お姫様と距離感
「え?吉祥寺さんと呑みですか?」
昼休憩が終わり、午後の業務を開始した後、途中の休み時間に彩女は姫美に今晩春奈と呑みに行く旨と、それに姫美も来ないかと誘いを掛けていた。
「うん、春奈と久しぶりに呑みに行くことになって。それで、高城さんも良かったらどうかな~って」
コーヒーを啜りながら提案する彩女に、姫美は顔を俯かせながら考える。
姫美は春奈と彩女が親し気にしている事に、お気に入りの居場所を奪われた様な不満を覚えていると知覚している為、わざわざそれを覚えに行くのも馬鹿らしいと思いつつ、その提案に言いようのない魅力を感じていた。
「気乗りしなかったら別に良いわよ。…ただ、そうなるといったん自宅に帰ってもらう事になっちゃうかもだけど」
姫美の思案を、気後れと判断し彩女は無理に来る必要は無いと言うが、だからと言って自宅のカギを渡して一人姫美を自宅に入れるのも憚られる。
故に、申し訳なく思いながらも、突き放す様に姫美には自宅に帰宅して貰う第二の選択肢を提示する。
「あ?あー。そうですよね。うーん」
姫美は彩女の警戒心を悟り、流石にそこまで仲は良くないものな。と落胆しつつ、誘いを断って一人自宅に帰る光景を想像する。
1kの自室で一人分の食事を作り、一人でパソコンで適当な動画を見て、一人で床につく。
昨晩は彩女と共に居たことと、彩女の家で家事に追われたから一人の寂しさを感じずに済んだが、一人で帰宅してそれを覚えるのは嫌だと思った。
「うん。行きます」
故に。寂しさを味わいたくないから、逃げるように彩女の誘いに乗る。
「そ、そう?なら春奈にも伝えとくね。19時くらいに上がるらしいからそこら辺、後で伝えるね」
姫美が誘いに乗った事で、彩女は姫美を放り出さないで済んだ安心感と、親友とのさし呑みの機会を逃した一抹の後悔を抱き、春奈に姫美参加の連絡を入れ、定時で上がれるように早めに休憩を終わらせようと立ち上がった。
「先輩」
「ん?」
そしてそのまま立ち上がって立ち去ろうとする彩女に、姫美は普段は2,3姫美を気遣う声掛けをしてくれるのに今日はそれを一度もされていない。
昼間の件も相まって何処か突き放す様な態度に不満を覚えその背に声を掛ける。
「先輩、私なんか気に食わない事しましたか?」
振り返る彩女が目にしたのは、そんな言葉を吐きながら不安そうに顔に翳を落とす姫美の姿。
そんな姫美の様子に、自己嫌悪に陥りながら彩女は笑顔を浮かべる。
「そんな事ないよ、ちょっと嫌なことあってね。ごめん、八つ当たりかも」
それだけ言って歩き去る彩女を姫美は追いかけられなかった。
「なんで、私にそんな作り笑いするんですか」
姫美のそんな言葉が誰に届くことは無かった。
◇◇◇◇
「お待たせー」
時刻は19時を少し回り、彩女と姫美は春奈の指定した店で先に呑み始めていた。
掘りごたつの個室で二人は並んで座り。春奈が来たことを確認すると、笑顔で出迎え、春奈は席に着きながら「とりあえず生」と注文した。
「ごめんねー、ちょっと遅れちゃって」
「大丈夫、こっちも程よく温まった所だから」
遅れたことを謝る春奈に、ビールを持ち上げながら笑う彩女の様子を見て春奈は2、3杯は飲んでるなと苦笑し、その隣で笑顔を浮かべている姫美に視線を移す。
「改めて初めまして、吉祥寺 春奈って言います。所属は営業二課で他部署だけど、よろしくね」
「初めまして高城 姫美です。あの、先輩...神崎さんとは親しいんですか?」
改めて自己紹介をした二人。
姫美は彩女と春奈の関係がどれだけ親しいのか質問を投げて見た。春奈はその質問に彩女の顔をチラリと見て、彩女が肩を竦めるのを見て、姫美に向き合い笑顔で答える。
「彩女とは幼馴染なの。彩女がこーんなちっちゃい頃からの付き合いなんだよ」
「ただの腐れ縁よ」
「とか言って、春ねぇ春ねぇってついこの間まで一生懸命私の後をついてきてたのに」
「いつの話よ!中学生とかの頃でしょ!!」
彩女を弄る春奈に、それに恥ずかしそうに頬を赤らめながら否定するやり取りが二人の仲の良さを物語り、それだけ長い間友好を築いていたのが伺える。
