吸血鬼とスケルトン夫婦の最期の思い出ばなし
「愛してるよ……この世界が終わるまで……いいや、終わっても……」
「ええ、わたしもよ……あなた」
弱弱しくなった妻の髪を掬う。
私はスケルトン。妻は吸血鬼だ。この物語は、私と妻がここに至るまでの思い出話だ。
私達は最初、ただの人間だった。
まだ迷信深い時代だ。幼い頃、まだ私達が学校へ通っている時代、色素の薄い妻はよく魔女だといじめられていた。私はどうしてもそれが許せなく、妻がいじめられているのを見かけては、よく割り込んでいた。喧嘩の弱い私では、妻の代わりに殴られる程度しかしてやる事はできなかったが……妻はそれでも、かっこ良かったと今でも言ってくれる。その言葉を聞いてスケルトンの私はない頬をかくしかないのだが……話がそれてしまったな。まぁこれが私達夫婦の馴れ初めだった。
ある日、私達夫婦は村人に襲われた。
戦争、貧困、飢餓……村人は悪くはないのだ。全ては環境が悪かった。立場が違えば、きっと私達もそうしていたかも知れない。
私達夫婦は街には行かなかった。生まれ育った小さな村を捨て、山の奥の一軒家で慎ましく暮らしていた。しかし、色素の薄い妻は良くも悪くも目を引いた。妻は身体が弱く、家から出てこられない事も相まって、ふもとの村では私達夫婦の良からぬ噂がまことしやかに流れていたのだ。そこに偶然の天災が重なり、我々夫婦は襲われたのだ。
説得を試みた私は捕まり、妻も家から引きずり出され……殴られ蹴られのひどい有様だった。
暴行の末、妻は生き埋めにされた。私は魔女に誑かされた哀れな男、という事で日の光も届かない牢獄に繋がれた。妻が埋められたところを見ていた当時の私には、もはや生きている意味などなかった。毎日死ぬことばかり考え、そして……三日目の夜…………
村人は全滅していた。
妻は吸血鬼となり地面から這い出ていた。真っ赤に染まった民家、散乱するバラバラの死体、そこに妻はたたずんでいた。
その時の私がどうしたかって?
決まってる。死んだと思った愛しい妻がそこにいる。私は夢中で駆け出したさ! あたりに転がる死体も、不自然に伸びた妻の爪や牙なんて見えなかった! 見えたとしても宝石や上等なドレスのように、妻を引き立てるためのものだと思ったね。私は全力で抱きしめた。何度も何度も愛してると叫び、生きててよかったと涙した。
そうして、人間の私は吸血鬼の妻を連れて、今度は定住するのではなく世界を見る旅に出る事に決めた。
数十年後、私は老いぼれた。
吸血鬼となった妻には様々な制約があった。日の光に当たれない、ニンニクは食べれない、流水は渡れない……しかし良い時代だった。全ては病気と偽ればこと足りたからだ。
妻はあの日の美しい時のままだった。私がついに歩けなくなると、よく泣いていた。お互い良い年をしているのに、私は妻を一人でおいていくのが心配だと、妻も私のいない世界では生きてはいけないと……しかし私は勝手な願いではあるが、妻に生きていて欲しかった。
「ああ、愛しい妻よ……どうか君には生きていて欲しいと願う、私の我が儘を許してくれ……どうか私の死後、この血肉を喰らってくれ……遠い、まだ私たちの行った事のない東の地では、死後の魂はまた新たな命を持って生まれ変わるそうだ……絶対、絶対に君の元へ行くと約束しよう……だからそれまで待っていて欲しい」
「……ひどい、本当にひどい人だわ……どれだけひどい事を言っているか、あなたわかっているはずなのに……」
こんな時まで泣かないでくれ、私は君の泣き顔に弱いんだ……
そんな言葉さえ言えず、言葉はただの風となり私の口から出ていった。これが死、そう確信しながらも、私は息を引き取った。
───はずだったのだが。
次に目覚めた時、私はスケルトンだった。
妻は私との約束通り、血と肉を喰らったらしい。しかし流石に骨はどうしてよいかわからなかったのか、棺桶の中に私の骨は大事に収められていた。
