエルラキスは呟いた。
彼はレイリアナは向き直り、これからについての話を始める。
「第1王子が他国に行っている事は知っているだろう?」
「はい。兄がアスティリード第1王子殿下の側近を務めておりますので……」
第1王子と第3王子の次期王位争いについてから話し始める。
第1王子は第1王妃、第3王子は第3王妃の子である。本来なら、第1王子が王太子として即位する予定だった。しかし、数年前から第3王妃周辺貴族が勢力を伸ばした事により王位争いが勃発した。
第3王妃側が、王位継承に最も有力な第1王子暗殺を目論んでいた。
目論見を知った第1王子は難を逃れる為、遊学として他国へと渡った。対外的には遊学だが、一部では継承権放棄かとも言われている。それにより、争いは一時的に鎮静化していた。
一方、第2王子は第1王妃の子であり、第1王子側についているので、その争いの渦中にはいなかった。更に、第2王子は公の場にほとんど出ることもなく、騎士としてのみの活動だったので、王位継承権を放棄しているとみなされていた。
「今回の我々の婚約でその構図が崩れた。貴方は元宰相でしかも公爵家の令嬢だ。第2王子が即位するには有力な後ろ盾となる。更に、私は第1王妃の庇護も得られる。つまり、対外的に第2王子が次期王位に最も近くなる。そうなると出て来る問題は……分かるだろう」
「第3王妃ですか……」
「近いうちに接触してくる筈だ。それもレイリアナ――貴方にだ」
「――はい……」
第2王子を失脚させる為に何かを仕掛けようとした時、レイリアナを狙うのが効率的かつ効果的だ。彼女が居なくなれば第2王子は公爵家という後ろ盾をなくすのだから。
シエルラキスは心配そうな顔をしてレイリアナを見た。
「……危険な事が起こると思う。避けて終われたらいいが、難しい」
――きっと、この婚約は王位争いの為で、すでに決定事項だったのね……。
シエルラキス本人が望んで結婚相手に自分を選んだのだとレイリアナは浮かれていたのに、その気持ちが沈んでいった。
既に新しい局面へと突入した王位争いから逃れる事は出来ない。
「シエルラキス殿下は……王にならないのですか……?」
レイリアナの問いに少し驚いたシエルラキスは、困った様な笑みを浮かべた。
「私は――この様な体だから……随分前に王位継承権を放棄したよ……。国王と限られた王族しか知らないけれどね」
王妃を持てない国王は争いの元だからと、シエルラキスは少し悲しげに目を伏せる。
「アスティリード第1王子に王位を継がせる事が私の目的だ。だから、レイリアナにはすまないが……この国の王になりたいなどと思った事はないよ……」
レイリアナはなんて質問をしてしまったのだろうと後悔する。
「わたくしの事は良いのです……! 殿下の心がどちらへ向いているのか知りたいだけなのですから……」
レイリアナが哀しそうに微笑んでいるシエルラキスの右手をそっと握ると、魔力が吸い込まれていった。
彼もこの魔力によって何かを諦め続け生きてきたのかと、レイリアナは胸が苦しくなる。
「今回の婚約による第2王子の王位継承権復帰は、第3王妃勢力を炙り出し、暗殺の証拠を掴むための…………囮だ……」
シエルラキスは苦々しい表情でレイリアナを見つめる。彼女を巻き込んでしまった事が心苦しいのだ。
――例え仕組まれた結婚でも、わたくしはシエル様を支えたい……。
シエルラキスは片方の手で銀色の髪をゆっくりと撫でた。
「レイリアナ。貴方はこれから王族婚約者としての教育の為に定期的に王城へ上がる必要があるが、それ以外はまだこれまで通りに過ごして構わない。護衛も必要な物も全て揃える」
「はい……」