姫美はそんな二人のやり取りを憧憬の眼差しで見つめ、やはり彩女が春奈と親しくしている事に軽い不満を覚えた。
『生いっちょーったせしあしたー!』
春奈が頼んだ酒が届いたところで二人のじゃれ付きは収まり、佇まいを直す。
「それじゃ、改めてカンパーイ!」
「「かんぱーい!」」
グラスをぶつけて乾杯し、三者三葉にグラスを煽る。
彩女は豪快に残り半分を一気飲みし、姫美はちびちびと呑み進め、春奈は上品に半分まで呑み進めた。
そこから春奈と彩女は会話に花咲かせつつ、姫美を置いてきぼりにしないよう、二人は適度姫美にも話を振ったりなど、明るく楽しく時間が過ぎていった。
「へー、じゃあ長期の出張帰りだったんですか」
「うん、最初は左遷かってビビったけど、関西支店の方へのお手伝いみたいのに駆り出されてね。いやー参った参った」
その甲斐あってか、春奈と姫美は大分打ち解けたのか柔らかい雰囲気で会話に花咲かせている。
「彩女が高身長なのに何でハイヒール履くか知ってる?」
「いえ、何でです?」
「ちょっ!春奈!」
「春ねぇ」
「うっ...止めて、春ねぇ」
だからと言って彩女の恥ずかしあるような事を言っていいわけではないと、彩女はその口を塞ごうと身を乗り出すが、虚しく空を切り。
「『ハイヒールってなんかできる女っぽくてカッコ良くない』って言ったのよ~。なんだか動機が男の子みたいでしょ~」
「ぷっくく...確かに...しかもそれで威圧感与えてビビられて」
「ひっひっ。まぁ彩女は他人の評価とかあんまり気にしないけど、そういう単純な動機で行動する事が昔からあるからね~」
「......辛い...」
幼馴染に恥ずかしい事を暴露され、後輩に笑われる。恥ずかしさでテーブルに突っ伏した彩女は酒に逃げる。
「ちょっとお手洗い」
暫くして、そう言って春奈が席を立った後、彩女は酔いが程よく回っているのか少し頬を桜色に染めた姫美に向き合う。
「ねぇ高城さん、もしよかったらあの事春奈に話さない?」
「あの事って...あ」
彩女が言葉を濁しながら話したが、わざわざ言葉を濁す事に何のことが思い当たり表情に翳を落とす。
「あー、いや。別に無理にとは言わないよ。春奈は口も堅いから信用できるからし、そこは私が保証する。それに結婚してるし私なんかより人生経験豊富だから良いアドバス貰えるかもだし、なんだったら他に良い男紹介してもらえるかもだし?」
時間が姫美の傷心を癒してくれるとは思っていたが、早めのメンタルケアを狙えるならそれに越したことは無いと彩女は考えていた。
(高城さんには早々に立ち直って帰ってもらいたいしね...私の為にも)
勿論、彩女が姫美を心配しての考えではあるが、それ以上に他人に、それも特に姫美に深入りするべきではないと考え、早々に姫美には立ち直って欲しかった。
「……」
彩女の本心を見透かすかのように、じっと彩女の目を無表情で覗き込む姫美は、ふぅっと諦めたかのように俯く。
「まぁ、ちょっと位は」
何処か諦観と不満が混じった様子で呟いた姫美は、やりきれなさを押しこむかのようにビールを煽り呑む。
そんな姫美の様子に、申し訳なさと胸の痛みを覚え彩女は視線を逸らす。
「ただいまー...ん?何かあった?」
「「何も?」」
そんなタイミングで帰って来た春奈が、場に流れる空気が堅いことに訝しみながら席に着くと、入れ替わる様に彩女が腰を浮かす。
「ちょっと酔い冷ましに外で煙草吸ってくる」
「え?」
「あ、うん。いってらっしゃい」
気まずくなった彩女が逃げるように席を立てば、残された姫美と春奈の間に微妙な空気が流れる。
「何かあった?」
「え?いえ特に」
「ふーん…じゃあなんで逃げたのかな」
「逃げた...んですか?」
付き合いの長い春奈だから分かった、彩女の行動。だからこそその理由が分からず首を傾げたが、姫美は胃の中が混ぜ合わされた様な不満が湧き上がった。
「先輩も離れるの......」
「え?」
「いえ、何でも」
姫美の漏れた不満は春奈に中途半端に届いたが、姫美が首を振った事で春奈は藪をつつくような真似は控えた。
その間も、姫美は空になったジョッキを見つめていたが。
ふと、彩女への不満が募った疑念を晴らしたいと背を押した。