お姫様と親友
pipipipipipipipi!!
「っ~...」
スマホからなりだすアラーム音にいら立ちを募らせつつ、慣れた手つきで止め時刻をちらりと確認し、深い深いため息を吐く。
スマホが示した時刻は7時30分頃、二度寝するには厳しい時間だと分かっている為気力で身体を起こす。
「んむぅ~」
「?……あぁ」
身体を起こした彩女が、隣で身じろぎした姫美の姿を見て一瞬で覚醒するが、服に乱れが無いのと情事の記憶が無い事で特に間違いは犯していないと、溜息を吐き姫美の肩を揺する。
「……ん。くぁ~...んはよーございらす」
「おはよ」
ろれつの回らない口調で欠伸する姫美に挨拶し、日課のシャワーへ向かう彩女はおぼつかない足取りで私室を出る。
服を投げ捨て、シャワーの栓を捻れば冷水が飛び出し悲鳴と共に意識を一気に覚醒させる。熱湯が出始め身体を清め終わり、髪を乾かし終え下着を着け終わればリビングに向かいだす。
「おっと。ほら、きちんと歩かないと危ないわよ」
「んぅ~」
それと入れ違いになる様に目元をこする姫美が浴室に入り込む、寝ぼけているのか出入り口で足を縺れさせ彩女に抱きかかえられる。そのまま介抱されながら洗面台に向かい朝の支度を始める。
それを確認し、彩女は朝食と自分の支度に向かう。
テレビをつけ朝のニュースを見ながら、姫美が買ってくれたパンやジャムを用意しコーヒーを入れる為に給湯器を沸かす。
そしてその間に彩女は私室に向かい、カッターシャツに袖を通しズボンを履き、化粧台で普段より時間がある為手を掛けて化粧を施す。
「家に人が居るとだらけなくていいわね」
彩女は横目に時計を見て未だ時間に余裕がある事に苦笑しつつ、化粧を施す。
それが終われば、上着とバックを手にリビングに向かう。
「おはようございます」
「おはよ」
完全に目が覚め寝癖を整えた姫美が、新妻の様にキッチンに立ちパンを用意しコーヒーを作っており、朝誰かに朝食を作ってもらう事を、自分以外の人の気配がある事を良いなと頬を緩ませながら用意されたコーヒーに口を付け不味いと口の中で転がす。
「後で化粧台借りていいですか?」
「ん」
口の中に物が入ってる彩女は姫美のお願いに言葉なく頷き、テレビに視線を投げつつコーヒーで流し込む。
二人は言葉なく手早く食事を済ませ、姫美は一言断りを入れて彩女の私室に向かい身支度を整え始める。
彩女はその間に荷物を改め、家を出るまで時間がある事に余裕を持ちつつスマホを弄りだす。
『You Got Mail』
一つのメッセージを受信され、その差出人の名前を見た彩女の目が少し見開かれる。
彩女はそのメッセージの内容に目を通すと短く返事を打ち込み、短くため息を一つ吐く。
そのメッセージを見てから彩女の機嫌は急降下し、胸の中に言いようのない仄暗い燻ぶりを抱いた。
そこで支度を終えた姫美が現れ、彩女はスマホを仕舞い立ち上がる。
「先輩今日ゴミの日じゃないです?」
「あ、忘れてた。ちょっとバックお願い」
「はい、どうぞ」
「ありがと」
何故違う地区のゴミの日を知ってるのかと訝しんだが、玄関にその紙が貼ってあるのを思い出しそこまでしていつもゴミ出しを忘れる自分に呆れつつ姫美の配慮に感謝し、5㎝のハイヒールを鳴らしながらカップ麺のゴミが詰まったゴミ袋を抱え姫美のエスコートで会社に向かう。
◇◇◇◇
水曜日のオフィスは忙しい。
週の半ばという事も相まって誰も彼も忙しなく働いている。勿論、それは彩女も姫美も例外ではない。
寧ろ、これからを期待されている彩女は残業をしたくないという理由もあり日中は鬼のように働いている。
姫美も、仕事に集中するときはしっかりと集中し書類つくりに勤しむ。
周囲の人たちも姫美にちょっかいを掛ける事無く姫美は愛想を振りまくことが無く心中穏やかに仕事に集中している。
「お疲れ様ー!お昼だよ!皆しっかりご飯食べよーねー!特に神崎ちゃん!」
時計の針が12時を回った所で、恵比寿様部長がデスクから立ち上がり声を張る。その声に反応するように人々は立ち上がり各々好きなように昼食に向かう。
