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骨壺

作者: 立花誠爾

この作品を、この作品のタイトルを考えてくれた友人と、長い間私の小説を心待ちにしてくれた友人に捧げます。

骨壺があった。

周りの情景はぼやけていてよくわからない。

とにかく、そこには骨壺があった。

口から先は真っ黒になっており中は見えないが、手触りはとても乾燥したものだった。

どうにかその骨壺を中を見ようと覗き込んでいると、次第に心音が大きくなってゆくのを自覚する。

どくり、どくり、どくり。

大きく早くなってゆく心音を僕はコントロールすることができない。

どっ、どっ、どっ、どっ。

心臓が破裂するかと思ったその瞬間、


目が覚めた。


2013年1月2日

病室のドアを開ける。

彼女は窓際のベッドの上に座り、窓の外を見ていた。

「やあ、お見舞いに来たよ。まったく、こんなおめでたい日に入院しているのなんて君ぐらいじゃないか?」

周りを見回して続ける。病室には彼女以外の患者はいなかった。

「ご覧よ、君以外みんな出払ってる」

彼女は振り向き微笑んだ。

「他の病室にはごまんと患者がいるわよ。今日は偶然周りの人たちが部屋移動になっただけ。あと、私にとってのおめでたい日は9日前にもう終わってるわ」

「そうだったね。でも、日本人として……いや、他の国の人でも新年はめでたいもんだ。たとえキリスト教徒だとは言ってもクリスマスとイースター以外にめでたい日を持ってはいけないという道理はないんじゃないかな?」

そう、彼女は家ぐるみでのキリスト教信者だった。所謂クリスチャン一家というやつだ。

「確かにそうね。でも、やはり、めでたさのランクは違うわ」

「ランク、ねぇ……。まあ、いいや。ところで、病状は大丈夫なのかい?」

「今のところはね。でも、どうやら難病に罹っちゃったらしいわよ、私」

彼女は他人の不幸を愉悦交じりに語るかのように、口角を上げながら自らの病気について報告した。

彼女はいつもこんなだ。クリスチャンのくせに、ちっとも「聖」を感じない。

「そりゃまた、大変だな。僕は生まれてこのかた大病を罹ったことがないから、どんな感じだかわからないけれど、確か、熱が下がってないんだろう?苦しくないのか?」

「えぇ、熱はまだ38度を下回ってないわ。でも、そこまできついとは感じないわね。ずっと熱を出し続けると、だんだん精神の方が慣れてくるのよ。熱を出している自分というものに」