スケルトンとして目覚めた私は、それはもう大変だった。
自分の状況を理解するのに? いいやまさか。泣きわめく妻をなだめるのに、だよ。最後に言えなかった言葉を何度も何度も言って、妻を落ち着かせた。
妻は生き返る私の血肉を奪ってしまったとそれはもう半狂乱だった。私としては、生き返れてもよぼよぼだろうし、骨だけは昔から丈夫だったしで、スケルトンという結果に満足しているのだが……
私と妻は、また世界をめぐる旅に出た。
変わらない、永遠がそこにあった。ただ、一つ違うとすれば……
「妻よ……どうしても、ダメかい?」
「ええ。ダメよ。わたしまだ、あなたが死んだときの言葉……怒ってるんだからね……本当に本当にひどい人だわ……」
妻は食事を……つまり血を飲まなくなった。心優しい妻は、もともと私の血を最低限しか飲まなかったが、私がスケルトンとなり、血がなくなってからは全く飲んでいない。最初のころは私を食べたから、とごまかされてしまった。血液自体の入手は比較的簡単だが、妻はいくら説得しても飲んではくれない。
100年の時を超えるほど、共に過ごしてきたこの世界で最も愛する妻の事だ。妻はこのまま死ぬつもりなのだという確信が私にはあった。
「わたしもね、スケルトンがよかったなぁ……吸血鬼なんて、人の血液がなきゃ生きていけないし、何より……流水を通れないのが悲しいわ……あなたが言ってた東の国、島国だったのね。ごめんなさい、わたしがいなければ行けたのに……」
「気にしないでくれ。君がいればどんな景色も絶景さ。……君がいなければ、どんな楽園も地獄と変わりない」
そして、妻の死期は、もうすぐなのだという確信も。
「愛してるよ……この世界が終わるまで……いいや、終わっても……」
「ええ、わたしもよ……あなた」
弱弱しくなった妻の髪を掬う。骨ばかりの自分の指が彼女の肌を傷つけないよう細心の注意を払いながら、優しく撫でる。
「でもわたし、海の向こうへ行きたいわ。だから、ねぇ?」
妻はにやり、と笑う。それはそれは意地の悪い笑みで、私はもうない鳥肌が立つ錯覚を覚えた。
「わたしが生まれ変わるまで……どうか待っていてくれるのでしょう?」
いつか自分の最期に言った言葉。ああ、この言葉はなんと残酷な事か……妻に罵倒された日の記憶が蘇るようだ。彼女とまた再び会える時を待ち、生き続けるなど……それはもはや呪いだった。
「……ひどい奴だな、私は」
「ふふっ。今さら気付いても許してあげないわ」
骨の体は妻の肉体で優しく抱きしめられた。
「次は……そう、お日様の下で会いましょう。そして海を渡って旅をしましょう。絶対、絶対にあなたの元へ行きますから。……ちゃんと気付いてくれなくてはダメよ?」
「何千年だろうが何万年だろうが待っているよ。生憎、腐る肉もなければ、私が生きるのに必要なのは君くらいなものでね。……この星から人類が消えたって待ってるさ」
暗い暗い室内だった。
二人は抱きしめあったまま、しばらく動かなかった。人とは単位の違う時間を生きている二人だ。その抱擁は永くもあり一瞬でもあった。
妻である吸血鬼の方から離れると、吸血鬼は頼りない足取りで窓までスケルトンを見つめたまま下がり、カーテンの端を持つ。漏れ出た日光が吸血鬼の足を焼き、暗い室内には異臭が漂った。スケルトンに表情などあるはずもないが、どこか悲しげに、いやきっと肉がついてた頃ならば号泣していただろう。
吸血鬼はそんなスケルトンを見て困ったように笑い、数百年ぶりの日光をその身に浴びて……消滅した。
その後、スケルトンの行方は知れない。
吸血鬼は生まれ変われたのか、スケルトンと再会を果たせたのか、誰も知らなかった。
だが、スケルトンは待つのだろう。
どこかにいる彼女を探して世界を旅しながら。
最愛の妻と旅する未来を夢見て。
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