だが、名前を呼ばれた彩女は小さく会釈だけして、10秒で済ませられる食事を2つ取り出し部長の心を悲しませる。
「先輩、お昼行きましょ」
しかしそれを許さない姫美は、彩女の傍に寄り彩女にきちんとした食事をとらせようとする。
彩女はそんな姫美を一瞥し、逡巡するが口に物が入ってるため言葉を発せず首を横に振って拒否する。
彩女は自分が周囲の人に話しかけると、どこかよそよそしい反応を返される為、人の集まる姫美と一緒に行動しない方が良いと思っての判断である。
実はそんな彩女に対する周囲の反応は、彩女の容姿の前に平常を保てない故にほとんどの女性社員がまず言葉をつっかえさせ、彩女が安心させようと浮かべる微笑で完堕ちする。
それを彩女苦手に思われていると勘違いするのだが、仕事上では特に問題になってない彩女は、他人に深入りする気が無いためそれを愚痴る事も無く、女性社員は言わずもがな察しの悪い男社員はその誤解を解けない。
唯一その事実に気付いている恵比寿部長は、その誤解を解こうとは思ったが特別本人も気にしていない様子の上、男性である自分が下手に何か言って拗らせても問題な為静観に徹していた。
「彩女ちゃ~ん」
彩女は自分の名前を呼ぶハスキーボイスを聞くと、二本目のウイダーを開ける手を止め振り返るとその声を発した人を捉え勢いよく立ち上がる。
「春奈!帰って来てたの!?」
「うん、今日帰ってきて丁度お昼だし誘いに来たの」
春奈と呼ばれた女性は、穏やかな笑顔を浮かべながら両手を広げ挨拶した。165㎝程の身長でくせっ毛の黒髪が揺れ、垂れた目じりとぷっくらとした唇にそれに添えられた黒子が色気を醸し出し、眠気を誘うような独特の抑揚と大きすぎる胸を携え母性溢れるおっとりとした雰囲気を纏わせ、御年32を迎えているにも関わらず瑞々しい肌と年相応の魅力が上手く混ざり、魅力的な大人の女性を体現している。
そんな春奈の笑顔と雰囲気は日に照らされた昼顔の様な穏やかさで周囲の人達の心を落ち着かせていた。
が、春奈の左手の薬指に指輪が嵌ってるのを見つけると周囲の男性社員からため息が零れた。
そんな春奈の姿を目に入れた彩女は破顔しながら歩み寄り、彼女と抱擁を交わす。
そしてそんな彩女の見たことの無い笑みを見たその場の全員が、信じられない物を見るように目を丸くした後頬を染めたのを姫美と春奈は目敏く見据え、彩女だけが気づかない。
久しぶりの再会を楽しむかのように抱擁する二人に、その場の全員を代表するかのように姫美が割って入る。
「先輩、そちらは?」
「あら?あらあら、貴女が噂の新人さん?初めまして、吉祥寺 春奈って言います。部署は営業2課だから会う機会は多くないけど、よろしくね」
「あっはい、高城 姫美です。先輩にはお世話になってます」
姫美はその母性溢れる春奈の笑みに癒された。
「それより彩女?お昼どうかしら、お土産もあるのよ」
「あ、え~っと」
昼食に誘われた彩女は気づかわし気に姫美を横目に見た。つい先ほど昼食の誘いを断ったばかりで他の人の同じ誘いを受けるのは姫美に対して申し訳ないと思いつつ、春奈との昼食に余程惹かれているのか揺れ動くように二人の顔を交互に見て悩んでいた。
姫美はそんな態度の彩女に、何故か無性に腹が立ち眉間に皺を作りながらぶっきらぼうに吐き捨てる。
「別に良いですよ、行ってきて。特に気にしてないので」
「あ、うん。ごめんね高城さん。それじゃ行きましょ春奈」
「ふ~ん」
姫美の許しを得た彩女は、ほっと一息ついた後、春奈との再会が余程うれしいのかニコニコ微笑みながら財布を手に先導しだした。
姫美は彩女が目の前の女性を名前で呼んでいることに気付くと、何故か更に苛立ちが募り離れ行く彩女に背を向け自分を誘う人たちの元へ笑顔を作り歩き出す。
春奈はそんな姫美の様子を興味深げに眺めた後、催促する彩女に呆れ笑いを浮かべつつ、恵比寿部長に一言挨拶とお土産を渡し部屋を出て行った。
部屋に残され、彩女の笑顔に悶絶していた職場の人たちはその日一日恵比寿課長が軽く引く程精力的に働いた。