緩慢な動きで、彼女は腕を広げる。彼女は随分とやせ細り、パジャマの袖から見える手は少し骨ばっていた。

「そんなものなのか。結構体の方は大丈夫じゃなさそうに見えるが」

「あら、心配してくれてるの?」

彼女は己の身体から視線をこちらに向け、笑みをいたずらっぽいものへと変えた。

「心配してなけりゃ、見舞いなんか来ないさ」

「あら、ありがと」

彼女ははにかんだ。

「でも、なんだかつまらない反応ね。可愛げがないわ」

「君は一体僕に何を期待しているんだ」

彼女はニヒルな笑みを作って

「私は何者にも期待なんかしてないわ」

と宣った。

「おいおい、神様ぐらい期待しておきなよ。キリスト教徒なんだろう?」

彼女は真顔になる。

「私は救いとしての神には期待してないわよ?」

キリスト教を信じるものとしてありそうにない言葉がクリスチャンである彼女の口から飛び出してきたので、少し面食らってしまった。

「さっきはクリスマスやイースターを最高位のめでたさみたいに言ってたくせに、ひどい手のひら返しだな」

「私が信じているのは人生の道標となる宗教上の存在としての神だけ。奇跡なんか求めてないわ」

彼女は真顔のまま、他者の救いであるかもしれない存在をばさりばさりと言葉の刃で切り捨てた。

「まったく、僕はそんな君を尊敬するよ。流石、敬虔なクリスチャンなだけはあるな」

「今まで会ってきた中で一番のリアリストに褒めてもらえるなんて、なんて光栄なのかしら」

彼女は、僕の皮肉をさらっと受け流して微笑み、また窓の外へ目を向けた。

「で、本当に大丈夫なのか?その病気は」

「ええ、大丈夫よ。酷くて死ぬ程度」

「……それは大丈夫とは言わないぞ」

彼女はおもむろにリモコンを手に取り、テレビをつけた。

テレビの向こうではマラソン選手が苦しそうに坂を登っていた。

「いいえ、大丈夫よ。人間いつかは死ぬんだから」

彼女の顔はテレビの方へ向いていて、彼女がどんな顔をしているのかよく分からなかった。

「いや、そんな理屈では死ぬことを『大丈夫』とする理由にはならないと思うが」

「ふふっ、そうね」

今日の彼女はいつにも増して、捉えづらい。

しばらくの間の後、彼女はテレビに顔を向けたまま話始める。

「不治とされていた病を癒すイエス・キリストの話、知ってる?彼は、重い病で苦しんでいる男がいたから、哀れに思って治してあげたんだって。そして、喜ぶ男にこう言うの。『他の人に言いふらしてはいけませんよ』って。そしたらその男、どうしたと思う?外へ走って行って皆に言いふらして回ったの。『彼こそ真の力を持つ神の子だ』なんてね」

「いかにもな話だね。キリストへの信仰を強化するための、ヒロイックなお話だ」

「でもね、この話には一つ問題があるの」

「問題?凄く嘘のように聴こえるけれど、逆に言えば嘘だと思える程度には欠点がないと思うぞ」

「キリストの行いは、つまり人類の模範なのよ。そしてね、キリストは言いふらして貰えちゃったのよ。『キリストの善行』をね」

「良いじゃないか。信仰する人を増やせるんだから」

「いいえ、だめよ。彼は善行として治したんじゃないの。純粋に治したいと思って治しただけなの。だから、そこに人からの信仰・称賛を受けると、それはもう純粋な行為ではなくなるの。でも、このエピソードは聖書に書かれて後世に伝わってしまった、だから、私たち人間にとって人を救うこと・善いことを為すことは、『人から称賛されるようなこと』になっちゃったのよ」

滔々と語る彼女は、これまで見てきた彼女とは全く違う人のように見えた。

「僕はどうやら今まで君を勘違いしていたみたいだ。君はニヒリストなんかではなくて、神というものへの完璧主義者だったんだな」

「あら、リアリストが神を認めて良いのかしら?」

「僕は自分のリアルを信じるだけであって、他の人にこのリアルを押し付けるつもりはないよ」

彼女が振り向く。少し嬉しそうな顔をしているように見える。

「貴方も信仰の人なのね」

「そういう言い方もできるかもしれないな」

ねえ、と言って彼女はベッドの端へ手で促す。促されるまま座ると、彼女が目を覗き込むようにして問いかけてくる。

「貴方は私を救ってくれる?」

言葉に詰まる。救えるならば救いたい。何よりも彼女の為に。でも、

「僕は君を救えないよ」

当然だ。医学のいの字も知らない僕がどうやって彼女を救うのだ。もちろん、キリストのように奇跡を起こせる訳でもない。

できることと言えば、神に奇跡を祈ることだけだ。

「ふふ、そう言うと思った。でもね、貴方は私を救えるわよ」

そう言うと、彼女は僕の身体をベッドに引きずり込むようにして押し倒す。

どくり、と音がした。僕はやせ細ったはずの彼女の腕から逃げられない。

「貴方は私の為でなく、自分の為に私を救うの。私は貴方に人間らしく私を救って欲しいのよ」

話の流れが読めない。僕が彼女を人間らしく救う?それとこの行為に一体何の意味があるのかも理解できない。

「私はね、死後の世界なんて無いと思っているの。だから、生きている間にできることをやっておきたい」

どくり、どくり、どくり。テレビから流れてくる声援が遠のいてゆく。

「私、貴方のこと好きよ。だから、」


――私とセックスして欲しいの。


背中がじわりと汗ばみ、心臓が早鐘を打つようにどくどくと鳴る。

手を彼女の肩へのばす。


「頑張れー!!」

一際大きく甲高い声援がテレビの向こうから激しく流動する思考に差し込まれる。

僕は、彼女の肩を押した。

「生きることを諦めちゃだめだ」

僕の目に映っている彼女は欲情していなかった。

「もし、君が死ぬのなら、未練を残して死ぬんだ。もっと生きていたかったって」

彼女は隠しきれない落胆と共に口角を上げる。

「残酷ね、リアリスト君」

彼女は僕の上から退くとテレビを消した。

「今日はお見舞いに来てくれてありがとう」

ベッドから降り、彼女と向き合う。

「また来るよ。良くなるといいね。お大事に」

「ええ、未練を残したまま死にたくはないから、精々安静にして過ごすわ」

「じゃあ、またね」

「ええ、またね」

去り際に見た冬の斜陽に包まれた彼女はとても綺麗だった。

2017年頃に書いた作品のリメイクです。

この3年間で大きく価値観が変わった気がします。

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