周囲に王族の婚約者と印象付け、第2王子の勢力を広げ、有力な王位後継者と知らしめなければならない。レイリアナにはこれまでシエルラキスが避けてきた社交の穴埋めも求められているのだ。
「第3王妃勢力が排除され、第1王子が時期王位後継者として宣言すれば、私は対外的にも正式に王位継承権を放棄し、第1王子の剣として生きるだろう。――その時……貴方は…………」
「……シエルラキス殿下……?」
「――いや。その時が来たら話すよ」
――その時、貴方は自由になっていい――。
シエルはそう伝える筈だった。しかし、今はそれを伝えたくないと思ってしまったのだ。
銀色の髪を撫でていた手がゆっくりと移動し、レイリアナの頬に触れる。少し細められたクリアブルーの瞳が、大きな薄いピンク色の瞳を捕らえた。
――その時に……彼女を手放す事など出来るだろうか……。
シエルラキスは繋いでいた手を引き、レイリアナを抱き締める。
「……シエル様……っ!」
レイリアナは癖でこれまでの様に呼んでしまった事に気が付き、殿下……と付け足すと、シエルラキスはふっと笑ってレイリアナの耳元に唇を寄せる。そこにはシエルラキスが贈ったイヤリングが輝いていた。
「シエルでいいよ……。――レイリー……」
「……っ……!」
シエルラキスはとても大切にしていた宝物の様な名を呼ぶと、少し体を離し、頬へちゅっと音を立て口付けをする。
――恥ずかしい……っ!
音に耐えきれず、レイリアナはギュッと目を閉じる。それを見たシエルラキスが唇を頬から目元まで肌を伝う様に移動させると、固く閉じられた瞼が少し開く。伏せた長い睫毛の間から潤んだピンク色の瞳が震えている。
――何もする気はなかったのに……。
「レイリー……私はずっと側にいるよ。貴方がそれを望む限り……」
シエルラキスは指先でレイリアナの唇を恭しくなぞると、自身の唇を軽く重ね、離した。
「シエル……さま……」
ソファに押し付けられシエルラキスの胸元にしがみついていたレイリアナは、クリアブルーの瞳を見つめ、恐る恐る背中に両腕を回した。
――わざとなのか……?
その行為が合図となり、シエルラキスは再び唇を落とす。唇を塞ぐように深く口付け、レイリアナの固く閉ざされていた唇をこじ開ける。
その瞬間、シエルラキスの魔力がゾワゾワゾワとレイリアナへと一気に流れていった。
「……ん……んっ……」
――まずい……!
シエルラキスは急いで唇を離した。しかし、彼を見つめるレイリアナの淡いピンク色だった筈の瞳が濃い赤になり、ユラユラと光を放っていく。レイリアナは両腕を伸ばし、シエルラキスの頬を両手で包み込む。
――もっと……――――!
「レイ――っ!」
レイリアナは言葉を遮る様にシエルラキスの唇を塞ぎ、両腕を首に回した。
触れた所から何時もよりも多くの魔力が吸い出されているのが分かる。シエルラキスは理性を奮い立たせ、強引にレイリアナから体を離そうとした時、するりと彼女の腕がソファに投げ出された。
既にレイリアナは意識を手放していた――。
ソファに沈むレイリアナを見つめながら、シエルラキスは自身の理性に対してため息をつく。
今夜レイリアナはシエルラキスの魔力をずっと吸収し続けていた。それを忘れて、少しだけと体を寄せたのに、離れ難くなってしまったのだ。
――途中で止められなかった……。
シエルラキスはレイリアナを抱きかかえ、ソファからベッドへ移す。横たわっているレイリアナの隣へ座ると、銀色の髪を掬い唇を寄せる。
「コレも何とかしないといけないな……」
レイリアナの暴走に本気で悩むシエルラキスを他所に、彼女は幸せそうに眠っていた。
油断するとすぐ甘々になってしまいます。いいぞもっとやれ。でも、寸止めされちゃうシエル。彼の理性を褒めたい。